更新日時:2025.06.07
「想像できることは、だいたいできる」。フットクラウン社長・牟田口勇人の生き様|日本一のユニフォームメーカーへの軌跡
PHOTO BY伊藤千梅
フットボール業界で“型破りな生き様”を描く男、牟田口勇人。
元Fリーガーという肩書きをもちながら、フットボールブランド社長、イベント主催者、YouTuber、アーティストなど、多方面で活躍するエネルギッシュな人物。
6月7日の興行も、業界内で話題だ。
イタリア・ローマ選抜を招いて開催する「FUTSAL HEROES(フットサルヒーローズ)」は日本のトップレベルのフットサル選手を招集して行う稀有なイベントである。
📣いよいよ明日開催📣
FUTSAL HEROES 7.0
🇯🇵チケット情報🇮🇹次の相手は
フットサルセリエA軍団”ローマ選抜”ワールドクラスの強敵に立ち向かう。
”フットサルヒーローズvsローマ選抜”2
日時/2025/06/07(土)
17:00kickoff予定
会場/兵庫県宝塚市立スポーツセンターhttps://t.co/Niv0ByriI2 pic.twitter.com/DePJJPk65f— フットサルヒーローズ/FUTSAL HEROES (@futsal_heroes) June 6, 2025
彼が立ち上げたフットボールブランド「FOOTCROWN(フットクラウン)」は活動の軸となるものであり「フットクラウン=牟田口さん」、あるいは「ムタ社長」は、業界内外に着実に浸透している。
牟田口氏はなぜ、こうもパワフルなのか。情熱と想いを形にする意思の強さは、どこからきているのか。フットボールでビジネスを展開する才覚はどのように培われたのか。
彼が描く壮大なビジョンとは何か──。
インタビュー=本田好伸、伊藤千梅
編集=本田好伸、柴山秀之
写真=伊藤千梅
【緊急開催】
フットサルヒーローズ:プレゼントキャンペーン
特製ユニフォームを5名様に!6月8日 23:59まで
3年で400チームのユニフォームを製作
──元Fリーガーがフットボールブランドを立ち上げること自体は、それほど “珍しくない”時代になりました。牟田口さんはどうして「フットクラウン」を始めたんですか?
デウソン神戸を退団してから、YouTubeで「中国からの輸入ビジネスのやり方」をたまたま見つけて「あ、これいけるな」って(笑)。
──まさかのYouTubeですか。
そうです、そうです。
──もともと仕事のノウハウもあったんですか?
いや、ないですね。ただ、ブランド自体はデウソン神戸サテライトにいた時に立ち上げていました。それに、大学を卒業して社会人として働いていた当時、入社後すぐの2014年の夏には起業しているんです。フットサルをしながら、社会人をしながら、自分で会社も。
──すごい。では、勤めていた会社がアパレル関係とか?
いえ、トランクルームのレンタルとか、物件開発とか。
──全然関係ない(笑)。
それで、会社に自分で起業したことがバレて、他にも理由はありましたけど、半年で会社をやめることになりました。フットクラウンのルーツはそんな感じです。
──だいぶ型破りですね(笑)。
当時、起業した会社で作っていたフットクラウンは、それを拡大させていこうというよりかは、自分の着る服を自分で作るくらいの規模感でしたね。そこから話が飛んで、さっきお話ししたYouTubeを見てから、ブランドをもっとスケールさせていこうと考えました。
──最初はユニフォーム製作ですか?
自分で立ち上げたチームのウェアを安く作ろうっていう感じですね。シルエットや生地感、ロゴの大きさもそうですし、あの工場だとこの仕様はできないとか、こっちの工場ならできるとか、工場との調整を含め、あらゆることを自チームでテストマーケティングしていきました。不備があれば何度も修正して、改良して、1年くらい試行錯誤していましたね。
──そしてこれならいける、と。
僕も選手なので、競技者が感じているようなユニフォームの良し悪しはわかるので、「これはまだまだ」「この商品は出せない」とか、肌感覚としても理解しています。そうした繰り返しのなかで、選手にも意見を聞いて「これ、かっこいいですね」とみんなが言い始めてきたので、「世に出せるタイミングがきた」という感覚になりました。
──ユニフォーム販売で大切にしていることはありますか?
