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作成日時:2025.02.06
更新日時:2025.02.07

【独白】監督退任の真実と本音。「こればかりは仕方がない。でも……」横浜・稲葉洸太郎が最後まで選手に伝え続けるメッセージ

PHOTO BY難波拓未

2025年1月3日、Y.S.C.C.横浜・稲葉洸太郎監督の今シーズン限りの退任が発表された。

稲葉監督は、今シーズンからFリーグ監督のキャリアをスタートさせた。2022-2023シーズンから2シーズン続けて7位に終わった古巣チームを初の上位リーグへと導くために、「より強く・カッコいい集団となる」と掲げて強化を始めた。

しかし、負傷者が相次いだ影響から接戦を落とす試合も多く、22節のレギュラーシーズン終了時点で10位と、思うような結果を出すことはできなかった。

選手時代にチームをF1昇格へと導いたレジェンドの“監督1年目”は、道半ばにして、まもなく終わりを迎えようとしている。稲葉監督は今シーズン、どのような思いでチームを指揮してきたのか。課題や、得られた成果とはなにか。

単独インタビューでその胸中に迫る。

※取材は1月17日に実施しました

構成=柴山秀之(ウニベルシタ)
インタビュー=伊藤千梅

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選手時代に考えていたよりもずっと大変だった

──今シーズン限りでの退任となった経緯を教えてください。

退任の理由はいくつかあります。もともとは来シーズンも監督を続けるつもりでいましたが、現在、自分が保持しているライセンスでは、来シーズンのFリーグで指揮を執ることができなくなってしまうことが一番の要因です。継続できる道をいろいろと模索しましたが、現時点でそれは難しいという結論に至り、今シーズン限りで退任することになりました。

──そういった事情があったんですね。

ちょうど、ライセンス制度が変革するタイミングと重なりました。自分としては、日本フットサル界の発展のためにライセンス制度を上位互換していくことは必要だと思っていますし、そこに異論はありません。ただ、不運にも自分のタイミングがそこに合ってしまったということだと思います。

タイミング的にどうしようもないことだと納得している一方で、チームの状態は良くなっていましたし、作り込みが進んできていたので、もう少しこのチームで監督を続けたかったという思いも正直な気持ちです。残念ですが、こればかりは仕方がないですね。

──クラブのリリースでは「選手時代に想像していたよりも大変だったが、やりがいもあった」とコメントされていました。それはどのような部分でしょうか?

監督は、考えることが“一人称”ではありません。自分がピッチに立ってプレーできるわけではないので、選手時代と比べてあらゆることを細かく想定して選手に伝えています。

フットサルというスポーツは全員が共通認識をもたなければ試合ではうまく戦えないので、試合映像をめちゃくちゃ見ましたし、分析した映像をまとめたり、対策をして相手によって練習メニューを変えたりしてきました。自分の考えをチームに落とし込むために多くの時間を使っていました。

自分にとっては初めてのことでしたが、ハンパない作業量でしたね(苦笑)。

──そんな大変な準備自体もやりがいではあった。

そうですね。実際には、いい試合だったけど落としてしまったり、負けた理由がはっきりとはわからなかったりする試合もありました。ただ、試合を見返して考え直すと、あの時もう一歩手前で自分が決断できていれば、もっと早くあれを伝えていれば、もっと早く結果を出せたかもしれないという後悔もあります。

でも、リーグ後半になるにつれてチームが一気に成長したと感じていますし、何かにフォーカスしてうまくいった時はやりがいを感じます。例えば、試合中にタイムアウトを取って、その後のセットプレーで狙い通りにいったり、練習でやってきた戦術がそのまま得点につながったりした瞬間は「それそれ!」と、すごくうれしい気持ちになりますね。



もっと強く、カッコイイ集団になる

──レギュラーシーズンは10位という結果になりました。苦しい時期もありましたか?

