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作成日時:2024.08.09
更新日時:2024.11.04

【連載】その4 勝てないカスカヴェウ/その5 伝説のリーグ誕生前夜/その6 伝説のリーグ誕生|第3章 カスカヴェウの逆襲|第1部 黎明期|フットサル三国志

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【連載】フットサル三国志|まとめページ

第1部 黎明期

第3章 カスカヴェウの逆襲(2000年2月~2001年2月)

その4 勝てないカスカヴェウ
その5 伝説のリーグ誕生前夜
その6 伝説のリーグ誕生

その4 勝てないカスカヴェウ

2000年5月、第2回FDCカップが開催された。前回と同じ山中湖スポーツセンターで決勝大会が行われたが、決勝戦はなんとカスカヴェウ対ウイニングドッグであった。昨年末の選手権関東予選以来の再戦で、またしてもウイニングドッグが3-2の粘り勝ちで優勝を飾る。まだ、カスカヴェウの傷は癒えていない。

続いて2000年6月に「コパジャル2000」が開催された。コパジャル(JAL CUP)は以前紹介した日本人チーム対日系ブラジル人チームが対決する大きな大会に成長した。関東の出場チームはカスカヴェウ、ファイルフォックス、ウイニングドッグ、ガロ、プレデター、それとフットサル世田谷、キューピーなどである。

フットサル世田谷は以前紹介した施設の名前が冠のチーム、キューピーは第2回の関東リーグに参入した千葉のチームで、のちに柏フットサルクラブRAYOとなる。選手には小竹洋一、亀井靖之、丸太洋介などの千葉県選抜を擁していた。東海、関西勢では、MINATODANI、アスパなどが出場した。

対する日系ブラジル人チームは、イパネマズKOWA(前回優勝)、CIBRASIL(リーガ天竜1部)、FujiNippon(リーガ天竜2部)などである。CIBRASILは、今回特別に日本人チームのMAGと合同チームで参加した。MAGはのちに関西からスーパーリーグに参加するほど精力的にチーム強化に取り組み、藤井健太、鈴村拓也、丸山哲平(のちに名古屋オーシャンズ)などを擁して、ついには関西の雄となり、シュライカー大阪へと発展するチームである。カスカヴェウは昨年2位であったし、ファイルフォックスや他にも関東、関西の強豪チームが出るだけに勝ちたい大会であった。

しかし結果は、昨年に続いてイパネマズKOWAが優勝、2位にカスカヴェウ、3位にファイルフォックスであった。カスカヴェウは、いつもの甲斐、市原、相根、遠藤を擁するものの、今回は前田を欠いたことと、2日間の試合を10人で回さざるを得なかったこと、監督がいないことなどの弱点が浮き彫りになった大会であった。

MVPは比嘉リカルド、ベスト5にはダニエル大城、難波田、甲斐、ゴールキーパー定永が選ばれた。またしてもカスカヴェウは勝てなかった。また、残念ながらと言うべきか、予選ブロックの組み合わせの都合でカスカヴェウ対ファイルフォックスの対戦も実現していない。以降、運命の選手権、第6回大会まで両者が対戦することはなかった。なぜなら、本来であれば対戦するはずの都リーグには手続きの関係でカスカヴェウが参入していなかったからである。

さて、お宝写真は、比嘉、難波田、大城の表彰の写真である。比嘉は現在もFリーグで監督を務めるなどしてお馴染みであるが、大城はどうしているのだろうか。兄のエジバウドと群馬県大泉にブラジルフットサルセンターなるコートをオープンして、日本人にブラジルフットサルをもたらす貢献をしたことは紹介した。

実をいうと筆者は2003年1月、日本代表のブラジル遠征を応援にいった時、すでにブラジルに帰った彼を尋ねたのであった。サンパウロから車で約1時間ほど北へ向かったところにスザノ市があり、そこで日本人留学生を預かるフットサルスクールを開いていた。屋内コートを持ち、留学生を近くのマンションに留めて、熱心に指導していたことを思い出す。

もう1枚の写真は、筆者が撮影した、彼が日本代表対ブラジル戦を観戦に来た時の写真である。隣にいる人物は、日本に帰化し、サッカー日本代表にもなった呂比須ワグナーである。

さて、イパネマズKOWAはその後も5連覇を達成した。日本人チームの優勝は女子のほうが早く、2002年の第5回大会でパラレッズが優勝している。

その5 伝説のリーグ誕生前夜

2000年7月、チーム勃発から4年が経過し、固まってきたかに見えたフットサルの群雄割拠は新たな展開を迎えることになる。それは神奈川ではエスポルチ藤沢の競技フットサルからの撤退と、ロンドリーナへの発展、ブラックショーツの台頭、東京では同じく府中水元クラブから府中アスレティックFCの独立などである。

この動きは10月に開催されることになるスーパーリーグの誕生と無縁ではない。2回のアジア選手権、アトレチコミネイロとFCバルセロナの来日、カスカヴェウとアスパのブラジル遠征などの経験を通じて、日本の競技フットサルのレベルと世界のフットサルとの間に大きな差があることを、選手自らが強烈に感じ始めたのである。

そして、その差を埋めるためには都県レベルのリーグではない強豪チーム同士の、しかも通年のリーグが必要であった。今でこそ地域リーグ、全国リーグのFリーグが当たり前のように存在しているが、この頃、関東リーグはまだ年1回の開催であった。

2000年7月、スーパーリーグ誕生の前ぶれとして、まず、エスポルチ藤沢の関野淳太が動く。関野は関東リーグに参加したものの、エスポルチ藤沢に物足りなさを感じていた。関野は分離独立したカスカヴェウの活躍を横で見ていたわけであり、続いて自分もと思ったであろうことは容易に想像がつく。

