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作成日時:2024.10.10
更新日時:2024.10.11

【村山正道×皆本晃|特別対談】「“立川と言えばアスレ”に」立飛ホールディングスと描く未来|Fリーグクラブ特集

PHOTO BY伊藤千梅

立川アスレティックFCのホームゲームに足を運んだことがある人であれば「立飛」という名前に大きな既視感を覚えるだろう。多摩モノレールの「立飛駅」や、そこから徒歩30秒の好立地にある「アリーナ立川立飛」はもちろんのこと、駅の反対側にある「ららぽーと立川立飛」など、いずれも「立飛」が入っている。

立飛とは、地名ではなく社名のこと。すべて立飛グループの敷地内にあるのだ。

立川駅北側に開放されている「グリーンスプリングス」から多摩モノレールに沿って立飛駅に向かう周辺、およそ東京ドーム21個分に相当する98万平米の土地が同社の所有地である(94万平米が当初からの所有地で、立川駅北側の約4万平米が国有地を取得したもの)。

昭和初期、この地には日本初の国際空港「立川飛行場(東京飛行場)」が存在し、後に移転して羽田空港となっていった歴史がある。その飛行場の隣にあった「立川飛行機」は戦前、戦中は飛行機を製作し、戦後は社名を変え不動産業を行ってきた。

2010年、村山正道氏が第12代目の社長に就任した後、グループ事業の再編により、2012年から「立飛ホールディングス」として生まれ変わった。

アスレの今は「立飛」なしに語ることはできず、もっと言えば、村山氏なしには語れない。

クラブはこの7年間で「府中」から「立川・府中」、そして「立川」とホームタウン移転を遂行した。特にこの2年半は、皆本晃選手兼代表理事をリーダーに据え、アスレは立飛と志を共にして突き進んできたと言える。

皆本が村山社長と出会わなければ、あるいは立川に立飛がなければ、今のクラブの歴史はない。進化を遂げるアスレを知る上で、2人の物語と想いは切り離せないのだ。

そんな両者の“等身大の掛け合い”をお届けする。

取材・文=本田好伸



「知らないお店にアスレのポスターが貼ってある」(村山)

──立飛ホールディングスは、アスレがホームタウンに「立川市」を加えて「立川・府中アスレティックFC」となった2018シーズンから支援していて、ユニフォームの胸にも「TACHIHI」のロゴが入っています。お2人が出会ったのはいつですか?

皆本 2017年にアリーナ立川立飛がオープンした頃、正式に支援のお願いでご挨拶しました。自分はまだ代表理事ではありませんでしたが、当時のクラブの会長と一緒に伺いました。

村山 そうそう「当時人気ナンバーワンの選手を連れて来た」ということでした(笑)。

皆本 当時はやべっちFCなどにも出演していましたし、人気も実力も日本トップクラスを自負していた、自分にとってはピークの時期だったので(笑)。

──やべっちFCの人気投票でも1位を獲得し、日本代表でキャプテンも務めていました。

村山 そんな時もあったね(笑)。

皆本 その場に同席させてもらってから、今までずっとかわいがってもらってきました。

村山 人気がありますって顔をしていた(笑)。アピール上手でもあったと思う。ただ、本当に感心しているんです。私が立川界隈のお店で呑んでいると、そこにやって来て営業活動している姿を見てきたので。

皆本 ところかまわずお会いしましたよね(笑)。

村山 皆本さんが、夜な夜な飲食店を巡っていたんです。知らないお店に入ってもアスレのポスターが貼ってあるのを見て「ここにも皆本が来ている」と。商店街や小学校を含めていろんなところを訪れていますけど、そうした行動がすごく大事ですから。皆本さんはもう実業家と言っていいですよね?

皆本 実業家の顔もあれば選手の顔もあるので、その2つの顔を都合良く使い分けています。もうすぐ一本に絞るつもりですけどね。

村山 泣きついてこないでね(笑)。

皆本 たぶん……(笑)。そうならないためにこの数年、選手をやりながら事業面でも軌道に乗るように意識してきましたし、選手のメリットを生かして応援してくれる人も増えました。立川で選手としてプレーしていて代表理事もしていますとご挨拶することで、覚えてもらいやすいですからね。でも本当に、立川に来た時は右も左もわからず、知っている人もいない状況でしたから、村山社長を頼って何から何までお世話になり続けてきました。

村山 それなのに、試合に応援に行くと負けるんだから(笑)。残り2分で2点リードしていたところから追いつかれたこともあった。

皆本 そうでしたね……。

村山 だから試合には行かないようにしなきゃと。

皆本 そう言いながら来てくださっていました。立川・府中時代にはそんな試合が続いていましたが、今ではホームゲームの勝率もかなり上がりました。村山社長に来てもらった試合でも、ここ最近は負けてないですよね?

村山 そうかもしれないね(笑)。

皆本 応援してくださる方が増え、ホームアドバンテージを出せるようになりました。選手の顔つきを見ても、アリーナ立川立飛では誰一人、負けるとは思っていません。

村山 そうした気持ちはすごく大事だと思う。

皆本 自分も選手たちに「ホームなら勝てる」と伝えてきました。「ホームでは絶対に勝たないといけない。そうしないと未来はない」と。結果を出せるようになって良かったです。

村山 日本のフットサルはどうなっていくの?

