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作成日時:2024.02.16
更新日時:2024.02.19

「この物語の勝者は僕ら」完全復帰の“最後の壁”に挑む、闘将・清水誠の決意

PHOTO BY高橋学、勝又寛晃

2020年1月12日。ヴォスクオーレ仙台にとってのF1ラストマッチが、“フットサルの聖地”・駒沢屋内球技場で行われた。

ステラミーゴいわて花巻に次ぎ、東北をホームタウンとするクラブで二例目のFリーグ退会。混乱する現場のスタッフの輪の中にはいつも、清水誠の姿があった。

自身が選手として戦っていた花巻と、監督になったあとの仙台。困難続きのフットサル人生についてを振り返りながら、清水は度々、苦笑いを浮かべる。

「周りからは、もう無理じゃないと何度も言われました。でも、僕はやっぱり諦めたくなかった」

東北リーグから奇跡のFリーグ復帰を果たし2年目の今シーズン、リーグ戦16試合でわずか14勝1分1敗の成績を収め、仙台はディビジョン1・2入替戦の切符を手に入れた。

奇しくも対戦相手は、駒沢での最後の試合を戦ったエスポラーダ北海道に決まった。4年ぶりの再戦を前に「きっとこれもまた運命だ」と、さらに兜の緒を締める。

「本当に不思議な巡り合わせですよね。でも、僕らは彼らを超えていかなければいけない」

溢れるクラブ愛と東北の誇りを胸に。

闘志を燃やす大将が、いざ決戦の舞台に挑む。

#未来へつなぐ戦い|特集



このクラブを潰すわけにはいかない

──リーグ優勝おめでとうございます!まずは率直な今の気持ちを教えてください。

優勝はありましたけど、シーズン始めに設定した目標は、「入替戦に勝って昇格すること」。半分は喜び、半分は気を引き締めて行かなきゃいけないなというのが、今の思いです。

優勝が決まったのはアウェイのヴィンセドール白山戦だったのですが、次の週には石川で大きな地震があり、試合会場も避難所になりました。僕自身、祖父の家が岩手県の石巻で、2011年の東日本大震災で流されてしまって……。それがきっかけで東北に来たという経緯があって、今もこうして活動している。優勝したことと、自分がフットサルできていることへの感謝。いろんなことを考えさせられましたね。

──仙台が降格が決まり、Fリーグに参加しないと決まった2019シーズン。どんな経緯が合ったかを改めて教えていただきたいです。

今だから話せることにはなりますが、このクラブがFリーグに参加できなくなると知ったのは代表が最初、次いで僕だったと思います。今の2人の代表理事(髙橋直樹氏、本間一真氏)からも、「僕らか清水監督、どちらかが降りるなら諦めましょう」という話をされて、僕の決断がそのままクラブの決断になってしまってもおかしくない状況でしたし、それくらい追い込まれていました。

でも、僕はこういう性格なので絶対に諦めたくない。やるなら3人で東北リーグから這いあがろうと。ずっと在籍していたわけではありませんが、自分はこのクラブの立ち上げに関わってもいたので、僕の手で潰すわけにもいかないと意固地になっていたのかもしれません。

それでも、先ほど話した花巻がFリーグを退会した時の経緯を考えても、ヴォスクオーレ仙台という名前を含め、解散だけは絶対に避けなければいけないという思いだったので、これまでどおりプロクラブとしてFリーグ復帰を一緒に目指したいと伝えさせてもらいました。

勝算があったわけではないので、その先は不安しかなかったですし、こうしてリーグ優勝できる未来は全く想像できていなかった。ずっと暗闇でもがいていたような状態でしたね。

──目指すことは決めても、いつ復帰できるかもわからないということですもんね。

今年の1月末にもあったように、ライセンスが交付されるタイミングがありますが、毎年試験を受けているような感覚でしたね。2年連続で不交付が決まってしまった時は、復帰できないことを伝える髙橋さんと本間さんが、一番辛かったと思います。

フロントの皆さんに経営基盤を整えてもらう一方で、現場の僕たちはとにかく結果を出し続けること。新型コロナウイルスの影響で、地域チャンピオンズリーグは中止になってしまったりもしましたが、全日本選手権ではFリーグクラブを倒したりと、実績を積み重ねていきました。



東北や仙台出身の選手が頑張る姿を見せたい

──東北リーグで戦ったシーズン、ずっと在籍している井上卓選手の存在や、渡邊一城選手をはじめベテラン選手がチームに戻ってくれたことも大きかったのでは?