なんでしょう、自分でやること、ですかね。例えば、他のメーカーさんのテンプレートや規格を使わせてもらって、卸して販売することはしたくなかった。他のブランドには絶対に頼らないという意地ですね。負けず嫌いなので、自分で何とかしたい、自分でやりたいという気持ちは強くもっています。国内で言えば、それこそミズノさんやアシックスさんといった大手スポーツメーカーと比べるとちっぽけですけど、意地でやってきたとは思います。
──フットクラウンは、かなり認知されてきましたよね。
まだまだですけどね。もちろん、数字としては3年で400チームのユニフォーム製作という実績を出しました。でもそれは、自分の中でしか喜べない小さな土俵でのことですから。
──今では、いろんな商品や活動へと広がっています。
これは僕の性格が大きいかもしれません。誰かとしゃべっていても、一つの言葉からたくさんの想像力が生まれて、話の本流に戻れなくなることがよくあって(笑)。
──なるほど。
だから、常にいろんなことが頭を駆け巡っているわけです。よく、「経営者はやらないことを決めろ」とも言われるんですけど、それがすごく苦手で(苦笑)。
その分、あれもこれもやりすぎて失敗してやらなくなったこともたくさんあるんですけど、最初に思い浮かんだら、それを「やらない」という選択肢はなかなか取れないですね。
そんなわけで、あらゆることに手を出しているという感じです。
──「フットサルヒーローズ」もそうですよね。
まさにそうですね。フットサル選手がもっと自由に盛り上がれる場所をつくりたいと思って始めたのがフットサルヒーローズでした。
自分が何かやりたいと思っていても、Fリーグや関西リーグでは実現が難しいこともあります。僕自身もFリーガーでしたし、中の環境を理解しているつもりですから、オフィシャルとは異なる舞台でやれる興行を生み出したいな、と。自分自身が始めたチャレンジでどれだけの盛り上がりをつくり出せるのか、これも“自分でやる”という意地ですね(笑)。
【緊急開催】
フットサルヒーローズ:プレゼントキャンペーン
特製ユニフォームを5名様に!6月8日 23:59まで
なぜ、フットサルヒーローズを続けるのか?
──6月7日の開催で7回目を迎えます。
今回は「1000人が集まらなかったらやめる」と公言しているので、観客動員できなければ解散となってしまいますけどね。もちろん、続けるのは簡単ではありませんでした。
──特に、フットサルヒーローズは競技のファンに向けているというところも。
そうですね。まさにそこは、あしざるFCさんがやっているようなターゲットとも明確に異なるものですし、フットサルヒーローズはFリーグと切り離せるものではないと思っています。すでにFリーグを見に行っている人や、元選手のファンが観客の中心です。
そう考えると、Fリーグの規模感が、そのまま僕たちの規模感になってきます。
──想いだけで続けられるものではない。
もちろんそうです。想いだけでやれたらいいですけどね。1回の開催である程度の費用が必要ですし、その資金をどのように捻出するのか、どのようにスポンサーを集めるのか、日付はいつか、場所はどこかと、実施までにはあらゆる過程でハードルがあります。
経営者の視点で言えば、簡単にゴーを出せないことは事実ですね。
──それでも、ゴーを出し続けてきた。
それこそが、先ほどお話しした自分自身へのチャレンジですね。究極的に言えば、自分1人で5000人のお客さんを集められるのであれば、それで成立するということ。
例えば、日本格闘技界を代表するプロモーターでありカリスマの榊原信行さんが『PRIDE』や『RIZIN』を主催したように、榊原さんがアリーナを抑えて、こんなカードでやろうと言えば、新しい座組でもなんでも、1万人以上が絶対に集まるわけです。
僕はそういうものを生み出したいと、本気で取り組んでいます。
──自分が広告塔にもなる、と。
僕はフットサルをやってきて、フットボールブランドを立ち上げて、少し前までキックボクシングをやって、今はボイストレーニングに通って歌を出してと、いろいろやっています。それは極論、自分がやりたいイベントに、自分だけで集客できる状況にしたいから。
“フットサル界”で集められなくても、“自分”で集められたら最高ですよね。
──そこまでして自分でやる理由はなんでしょうか?
