更新日時:2023.03.24
究極の“アウト”の使い手、田村研人。34歳ベテランの不屈の魂「悔しさがエネルギー。俺はまだ終われない」|俺たちの全日本
PHOTO BY高橋学
Fリーグで一番うまい“アウト”の使い手
ボルクバレット北九州・田村研人の“アウト”がすごい。
彼のキック技術は、間違いなくFリーグ屈指であり、世界中のフットボールシーンを見渡してもそうお目にかかれないだろう。それほどまでに“異質”で洗練されている。
3月17日、全日本フットサル選手権準々決勝で名古屋オーシャンズと対戦した北九州は、1-6で敗れ、大会を後にした。その試合でも、彼の技術は際立っていた。
フィクソというポジションもあって、彼が試合中にボールに触れ、パスをさばく機会は多いのだが、「なぜそこをアウトで!?」というシーンを何度も見ることができる。
名古屋戦でもそんな瞬間があった。相手陣内の左サイドで持った田村は、対峙する相手が中央のコースを消しているなかで体を前へ向け、縦にいくような素振りからアウトサイドキックでピヴォ当てしたのだ。彼の得意なノールックパスだが、どう考えても“アウト”を使う体勢ではないように見えた。
「名古屋の選手は目線まで見ているので。プレスがかかっているフリをしていくとか、普通のプレーをしても読まれるので、体の向きや頭を使いながらやらないといけない」
https://abema.tv/video/episode/38-376_s60_p7
たとえばリーグ戦のこのシーンもそうだ。味方からのパスを受け、相手との競り合いに勝利して前を向いた瞬間、GKとの1対1を迎えている。通常、右利きの選手の選択肢としては、インサイドでニアを抜くか、ループを狙うにしても右足インフロントで打ちにいくだろう。ただし田村は「アウトフロント」でループを狙ったのだ。
体の向きは内側を向いているため、GKはシュートを予測しづらい。その体勢からGKの頭上を狙う発想が、どうして出てくるのだろう。その理由はきっと、彼の生い立ちにある。
「サッカーの頃は、格闘技や空手の感覚をなかなか生かせないと感じていました。ただフットサルに転向してからは、1対1の間合いや、格闘技の裸足で地面を踏む感覚を生かせました。フットサルは、スパイクではなくフラットなシューズなので、より素足に近い。フットサルに転向した理由の一つは、体の使い方がうまくなりたかったから。インサイドも、アウトサイドも、来たボールに対して合わせられるニュートラルな状態を練習しています」
きっちりと地面を捉えられているから、どんな体勢でも、足の指を巧みに使いながら、繊細なタッチでキックに持ち込める。Fリーグファンの多くは、田村家が“格闘一家”だと知っているかもしれないが、彼のプレーの随所に、その真髄を感じることができるのだ。
苦しい時に必要とされる選手でありたい
これほどの技術を持つ田村が、北九州を退団する。今年で35歳を迎える年齢もあるだろう。北九州は他にも、多くのベテランがチームを離れる。しかし田村のチームへの貢献や、世代交代を図りたいクラブの思惑を考慮した上でも、その退団には驚きがあった。
「構想外だと言われました。今シーズンは監督が代わった難しさもありましたけど、自分が信じてやってきたことが違ったのかという意味で、告げられた時は驚きがありました」
退団理由は、契約満了。構想外。それでも田村は、前を向く。
「でもまだ、ここで終わっちゃいけないな、と。いつも自分は、悔しい気持ちをエネルギーに変えてきましたから。最後、何年できるかはわからないですけどね。自分のエネルギーを燃やして。前向きに考えて、これからのフットサル人生を歩んでいきたい」
選手権で敗れた直後に、彼は凛々しい顔でそう話した。
振り返れば、田村は本当に悔しさを乗り越えてきた選手である。名古屋サテライトを経て、府中アスレティックFC(当時)でFリーグにデビューしたのは2013年。25歳とやや遅咲きではあるものの、2年目には32試合で10得点をマークするなど、ピッチで存在感を示していた。そこから名古屋へ移籍したものの、スター軍団のなかで満足のいく結果を出し切れず、その後は大分で2年、仙台で1年を過ごして、北九州へと活躍の場を移した。
10シーズンで、257試合・56得点。3年を過ごした北九州では、今シーズンも全試合出場した。すべてが順風満帆ではないなか、各チームで彼は、自身の存在価値を示してきた。
「苦しい時こそ必要とされたい。苦しい時に輝ける、チームを助けられる選手になりたい」
その根底には、キャリアの出発点となった名古屋サテライトで誓った想いがある。
「信用される仲間のもとで、そのチームのためにプレーしたい。そうやって育ててもらいました。キャプテンを任せてもらった名古屋サテライトで、櫻井(嘉人)社長から、『自分は一人じゃないぞ。チームスポーツだからお前一人でできなくても、チームでできることがある。お前が引っ張っていけ』と言われました。その言葉を胸に今までやってきました」
3年前、北九州への加入が決まった際に田村は、こうコメントしていた。
「”ばり助かったばい”。北九州の方言で、ありがとうの代わりに使うとネットに書いていました。そう言ってもらえるよう、たくさんの方々に勝利と感動を与えられる選手になります」
格闘技という個人競技で研鑽を積み、フットサルという団体競技で精神を磨いた。田村には、胸に秘める闘志がにじみ出るような、真っ赤なユニフォームがよく似合っていた。ともに戦った仲間も、ファン・サポーターも、「ばり助かったばい」と思っているに違いない。
「まだまだ磨きたいし、継続していきたい」
不屈の精神と、究極の技術を備える男。田村研人の戦いは、まだ終わっていない。
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