更新日時:2024.08.02
【インタビュー】元日本代表・渡邉知晃は、なぜ大学フットサル部の監督を選んだのか?全Fリーガーに読んでほしいセカンドキャリア論
PHOTO BY渡邉知晃氏提供/高橋学
元日本代表・渡邉知晃氏が岡山県くらしき作陽大学のフットサル部の監督に就任。2025年度から新設される同部を率いることになる。現役を退いてからの3年間は、スクールや都リーグでのプレー、海外遠征事業、それにフットサル中継の解説やスポーツライターまで、実に幅広い仕事をこなしてきた。
現役時代の終盤には大学院に通い、修士課程を取得するなど引退後のキャリアも見据えていた。そうした“種まき”が一つの実を結んだのが、今回の“大学監督”という選択肢だ。
加えて今回、渡邉氏は、大学とともに作陽学園高校の選手たちの指導にもあたり、8月1日から始まる全日本U-18フットサル選手権大会も監督としてチームの指揮を執る。
高校と大学で監督就任──。渡邉氏いわく「新しいフェーズに入った」と。
現役でトップ選手になること、日本代表で成績を残すこと、Fリーグで明確に数字を出すこと、そして引退後に、それらのキャリアを生かしつつ、新たな道を切り開くこと。
これは現在、Fリーグでプレーする全ての選手に読んでもらいたい話でもある。渡邉氏はこれまでなにを考え、今、そして未来を、どのように描いているのか。
取材=本田好伸
編集=伊藤千梅
現役時代の修士課程取得がきっかけ
──今回、2025年度からくらしき作陽大学のフットサル部の監督に就任することが発表されました。どのような経緯だったのでしょうか?
きっかけは、多摩大学の福角有紘監督から「岡山の大学が監督を探しているけど興味ある?」とお話をいただいたことです。現役時代から引退後は大学の監督や教員という選択肢があったので、引退前の2年間で順天堂大学の大学院に通って修士課程を取得しました。そして、引退した頃、福角監督に「監督業に興味があるので、そういう話があったらつないでほしい」と伝えていました。今回、3年前にそんな話をしていたこともあって声をかけてもらえました。
──すぐに決断したのでしょうか?
いえ、最初に聞いた時は「岡山」が遠すぎてイメージが湧きませんでした。でも、家に帰って考えた時に、やっぱり一度お話を聞いてみたいと思ったんです。そこで経歴をまとめた資料を送ったら、作陽学園高校サッカー部総監督の野村雅之さんから直接お電話をいただいて、会って話しましょうと、岡山に行きました。ちなみに、それが人生初の岡山でした(笑)。
──なにが決め手になったのでしょうか?
新設のフットサル部だったことが大きいですね。すでにあるものだったら、今ほど「楽しそう」と思えたかどうかはわかりません。新しい場所で自分がつくっていけることに魅力を感じたことが、決断の大きな要因でした。
──くらしき作陽大学と同じ法人の作陽学園高等学校は全国的にも知られるサッカーの強豪校です。今回なぜ、大学に新しくフットサル部を新設するのでしょうか?
これまで、くらしき作陽大学は、音楽学部と子ども教育学部、食文化学部しかなく、来年度から健康スポーツ教育学部が新設されます。体育系の大学は強い部活があるものですが、今はまだそれがありません。そこで、目をつけたのがフットサルということです。作陽学園高校との関係性も強いですから、フットサル部を強化指定部にするという流れになったそうです。
──大学ではどんな役職に就くのでしょうか?
現時点でわかっているのは「生涯スポーツ支援・振興センター副センター長」です。地域社会に貢献していく催しや、小学生の子どもたちにフットサル教室を行ったりします。
──「渡邉知晃の監督就任」ということだけでなく、今回の話は、くらしき作陽大学がフットサルを通して全国に名前を売っていく壮大なプロジェクトのように感じます。
そうですね。くらしき作陽大学にフットサル部ができて、僕もやるからには日本一を目指していますし、それによって岡山とくらしき作陽大学の名前を全国に知ってもらうことは大きな目標です。ただ僕は、大学の監督だけを頑張って終わりということではなく、野村先生とも話しをしていきながら、より大きな取り組みに広げていく予定です。
監督として作陽学園高校を率いて全国へ
──現在は高校のサッカー部にも教えに行っているんですか?