東北リーグの時はコーチをしっかりと置けるような状況でもなかったので、監督としてただ試合の指揮を取るだけではなく、チームマネジメント、映像分析、スケジュール、いろんな仕事があります。そういったなか、プレー経験も豊富で、より円滑にチームが回るように協力してくれるベテランがそろったことは、本当に心強かったですね。

──Fリーグを離れ、清水監督自身の生活で変わったことはありましたか?

生活自体は僕が初めて監督になった時と今も変わらず、宮城県のU-15の選抜の指導や、東北の子どもや大人にフットサルスクールを開いて、仙台の監督業を兼任している形です。朝から夜まで、フットサルのことを考えない時間はないですね。

でも少しずつ変えようとしているのは、このクラブのスクールや、中学生、高校生の縦の軸の基盤を作ることを意識して、今は活動しています。僕自身は出身も神奈川ですし、もうこっちで生活して13年目になりますが、そもそも仙台という街、もっというと東北は、外からたくさん人が移住してくるような地域ではありません。なので、地元の子どもたちの育成がより重要になってくる。

降格する前までは、プロ選手もたくさんいましたし、外国籍選手をそろえて強いチームを作るやり方をしていましたけど、それとは真逆の道に進みたいな、と。どちらの色も経験したからこそ、よりクラブ愛を強く持った選手がそろうこと、東北や仙台出身の選手が頑張る姿を、地元の方に見せることが大事だと感じています。

──「クラブ愛が強い」というのは一つ今の仙台の特色でもありますが、その思いが誰よりも強いのが清水監督だと感じます。

花巻の時から「このクラブのために」という思いは強くありましたが、残念ながら退会せざるを得なくなってしまいました。実はその時に古巣のバルドラール浦安に戻るという話もあったんですが、僕は選択肢があるとき、キツくなる方を選ぶことにしています。難しいけど、東北でもう一度、Fリーグを目指せるクラブを作るべきだと思ったし、やっぱり、そこを目指したいなと。

──“合格”が決まった瞬間はどんな気持ちでしたか?

僕は少し早めに聞いていて、本当に良かったと一度噛み締めました。でも伝えるのは僕じゃないだろうなと思っていたので、代表に伝えてもらうことは決めていたんですが、あとはどうやってみんなに伝えたら喜ぶかなとタイミングを見計らって、ちょっとドッキリみたいなことも考えたんですけど(笑)。

結局用意しきれず、普通に練習の時に本間代表からそのまま伝えてもらいました。もう全員泣いてましたし、あの時のみんなの表情は忘れられないです。僕も泣きましたけど、男があんだけ集まって泣くことってないし、もうお願いできるなら写真を取って欲しかったぐらいです。まだ何も成し遂げていないけど、大きな一歩だねという話をしました。



考え方を変えて挑んだ今シーズン

──税田拓基選手や藤山翔太選手など、経験を重ねた選手も戻ってきて臨んだ、2022シーズン。復帰1年目はどんな思いで戦った?

Fリーグに戻れたうれしさもありますが、その反面、浮き足だったというか。ふわっとして、特別な気持ちで1年を過ごしてしまいました。クラブとしてはFリーグに戻ることを目標にして人生の全てを捧げてきたので、戻ったことへの満足感もあり、余力がなかったのかもしれません。

ぶっちぎりで優勝を決めたしながわシティに力の差をはっきりと示されたおかげで目が覚めましたし、それが基準になった。

シーズンを終えてから感じたのは、選手の上積みももちろんですけど、ひょっとしたら僕自身も何かを変えないといけないんじゃないかということ。一度自分をリセットするために、昨シーズンで一度区切りをつけて監督を退任しようと思って、クラブにもそう伝えていました。

だけど代表と、何度も酒を酌み交わしながら将来の話をして、「それでも僕に」と言ってくれた。正直心身ともに疲弊していた部分もありましたけど、僕も、クラブを変えたいという思いは変わらないし、チャレンジをしたいという気持ちもやっぱりある。それでもよければとという話をして、続けることを決めました。

でもさっき言ったように、現状を変えるにはまず自分から変わらないといけない。戦術は上積みもありますけど、選手への向き合い方や関わり方、自分の考え方を全部変えて、今シーズンの戦いに挑みました。

──「考え方や接し方」というのは、今シーズン、具体的にどう変わったのでしょうか。

たとえば、どの監督もそれぞれの理想や目指したいことがあり、一方で現実がある。僕は理想をずっと追いかけて、そこに早く辿り着くためにすごく急いでいたし、走っていればみんなが自然とついて来てくれると思ってしまっていた。でも、気づけばそこに到着しているのは僕だけ。それではダメなんだと、ようやく気がつきました。

