更新日時:2024.07.25
【連載】フットサルの時代変遷|はじめに|フットサル三国志
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7月5日から、フットサル歴史本を出版するためのクラウドファンディングをスタートしました。国内シェアNo.1のフットサル施設の予約システム「LaBOLA」を提供する会社代表の木暮知彦氏が、初の著書「フットサル三国志」を出版します。かって「関東フットサルリーグ」の広報委員を務めた著者がフットサル専門サイト「SAL」の前身メディアに日本のフットサル黎明期からの歴史を連載した物語を新しく本にまとめたものです。
このプロジェクトは、書籍を通してフットサルを「見る」と「する」の方たちがより深く競技の歴史を知り、興味をもってもらうことで、都道府県リーグや地域リーグ、そしてFリーグに足を運んでもらいたいと願って始めるものです。フットサルファンのみなさん、そして未来のファンのみなさんにぜひ支援していただけたらと思います。
このプロジェクトの開始と同時に、書籍の内容をLaBOLAとSALで連載していきます。出版するすべての内容ではないですが、「黎明期」と呼ばれた2000年前後から、Fリーグの開幕からの盛り上がりを綴った「新生期」の途中までを掲載します。多くのみなさんにフットサルの歴史を知ってもらい、興味を深めてもらえますと幸いです。
■フットサル三国志出版プロジェクトの詳細はこちら
執筆にあたって
2000年3月、第1回関東フットサルリーグ(以下、関東リーグ)が小金井総合体育館で開催された。今でこそ地域リーグは通年リーグが当たり前となっているが、発足時は、3日間の開催で千葉公園体育館や小田原アリーナで行われた。記念すべき第1回の優勝はプレデターとガロの同時優勝であった。通年リーグに進化したのはその3年後の第3回からで、その4年後の2007年に全国リーグのFリーグが誕生する。
この間、きら星のごとくさまざまな強豪チームが現れ、合従連衡を繰り返し、いくつかのチームは全国リーグへと昇格した。それはさながら三国志のようである。ちなみにプレデターはそのFリーグに参入したバルドラール浦安の前身チームである。ガロは、のちに東京都2部リーグとなり、今は解散してしまった。一方、関東リーグ設立10年目の第11回関東リーグの優勝チームはフウガで前人未到の3連覇を果たし、今やフウガドールすみだとしてFリーグ1部(ディビジョン1)に在籍している。
そこで、この関東リーグ発足10年を節目に、関東を中心にした群雄割拠、栄枯盛衰のチームの戦いぶりを振り返り、これを記録にとどめることにした。次世代の競技フットサルの発展に寄与できれば幸いと思い、執筆に至った次第である。
ここでいう三国とは、関東リーグ3回優勝、全日本フットサル選手権大会(以下、全日本選手権)4回優勝のファイルフォックス、関東リーグ2回優勝、全日本選手権1回優勝のカスカヴェウ(のちのペスカドーラ町田)およびこの2チームを取り巻く強豪チーム群、例えば前出の関東リーグ1回優勝、全日本選手権1回優勝のプレデター、関東リーグ1回優勝のガロ、全日本選手権1回優勝のロンドリーナ(のちの湘南ベルマーレ)、全日本選手権1回優勝の府中水元クラブ(のちの府中アスレティックFC)などをイメージしている。
なお、チーム名は略称を用い、人名は実名で敬称もなく数多く表記されるが、執筆の便宜上および記録にとどめるということでご容赦を願えれば幸いである。また、古い記憶に頼る部分もあり、もし間違いがあれば連絡を願いたい。
2024年7月吉日 著者・木暮知彦
フットサル三国志の「時代変遷」とは?