そうです。これまで、作陽学園高校はフットサルにも取り組んでいる学校として知られていましたが、今の作陽学園高校の選手たちはフットサルに触れてこなかった年代です。コロナや学校の移転などが重なり、サッカー部の練習をやることで精一杯でもあったので、去年も全日本U-18フットサル選手権大会には出場していません。ただ、今年は野村先生からも「選手権に出ましょう」と言われて準備を始め、出場するメンバーに5月から教えてきました。
──そこから地域大会を勝ち上がって全国に出てくるあたり、作陽学園高校のポテンシャルの高さを感じますよね。
実は、僕自身は、岡山県大会と中国地域大会の前にそれぞれ1、2回しか指導できていません。時間がなかったので、とにかく紅白戦をしながら最低限のことを伝えてきました。そんな状況だったので、フットサルチームを相手にした時にどのくらいやれるのかわかりませんでした。そんななか、野村先生が中国リーグ1部に所属するチームと練習試合を組んでくれて、そこで「相当、能力が高い」とびっくりしました。彼らが大人のフットサルチームと対戦した時に想像以上に戦えている姿を見て、これは期待できると思いました。
──技術的にも、フィジカル的にも優れている?
そうですね。そもそも、一人のフットボーラーとして能力の高い選手が多い。ただし、ディフェンスの仕方がサッカーとフットサルは違うので、「サッカーみたいなディフェンスをするとやられる」と、何度も伝えて修正しました。そこのセオリーさえわかれば、1対1で負けないんですよ。毎日サッカーのきついトレーニングをこなしているので、守備の撤退も早いですし、強度も落ちない。岡山県大会決勝も、中国地域大会決勝も10点ゲームで優勝しました。少し教えただけですが、中国地域までは圧倒的な実力差で勝ち上がってきています。
──全国でもその実力は通用するのでしょうか?
やってみないとわからない部分はあります。ただ、生徒たちには「優勝しか目指していない」と話して取り組んできました。予選は県大会も地域大会も、僕自身が仕事のために帯同できなかったので、全国で初めてベンチに座ります。彼らが全国のフットサル専門チーム、常連校などを相手にどこまで勝ち上がっていけるのかは、僕としてもすごく楽しみにしています。
現役時代から「時間をもっと有効活用できた」
──引退後のキャリアを考えて大学院への進学を考えたのはいつですか?
大学院に入ると決めたのは、入学の前の年(2018年)です。年を重ねて引退が視野に入ってきた時に、その先のキャリアで“これをしよう”というものがありませんでした。ただ、もともと教育にも興味がありましたし、教育者になることやフットサルも教えられる大学の監督は選択肢の一つになると思っていたので、大学院に通うことを決めました。
──Fリーグで戦いながら大学院に通うのは大変じゃないですか?
簡単ではないですね。単位が必要なので授業にも出ないといけないですし、その上で論文も書かなければならなかったので、それなりに大変でした。
──それでも、引退後のキャリアを考えて選手の頃から動くべき?
2つの考え方があると思います。一つは選手の時は結果を残すことに100%の時間を使うべきという考え方。もう一つが、次のステップも視野に入れながら選手活動をやるという考え方。人によって考え方は違いますし、どちらが正解ということはないと思いますが、僕は後者でした。選手の頃から先を見据えていくタイプであり、選手時代から行動してきたほうだと思われている僕も、無駄な時間の使い方をしたなと感じていることもあります。
──現役時代の過ごし方に後悔もあるんですね。
もっと時間を大事にできたはずだな、と。特に、名古屋オーシャンズにいた頃ですね。最後、立川・府中アスレティックFCにいた時は年も重ねていたので、自然と引退後のキャリアを考えていましたが、名古屋の頃は25歳から29歳くらいで、代表にも選んでもらっていたので、次のキャリアまではイメージできていませんでした。自分の引退後について深く考えていなかったので、フリーの時間をダラダラと使ってしまった。もっと時間を有効活用してやれることがありましたね。
──名古屋であればプロの環境ですし、結果を残すことだけに100%の時間を使う選手が大半だったと思います。そうした選手はどのような時間の使い方をしていたのですか?