これは僕がよく言葉にしている持論ですが、自分が想像できることは、だいたいできる。その想像できる解像度が高くなればなるほど、実現の可能性が上がっていくと思っています。
例えば、これまではどうやったら年商10億の会社にできるか想像できていませんでした。でも最近、サッカー界のサプライヤーの話などを聞いたことで、明確にビジョンを描けるようになりました。今までは4、5人の社員の会社では想像できなかった規模感だったところから、今後どうしたらいいのか筋道を立てることができたわけです。
その時に「自分が想像できる」となる。
そこからリアルに落とし込んでいくわけですけど、自分のやりたいことを現実にしていくことが、自分のなかでの一番大きな源となっているのかもしれません。
中1でサッカーを始めた選手がFリーガーに
──少し原点のお話ですが、牟田口さんはいつからフットボールを?
中学1年生の終わり頃にサッカーを始めました。
──最初はサッカー。しかも遅めですよね。
そうですね。それまではピアノや水泳、習字、体操などを習っていました。小学5年生からは中学受験のために塾に通い詰めていて、勉強ばかりしていました(笑)。
──では、なぜサッカーに?
日韓ワールドカップが行われた2002年に中学1年生だったのですが、サッカー部から「今11人しかいないから入ってよ」と誘われたことがきっかけです。
それまでは帰宅部でしたね。テニススクールに通っていたのですが、サッカーとは無縁の生活でした。同じクラスにサッカー部が4人くらいいたことも入部した理由です。
──いきなりサッカーを始めたわけですね。
まあ、3年間ベンチでしたけどね。最後の大会だけは出場できましたけど本当にヘタクソで。最初の練習で「インステップシュートって何?」と聞いたくらいですから(笑)。でも、もともと負けず嫌いではあったので続けられたのかなと思います。
──卒業後もサッカーを続けたんですか?
高校に進学すると、そのままサッカー部に進む人と、クラブチームに行く人、やめる人がいました。僕が通った高校のサッカー部が「月まで走る」というテーマを掲げていて、3年間で月までの距離(38万km)を走りきるような、とにかく走るチームでした(苦笑)。毎日走りのメニューがあり、それが嫌でサッカー部には入らず、町のクラブチームに行きました。でも、これだと上手にはなれないと感じて、インターネットで社会人のフットサルチームを調べて、当時、大阪府リーグ3部に所属していたフエルテ大阪に入りました。
──そこでフットサルを選んだ。
高校時代はクラブチームでサッカーをしながら、フエルテでフットサルという両方ですね。このままではうまくなれないという思いからフットサルも始めました。
──では「Fリーグを目指す!」とか、そういう感じでもなく?
そんな、まだまだ。Fリーグも、日本代表も見えていない段階でしたし、どちらかというと試合に出たいという気持ちが強かったという感じですね。
──大阪府リーグ3部からFリーグの舞台に進んでいくわけですね。
ただ、サッカーに打ち込んだ時もあります。大学生の時もフエルテでプレーしていましたが、19歳くらいの時にFC鈴鹿ランポーレ(現・アトレチコ鈴鹿クラブ)のセレクションに合格したので、そこから約1年半はサッカー漬けの毎日を過ごしていましたね。
──その後、フットサルに専念するように。
いや、まだ両方やっています(笑)。大阪に戻って関西リーグのサッカーチームにも入りました。FC鈴鹿ランポーレで週5日練習していたおかげで実力がぐんと上がり、フエルテでも試合に出られるようになりました。フットサルに絞ろうと思ったのは25歳くらいです。
──なぜ、フットサルに?