もっと上に行くには、今度は全員を一緒に連れて行かないといけない。そのためには、何を考えてどうしていきたいかを細かく全部話して、チーム全体で共有していく必要がある。今シーズンは些細なことでも、一つひとつ自分の考えを隠すことなく話して、「力を貸してほしい」と、話をするようになりました。今の今は、そういったすり合わせに時間がかかってしまうかもしれないけど、結果的にそれが早く辿り着くことにつながるだろうと信じて、そういう伝え方を心がけるようになりました。

──そして今年、優勝にたどり着いた。

もちろん、それだけではないと思いますし、結果論になってしまいますけどね。

──今シーズンの仙台は本当に勝負強いというか。リードされていても巻き返したり、逃げ切るゲームが多かったように感じました。

それも先ほどの話と似ていますが、今までは自分だけが理解していた「今だ」と思うポイントを、選手にも丁寧に伝えて共有するようにした部分です。

僕が勝ちを目指して流れをつかんでいても、選手が感じていなければ意味がない。選手がピッチで見ているものとは違う景色を見ているからこそわかるものもあるので、それを選手全体を巻き込んで、勝負所に気がついてもらう。それがギリギリの試合で勝ち点を拾えたことにつながったんじゃないかなと思っています。



同じ場所で同じ相手と

──そして今、最大の“勝負所”として、入替戦へ。今どんな準備をしていますか?

つい先日、今のディビジョン1のトップの力や強度を感じるためにペスカドーラ町田とトレーニングマッチをしてきました。今シーズンあの名古屋オーシャンズと優勝争いをしたチームに挑戦をしたんですが、しっかりやられました(笑)。今シーズンはボアルース長野戦以外は負けてないし、完敗と言える試合の記憶ってほとんどないんですけど、僕が監督になってから初めてちゃんと負けました。でも、パワープレーも含めて自分たちが試したいことも全部試して、やりたいことやって、真っ向勝負したんで、後悔もないしいいスイッチが入りました。

──昨シーズンのしながわとの対戦が基準になったように、トップを知ることで今の立ち位置を確認することができた?

そうですね。関東だと、ディビジョン1のクラブがたくさんあって、いろんな強豪チームとトレーニングマッチができますけど、僕たちにはなかなかそういう機会がないんですよ。だから自分たちの限界で成長が止まってしまう。負けず嫌いなんで認めたくないですけど、こうして自分たちの今の立ち位置を知ることは、とても大切なことです。まだまだ僕らじゃ、ディビジョン1では優勝できない。その現実を感じさせられました。

でも、自信をなくすためにこの試合を組んだわけではないので「今の目標は昇格することだから」と。今の町田の強度を知れば怖いものはないし、今度の入替戦で勝って北海道を越えてはじめて、町田や名古屋と対等に戦うことができるんだと。うちのチームは若い選手も多いですし、改めてそこは選手には伝えました。

──北海道は、2019-2020シーズンにディビジョン1ラストマッチを戦った相手でもあります。

それを狙っているわけではないはずなんですけど、東北に来て運命というか、そういうことを感じる機会がものすごく多いです。ただ、どんな戦いにもストーリーはいろいろあって、そこに共感して、人は応援してくれる。そういう意味で、この舞台に立つまでの過程というのは、うちのクラブにしかない価値だと思います。

4年前は北海道も小野寺(隆彦)監督勇退(現Fリーグ専務理事)という、どちらかと言えばポジティブなラストマッチで、僕にとってはネガティブなラストマッチだった。試合のあとの取材も、ほぼ全員北海道のところに集まっていて……。僕らはいろんな方面に迷惑をかけているんだなって、悲しかったし悔しかった。同じ場所で、同じ相手と。この物語の筋書きがあるとしたら、僕らが勝つべきだと個人的に感じています。



ディビジョン1・2入替戦

2月17日(土)

中継開始 カード 解・実 現地中継
13:00 北海道2-3仙台
★現地中継&W解説★
実況:福田悠
解説:北原亘
解説:横江怜
ABEMAハイライト

2月18日(日)

中継開始 カード 解・実 現地中継
13:00 北海道1-4仙台
★現地中継&W解説★
実況:福田悠
リポーター:辻歩
解説:稲葉洸太郎
解説:渡邉知晃
ABEMAハイライト

※2戦合計が北海道3-7仙台となり、ヴォスクオーレ仙台のF1昇格が決定

▼ 関連リンク ▼

  • AFCフットサルアジアカップ2024予選|大会概要・試合日程&結果一覧
  • Fリーグ2023-2024 試合&放送日程

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