プロ選手は休むことも仕事ですからね。休息に充てたり、自主トレで体を動かしたり。また名古屋はトレーナーが朝から晩までアリーナにいたので、午後の練習がなくてもケアをお願いできました。チーム専用のジムで筋トレもできますし、ピッチも空いていれば自主練ができる。ほとんどの選手がゆっくり休んでいるか、ケアか、自主トレをするかでしたね。自分の体のために料理をする選手もいましたし、自分のパフォーマンスのために時間を使っていました。
──それでも、渡邉さんはもっと有効活用できたと感じている、と。
僕は、「休息」と「ダラダラ」は紙一重だと思っています。結局、休息の時間でテレビを見たり、携帯をいじったり、目的もなく出かけてお茶をして、ご飯を食べて帰ってくるという過ごし方もしていました。今の考え方で25歳に戻ったら、休息しつつ、もっと勉強したり、資格を取ったり、将来に向けた時間の使い方ができたと思いますし、振り返ってみると、そうしたかったな、と。
──空いている時間をどう使うかは、現在のFリーガーにも参考になると思います。選手はどんな考え方で日々を過ごすべきでしょうか?
スポーツ選手はチームに求められなくなったら終わりなので、いつ引退することになるかが不確定な職業だと思います。とは言え自分もそうでしたが、一番体が動く20代の前半から中盤に引退後をイメージできないからこそ、行動を起こしにくい部分はあると思います。なので、深く考えすぎるのではなく、まずは自分の興味があることを空いている時間にやってみるといいのではないでしょうか。
その簡単な方法が読書ですね。興味がある人や分野の本を読むことがいいですね。他にも、手始めにやれることをやってみるのもいいと思います。誰しもが引退する時は訪れますから、それに備えたアクションを起こしてマイナスになることはなにもないはずです。
もちろん、仕事をしながらプレーをしている選手であれば、今の仕事を一生懸命やることが将来につながってくると思います。
──現役選手に伝えたいことはありますか?
僕自身、現役選手のうちから大学院に通って準備してきたことが、今回の監督就任という自分のやりたかったことにつながりました。現在、現役で戦っている選手たちは、フットサルに全力で取り組むことは大前提で、さらに先のことを見据えながらチャレンジしてもらいたいですね。いつか必ずチャンスがくると思うので、ぜひ若いうちから自分の可能性や、その先のキャリアを広げるためにもトライしてほしいです。
──渡邉さんも実際、引退後はめちゃくちゃいろんなことをしていますよね?
スクールや海外遠征のアテンドなど、今は全部で6つくらいやっています。個人事業主だからこそ、常に新しいことをやっていかないとなにかが終わった時になにもなくなってしまうという怖さがあります。現代は、今までやってきた仕事がいきなりなくなったり、1年後になくなったりすることもありますから、新しいことを始めて、なにかがなくなっても大丈夫という状況にしておきたいとも考えてきました。
ただし、一つのものを極めて誰にも負けない強みにするという選択肢もありますし、そこの難しさは引退してからの3年で感じています。くらしき作陽大学での活動をメインにして腰を据えるのは、僕自身新しい段階にきたと考えています。
──一つのことに注力する時期にきた、と。
そうですね。選手時代の時のように、一つのことをガッとやるフェーズに入ったと思っていますし、引退後の3年間の経験が必ずプラスに働くと思っています。
──最後に、今後の目標を教えてください。
大学のフットサル部としては、大学日本一になることが目標です。ただし、それを達成することだけが目標ではありません。自分がプレーしてきた経験を伝え、Fリーグや日本代表で活躍する選手を多く輩出したいとも考えています。
それと、全国的に強豪校とされる作陽学園高校が同じ法人なので、高校から大学までの7年をかけてフットサルを教えることができたら、いい選手を育てられるんじゃないかな、と。どんな選手であればトップリーグで活躍できるかは僕自身わかっているつもりですし、今後は「作陽学園出身の選手はすごい点を取る」とか、「見ていておもしろい」と思ってもらえるような選手を育成していくことが大きな目標です。
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