皆本 それは、僕次第です。そういう気持ちで取り組んでいます。

──アスレのホームゲームでは、昨シーズンの観客動員数が平均1374人で前年から225人増え、今シーズンも平均1500人を超えています。2023シーズンに行った男女共同開催の「青夏2023」では2031人を記録しました。

村山 弊社が支援しているB3の立川ダイスには、「集客は皆本を見習え」と伝えていました。それでもなかなか結果が出ないところから、ユニフォームを子どもにプレゼントしたり、スティックバルーンを渡したり、子どもを無料にしたりして、今では平均2000人を超えて観客動員数もB3で2位になりました。お客さんが増えると、選手のプレーも変わってくるよね。

皆本 いざという時に、お客さんの後押しは本当に大きいと感じます。審判にプレッシャーもかかったり、相手に与える影響も違ったり、自分たちへのプレッシャーもあったりするので、選手の動きは全く違うものになりますね。

村山 皆本さんは「練習場も必要」とずっと話してきたよね。

皆本 専用練習場の建設は2028年を目指しています。その年に全選手プロ化と、それまでにFリーグ優勝を実現できるようにという目標を定めて、順調に進めています。

村山 うちも5000人のアリーナを建設予定だからね。

皆本 それはぜひとも、アスレの試合でも使わせてもらいたいです。ただし、そのためには毎試合5000人を集められるくらいじゃないと貸してくださいとは言えないので、今は毎試合毎試合、必死にお客さんの数を積み重ねられるように取り組んでいます。



「目先の利益や、社会的に意味のないことはやらない」(村山)

──アスレが「立川」となっていく過程で、村山社長の存在が大きかったと感じます。

皆本 ホームタウンを変えるのは簡単なことではないと思っています。僕らのクラブが「府中」から「立川・府中」となった際もさまざまなご意見をいただきましたし、立川の人たちからは「いつ、立川に来るんだ?」とも言われてきました。その時にもずっとかばってくれていたのが村山社長です。立飛さんの社内の声に対しても、僕らへの厳しい声を緩衝していただきました。ただ長くは続かないと思っていましたし、僕自身ここで新しく勝負したいな、と。なによりも村山社長と共に新しいステージに行きたいと一念発起して「立川」に移転しました。

村山 弊社はもちろんアスレを応援していますけど、チームを応援するというより、まずは「俺が応援するのは皆本だ」という感覚でしたから。最初は「立川・府中」でもいいと思っていましたが、社内で「立川」がいいという声も大きくなっていった。ただ、これは私自身が10年以上前から話していますが、立川という街の可能性は間違いなく大きい。

根拠は、弊社が所有する約94万平米の土地があったからです。民間が100%の権利をもつ広大な土地を開発すれば、劇的に変えることができるだろう、と。この10年は控えめにやってきましたけど、だいぶ変わってきましたね。

皆本 控えめでこの規模ですか(笑)。

村山 人は急激な変化は望まないですから。5年ごとに飽きさせない取り組みをしてきました。

<所有地の商業施設や芸術・文化・スポーツ施設> ※主なもの

2015年12月「ららぽーと立川立飛」開業
2016年8月「大相撲立川立飛場所」開催
2017年7月「タチヒビーチ」竣工
2017年10月「アリーナ立川立飛」竣工
2017年11月「立川立飛流鏑馬」開催
2018年4月「Fuji赤とんぼ保育園」開業
2018年8月「ドーム立川立飛」竣工
2018年9月「東レ パン パシフィック オープンテニストーナメント 2018」誘致
2020年4月「GREEN SPRINGS」開放
2020年7月「TACHIKAWA STAGE GARDEN」開業
2021年12月「立飛麦酒醸造所(立飛ブルワリー)」オープン
2020年9月「TOHOシネマズ 立川立飛」オープン
2023年5月「ムラサキパーク立川立飛」竣工
2024年11月「MAO RINK TACHIKAWA TACHIHI」運用開始予定

──立飛駅周辺のあらゆる施設の建設やスポーツへの支援、立川駅北側のグリーンスプリングスの開発を始め、この10年間で立飛ホールディングスが手掛けた事業や施設はものすごい数です。その過程で間違いなく街全体が活性化したように感じます。

村山 2015年にららぽーと立川立飛がオープンして、2020年にはグリーンスプリングスを開放しました。この先の構想も進んでいますが、基本的には5年ごとに節目となるものをやりたいと考えています。コロナの影響で遅れてしまったものもありますけど、これまでにやってきたことの成果として、たしかに街の賑わいが出たと感じています。

──村山社長のとてつもない経営手腕を感じます。

村山 今は、利益至上主義や収益至上主義の経営者が多いように感じます。一方で昔の経営者には「損をして、得を取れ」と話す方々がたくさんいました。私は、いい施設、いい取り組みには必ず人がついてくるという信念をもっています。人がついてくるということは、必然的に経済合理性がついてくる。儲けよう、儲けようという取り組みは相手に見透かされてしまいますから、私は儲けようと思って始めた事業や作った施設は一つもありません。