所属していたサッカーチームをやめたタイミングでフエルテに戻ったのですが、もっと成長したいという欲が芽生えて、デウソン神戸のサテライトの練習に参加させてもらうことになりました。
──ちょうどF2のカテゴリーができたタイミングですよね。
そうですね。チームはF1からF2に“自主降格”してカテゴリーを下げていたのですが、残った選手がほとんどいないなかで、僕も10試合くらい出場できました。
夢にまで見た舞台でプレーできましたが、結局は1年でやめることになってしまい、もっと続けたい、もっと試合に出たかったという気持ちはずっと残ったままですね。
正直、デウソンの主力選手と比べてレベル差はあると感じていましたし、Fリーグの舞台には立ったけれど、いわゆる“なんちゃって”という感覚でしかありませんでした。
──その舞台に立てたこと自体がすごいと思いますが……。
いや、過大評価はできなかったですね。自分は地域リーグのレベルくらいまでしかいけていなかったと思います。Fリーグにいたからこそわかるのですが、週5で練習していますから、プレー強度を高く保つことができていたということだと思います。
上位カテゴリーであるFリーグと、地域リーグ、都道府県リーグとの間で、最初に違いが生まれるのは練習強度。シンプルに速く動ける、長く走れるといったアジリティや身体能力など、アスリートの基礎となる部分がなによりも大事だと痛感しましたね。
フットクラウンを、日本一のブランドに
──あらゆることに本気で取り組まれて、突き進んできた牟田口さんの話を聞いていると、変な言い方になってしまいますが、この人はどこまでいってしまうんだろうって。
どうなんでしょう(笑)。ただヘラヘラしているようにも見られるんですけど、常に生きるか、死ぬかですよね。一つの事業が失敗するだけでつぶれてしまうような会社の規模感ですから、喉元にはいつもナイフを突きつけられているような気持ちで生きています。
──軸には常にフットクラウンが?
そのこだわりはないかもしれません。フットクラウンは大事ですし、どんどん価値を高めていきたいと思っています。でも、固執しているわけではないというか。
経営者の視点だと、フットクラウンの価値が高まり、売却益が何億にもなるというのであれば、それこそ売却する考えすらあります。新しいことを動かしていけますからね。
──フットクラウンのその先も描いている?
お金が入った時に何がしたいかとかはまだ見通しがついているわけではありません。どちらかと言えば、やりたいことは勝手にその時に見えてくるかなとも思っています。
例えば、今はタイでもユニフォームを作っていて、本田圭佑さんがプロデュースしている「ソルティーロ」の現地スクール『SOLTILO FAMILIA SOCCER SCHOOL THAILAND』では、フットクラウンのユニフォームを使ってもらっています。
そうした意味でも世界との距離は、僕のなかでは近い。世界に向けた何かをしていきたいとは思っています。「日本」というものをもっと世界に広めることをしていきたいですし、日本がより良くなることをしていきたいという考えは根底にありますね。
【ユニフォームサプライヤー契約締結】
この度、フットクラウンでは
日本フットサル(F2)リーグ所属の
ミラクルスマイル新居浜様と
2025-2026シーズンユニフォームおよび、トレーニングウェアなどのオフィシャルサプライヤー契約を締結いたしましたことをお知らせいたします。 pic.twitter.com/Kydq7M5Hvy— ムタさん/フットクラウン社長 (@muta11muta) March 9, 2025
──だからこそ、まず今はフットクラウンをどこまで広げられるか。
それはもう、本当に。やっぱり、フットクラウンを「かっこいいね」「好きだ」と言ってくれるようなファンを増やしていきたいと思っています。ブランド価値を高めることで今まで知らなかった人たちにフットクラウンが届いてほしいですし、つながりを増やせたらと思います。その結果、フットサル業界がもっと注目されたら最高ですね。
──フットクラウンの野望は?
レアル・マドリードやバルセロナといった世界のトップを走るクラブがフットクラウンのユニフォームを着ることですね。ただこの先、自分が費やせる時間を考えたら、それは現実的だとは言えません。まずは、日本一のユニフォームメーカーを目指していきます。
フットクラウンも、フットサルヒーローズも、誰もやってこなかったところを開拓したい。だから、これからも自分は、いろんな活動を通して、いろんな掛け合わせを考えていくと思います。ヒーローである選手と共に、僕はアーティストとしても頑張りますよ(笑)。