思うように結果が出ない時期は苦しかったですね。開幕節はすみだに勝って、その後の湘南には引き分けでしたけどいい内容で、その後も敗れることはありつつも、第6節で名古屋に引き分けるなど、序盤戦は悪くない試合もありました。ただし、いい内容でも結果が伴わない試合も多く、連敗も増えていました。

試合へのアプローチの仕方は悪くないと感じていた一方で、決定機があっても決めきれず、戦術ではない部分やトランジションで負けてしまうことも多くありました。

リーグ終盤にかけてはそうしたところにフォーカスして取り組んでいます。

結果的に上位リーグに進めなかったことは心苦しいですし、このチームをもう少し上の順位に導きたかった。そこに入っていけるチームだと思います。レギュラーシーズン10位で終わりましたが、ファイナルシーズンではそこから7位を目指したいと思います。

──チームの成長を感じていますか?

それはもう、すごく。戦えるようになって、自分たちの引き出しも増えていると思います。序盤戦は、ビッグチャンスの数に比べると得点数が少なかったので、明確に「ゴール」が課題でした。ただし、シーズン中はシュート練習だけをやれるわけではないので難しさがありましたが、みんなの狙いがそろってきたこともあり、徐々に点を取れるようになり、積み重ねを感じています。セットプレーでの得点が増えてきたこともとても手応えがあります。

──今シーズンの監督就任時には「より強く、よりカッコイイ集団になりたい」と話していました。それはどれくらい達成できたと感じていますか?

今は「強くカッコイイ集団」になれていると思います。選手たちは、“見られる意識”をもてるようになってきました。それはピッチ上のことだけではありません。

例えば、ゴミが落ちていたら拾うとか、土足禁止のところでスーツケースを引かないとか、そんな当たり前のことを当たり前のようにできることも、すごく大切です。

一方で、試合中にはまだまだ粗く、気持ちをコントロールできないこともあります。第19節のしながわ戦では、3人の退場者を出してしまいました。そういった出来事があると、自分の言葉をチームに浸透させられていない無力さを痛感することもあります。選手には今後、自分がクラブを離れても、より強く、カッコイイ選手を目指してほしいですね。

──残りのシーズンも、最後まで“稲葉イズム”を落とし込む。

そうですね。残りのファイナルシーズンと全日本選手権の期間で、人間性や振る舞いについては、これまで以上に選手に求めていきます。

今シーズンは、プレーについてはもちろんのこと、物事の良し悪しなど、自分がもっている基準を監督として選手に厳しく伝えてきました。ですから、残りの期間では、さらに「強く、カッコいい集団」になるために取り組みを続けたいと思っています。

ピッチ内でも選手たちがより良いプレーができるように日々のトレーニングを大事にし、個人・チームともに成長できるような残りのシーズンにしたいです。自分から手離れすることは決まっているので、自分が経験してきた日本代表の基準のようなものを含め、時に厳しく伝えられることは伝え、一緒にいられる残りの時間をより良いものにしたいと思います。

稲葉洸太郎(いなば・こうたろう)

1982年12月22日生まれ、東京都出身。元フットサル日本代表。21歳で当時最年少で日本代表に選出され、2008年、2012年と2大会連続でFIFAフットサルワールドカップに出場。合計5得点をマークし、W杯日本人得点王の記録をもつ。フットサルアジアカップには、2004年、2005年、2008年、2012年の4大会に出場し、2014年にはアジアチャンピオンにも貢献した。Fリーグではバルドラール浦安、フウガドールすみだでプレーした後、2018-2019シーズンからF2のY.S.C.C.横浜へ移籍。2年目にクラブをF1昇格へと導き現役を引退した。その後、2020年からJFAフットサル普及担当コーチに就任し、フットサルの普及にも関わっている。2024-2025シーズンにY.S.C.C.横浜の監督に就任してFリーグで初めて指揮を執るも、ライセンスの規定変更などの理由により1シーズン限りで退任となった。フットサルスクールやフットサルコート運営事業なども手掛けている。

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