本書で登場するフットサル変遷の時代をご紹介します。
(1)黎明期
1996年1月の第1回全日本フットサル選手権(以下、全日本選手権)スタートからスーパーリーグが関東リーグに統一される前の2002年までを黎明期と呼ぶことにする。これは、まさに選手権発足に誘発されていくつものチームが勃発、合従連衡を繰り返し、さまざまなリーグが立ち上がりながら、関東リーグに集約されるまでの黎明の時代ということができる。約6年間の時代である。
この黎明期は、3つの軸に展開されてきた。一つは全日本選手権である。日本一になりたいという動機付けから、さまざまなチームが参入、合従連衡の歴史が始まった。
2つ目の軸は日本代表である。町の「あんちゃん」でも日本代表になれるという動機付けが、選手に切磋琢磨を促した。
3つ目の軸は、通年リーグである。それも全国リーグ設立の渇望であり、その先のプロリーグ(今でいうFリーグ)で飯が食えるかもしれない夢である。
この3つの軸が、学校スポーツでもない、企業スポーツでもない、なんの後ろ盾もないそれこそ草の根のなかから、黎明期とは言え、一時代を形成したのではないだろうか。
(2)栄華期
2003年のスーパーリーグとの「統一関東リーグ」(以下、関東リーグ)(第5回)がスタートし、関東のフットサルは徐々に華やかな時代を迎える。それは、選手権至上主義からリーグ中心主義転換への始まりであり、アマチュアとは言え、観衆を集めるすなわち「見る」フットサルへの試行が始まったことを意味する。その結果、フットサル日本代表は2004年には悲願のワールドカップ出場を果たし、2006年の第8回アジア選手権では宿敵イランを破って、アジアの頂点に立った。主戦場の関東リーグの観客動員数もうなぎのぼりに上昇、人気の試合は1試合で 1000人以上の動員を数えるまでになるのであった。
しかし、栄華の時代は永久に続くわけではない。関東フットサル界がけん引してきたといっても過言ではない日本のフットサルは、ついに全国リーグ設立を果たし、関東リーグは主役の座を引き渡す。2007年9月開幕のFリーグの誕生である。
これは、競技フットサルに携わってきた選手たちの悲願であったから、関東の栄華の時代の終焉は仕方がないことではある。Fリーグ入りを果たしたプレデター(のちのバルドラール浦安)、カスカヴェウ(のちのペスカドーラ町 田)、ロンドリーナ(のちの湘南ベルマーレ)、府中水元クラブ(のちの立川アスレティックFC)が関東リーグから名前を変え、多くの選手がFリーグに移籍するなどして、関東フットサルは栄華の時代を終えるのである。約4年間の時代である。
(3)新生期
Fリーグができたことによって観客動員数も減少、関東の栄耀栄華の時代は終わったかもしれない。しかしながら、関東リーグは地域リーグとしての新たな役割を担うようになった。それは、リーグ全体の地域密着への試行であり、 Fリーグへの優秀な選手の供給源であると同時に、Fリーグから戻ってきたベテラン選手の受け皿の役割である。ベテラン選手の受け皿は若手の育成にも役立ち、これがFリーグへの選手供給につながっていく。
また、ニューヒーローチームも誕生した。全国リーグの覇者を地域リーグが破る快挙を成し遂げ、未踏の関東リーグ3連覇を果たしたフウガである。カフリンガ、ゾット、アルティスタといった個性豊かなチームも台頭してきた。
一方、Fリーグも、ヴォスクオーレ仙台、フウガドールすみだが新加盟、12クラブとなって観客動員数はピークを迎える。そこで、全国リーグ誕生の2007年から2014年までを新生期と命名する。約8年の時代である。
(4)低迷期
要因はさまざまあるが、Fリーグの観客動員数は徐々に下がり、フットサルのメッカと言われた府中市立総合体育館がピッチサイズの関係で使えなくなり、移転を余儀なくされる事態が発生するなどして、2020年には最低を記録する。セントラル開催をやめたことも要因としてはあるだろう。2015年から2021年の7年間を低迷期とする。コロナ禍が始まり、第25回全日本選手権が開催中止となったのは2020年のことである。東日本大震災の影響により途中で開催中止になったのが2011年の新生期の終わり頃であったから、因縁を感じる。
(5)光明期
2022年に入るとコロナ禍の終息が見え始め、2017年に始めたABEMAのインターネットライブ中継の継続も決まり、一筋の光明が見えてきた。特にコロナ禍の影響で、動画もそうだが、HP、メディア、SNSなどインターネットの利用普及が進んだのである。
その結果、実際に試合会場に来ることができなかった人も、先発メンバー、試合結果はもちろんのこと、動画を見ればあっと驚くようなテクニック、感動的なゴールシーンなどが共有できるので、競技のおもしろさの共有度は格段に上がった。かくて、次第に観客動員数は上昇、低迷期の約5万8千人から(2021ー2022シーズン)、2022ー2023シーズン年は倍以上の約12万人と伸ばした。
光明期は発展途上で今も続いている。
「フットサル三国志」プロジェクト|クラファン詳細ページ
https://camp-fire.jp/projects/view/745928
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