そして、カスカヴェウと同様、関野がサッカー留学していたブラジルの街LONDRINAの名前にあやかり、「P.S.T.C.LONDRINA」(ロンドリーナ)を立ち上げる。「P.S.T.C」とはブラジルパラナ州のサッカーテクニカルセンターの意味で関野が立ち上げ時のアドバイザーを務めたこともあり、P.S.T.C.の日本での認知度を上げる目的でチーム名に採用した。

メンバーはほとんどエスポルチ藤沢から移っている。この結果、エスポルチ藤沢は存続こそしたものの、競技フットサルから一線を退いてしまった。

ブラックショーツは、それぞれのチームでフットサルをやっていた神奈川の選手たちが、強いチームをつくろうと上原正和(神奈川の強豪チーム、US)、多田大輔(エスポルチ藤沢)、吉田覚悟(ウイニングドッグ)、長尾進也(カスカヴェウ)らが結集したチームで本格的に競技フットサルに参入することになる。スーパーリーグの参戦は2年目であったが、この年の神奈川の選手権予選ではロンドリーナを破り、関東予選へ進んでいる。

お宝写真は、そのブラックショーツの集合写真である。監督兼選手の上原(前列右端)や、多田(後列右から3番目)、吉田(前列右から2番目)、長尾(後列右端)である。ブラックショーツは、関東リーグには第2回から神奈川代表で参入した。

栄枯盛衰の三国志の中では、ファイルフォックスと並んで今もなお1部で存在感を示している。日本の最強エースと呼ばれた森岡薫(ファイルフォックス、名古屋オーシャンズ、ペスカドーラ町田など)がこのブラックショーツで本格的に競技フットサルにデビューしたことを知る人は少ない。

その6 伝説のリーグ誕生

2000年8月、東京では府中水元クラブから府中アスレティックFCが分離独立をする。もともと、府中水元クラブは本来サッカー主体のクラブであったが、フットサル専従とするため、中村兄弟を中心に独立したのである。したがって、府中アスレティックFCが関東リーグにお目見えするのは、カスカヴェウと同じく東京都リーグを経由する必要があるため第4回からとなった。

2000年10月8日、いよいよ関東リーグに先駆けて関東の強豪チームが集まる通年のフットサルリーグ「スーパーリーグ」が立ち上がった。サッカー協会などの公認を受けたわけではなく、民間のリーグである。

設立に同意、参加したチームは、独立したロンドリーナと府中アスレティックFC、カスカヴェウ、ガロ、ウイニングドッグ、プレデターの強豪チームばかりであった。運営は、これら参加したチームで構成するスーパーリーグ運営実行委員会で、リーグの顔として甲斐が代表を務めた。また、実質的に運営を切り盛りする事務局はプレデターの塩谷竜生、府中アスレティックFCの中村恭平が担当した。

また、フットサルの専門雑誌フットサルマガジン ピヴォ!と、フットサルポータルサイトのフットサルネットがメディア協力することになった。

コンセプトは、最初にも述べたとおり競技フットサルのレベルアップであり、選手の育成、最終的にはプロリーグ設立環境の整備であった。これは、フットサルにのめり込んでいった選手たちの素朴な夢であり、目標であった。それを選手たち自らで達成しようというわけである。今でこそFリーグがあるが、当初からメディアを巻き込み、集客に努めるなど運営にもアイデアを凝らし、協会主導でない自由な運営スタイルを試みたものである。

当時はまだ、室内体育館の確保は難しく、開幕戦は残念ながら室内ではなく、ミズノフットサルプラザ藤沢の人工芝で行われたが、特設の観客スタンドを設け、売店を出したり、タレントチームのエキジビジョンマッチ(フットサル好きのタレント袴田吉彦が参加)など、見るスポーツを意識したものとなった。

なお、これを機会にカスカヴェウはバンフスポーツの協力を得て、クラブチーム化のコンセプトも打ち出している。名称も「CASCAVEL BANFF SPORTS」と改めた。以降、プレデター、府中アスレティックFCなど、クラブの法人化を模索する動きが出てきたことも進歩であった。もっとも、Fリーグと連動して具体的になるにはまだまだ時間が必要であった。

ところで、賢明な読者ならおわかりであろう。ファイルフォックスが参加していないのである。設立にあたって関係者が勧誘したが、いずれ関東リーグが通年リーグになる想定のなかで、公式リーグと競合するリーグに参加するのはいかがなものかということで賛同が得られなかったという。選手権2連覇のプライドが邪魔をしたのかもしれない。この結果、またしてもファイルフォックスとカスカヴェウの直接対決は選手権予選まで待たねばならなかった。

さて、注目の優勝の行方であるが、そのカスカヴェウが、最終試合、最下位のガロに勝つか引き分ければ優勝という状況で残り1分まで3-3のイーブンであった。またしても勝てないカスカヴェウかと思われたその時、パワープレーに出た市原がハーフウェーライン付近から糸を引くようなシュートを一閃、これが決まって4-3、そのまま勝利して優勝という劇的な幕切れとなり、伝説のリーグの初回は終わった。

そしてそれは、カスカヴェウの逆襲の始まりでもあった。

今回のお宝写真は、スーパーリーグのムック本「毎日ムック・フットサルのすすめ」(発行/株式会社日刊企画、発売/毎日新聞社、2001年8月30日発行)の表紙である。残念ながら、初回にはムック本はなく、翌年の2001年版である。しかし、当時としては画期的なもので、これを持っている人は通であること間違いなし。フットサルの魅力を語り、2001年の出場チームの紹介、それぞれのチームのキープレーヤーのプロフィール、インタビュー、関係者の熱い応援メッセージなど、フットサルを世に出そう、盛り上げようという熱気が感じられる全113ページの力作である。

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