皆本 アリーナもその考えがあって建てられたものですよね。

村山 ららぽーと立川立飛は、若い人が足を運べる商業施設があるといいよねと始まりましたが、最初はあまり人が来ませんでした。そこで、人が集まる施設について考えて建設した一つが、アリーナ立川立飛です。現在は、アリーナに来たお客さんの2、3割がららぽーとに足を運んでいます。アリーナだけの損得を考えると厳しいですが、私たちがもっていた94万平米と、2015年に取得した立川駅北側の国有地の約4万平米を併せて、東京ドーム21個分の98万平米の土地があるので、それを活用するイマジネーションとクリエイティビティが大事だね、と。

東京都内で一団地でこれだけの土地を所有しているのは当社だけという記事もありましたけど、この地域のためにどうやって活用していくのか。お金は、お金のあるところに入ってくるものですけど、世の中の「お金、お金」という風潮はずっとおかしいと思ってきました。私が大事にしていることは「浮利を追わず」の精神と、「人のため、世の中のため、地域のためになるか」という経営判断です。目先の利益や、社会的に意味のないことはやりません。

皆本 そこに、アスレを少し入れてもらったという感じですね。

村山 今の立川の街の賑わいのうち、いくらかは皆本さんがつくってくれていると思います。世の中はバランスが大事ですから、私がやっていることは、芸術と文化、スポーツに関わるところを意識して取り組んでいます。

皆本 アスレとしても、1%でも地域への貢献度を上げられるように頑張ります。

村山 ターゲットはやはり子どもだと思います。地域の人、その中でも子どもたちに、日本の伝統文化もそうですし、本物のアスリートに触れてもらいたい。子どもが小さい時にする経験・体験はその後に大きな影響を与えますし、次の世代を担う子どもにいろんな経験・体験をさせてあげることは大人の責任ですから。

──村山社長の数々の言動と、皆本さんの日々の言動は、すごく共通点を感じます。

村山 それは私の受け売りですね(笑)。

皆本 その通りかもしれません(笑)。ただ、決して村山社長に合わせているということではなく、例えば地域を盛り上げるということは、スポーツチームの存在意義でもありますからね。人のため、子どもたちのため、地域のために貢献したいと考えているのは、クラブも同じです。そこに共感して支援していただいていますし、想いは同じだと感じています。



「優勝して立川でパレードができるように」(皆本)

──立川で村山社長と皆本代表理事が出会い、変革が始まりました。

村山 今は、若い人が立川に集まってきています。世界的に見ても、長く生き残っている街は工業や商業の街というよりも、芸術や文化、スポーツがある街です。やはり、若い人が集まらない街に将来性はないと思っていますから、立川も芸術や文化、スポーツの観点で世界から見て「東京」ではなく「立川」となる日を思い描いています。例えば海外に出かけた時に、現地の方に「立川から来た」と言っても伝わるような、そんなイメージです。

皆本 アスレももちろん、アジアや世界を見据えています。

村山 皆本さんは世界に行けるかな。応援しています。

──では、両者はこの先どのような歩みを進めていくのでしょうか?

村山 それぞれの立場でしっかりとやればいいと思います。弊社の話で言えば、本社がある94万平米の地域は「立川立飛」にこだわりました。一方で、(国有地を入札で購入した4万平米の)グリーンスプリングスがある地域は、世界に発信する気持ちがあるので「立川立飛」を出していません。弊社が所有する98万平米の土地は「社会資本財」だと役職員にも伝え続けてきましたし、我々にはこの土地に対する責任があると考えて取り組んできました。

そうやって続けてきて、たまたま皆本さんと出会った。我々とは違う分野で、しかもスポーツの世界で一生懸命やっていましたし、できる限りの支援をしたいな、と。頼まれると断れない性格なので(笑)。「立川」に対してもそうですし、アスレに対しても、皆本さんに対しても、どこまでやれるのかという期待感しかありません。ところで今はいくつだっけ?

皆本 38歳です。

村山 私の半分、まだまだ若い。ぜひ地域の、人のためになることを続けてほしいですね。

皆本 もちろんです。そういう貢献ができるクラブをつくっていきたいと思っています。

村山 「立川と言えばアスレだね」と言われるように。

皆本 そこは目指したいですね。最近、小学校に訪問すると「(立川)ダイス!」って言われることがたまにあるんですよ。村山社長の戦略もあってか認知を含めてものすごく広がっているので。だから「ダイス!」って言われると、ものすごい勢いで「アスレだよ!」って言い返してやるんです(笑)。絶対に負けられない戦いなんですが、そういう存在がいることでいい刺激になっています。

でも本当に、村山社長にいろんな支援をしてもらってここまできたので、少しずつ恩返しをしたいと思います。その意味でも、この街の発展の一端を担えるように頑張っていきます。

村山 それでぜひ、Fリーグ優勝したらお祝いをしましょう。

皆本 ぜひお願いします!グリーンスプリングスでパレードとか……。普通、NGが出ると思うんですけど、そこは村山社長におねだりして実現できるように頑張ります(笑)。



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