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作成日時:2025.09.19
更新日時:2025.09.19

15人目の日本代表、癒えない悔しさと、涙の後の笑顔。|松木里緒/アジア女王の残影

PHOTO BY伊藤千梅

その瞳から、涙がこぼれていた。

2025年11月、女子フットサル史上初めてのワールドカップが開催される。その出場権を懸け、日本は5月のAFC女子アジアカップに挑んだ。

日本でたった14人しか選ばれない狭き門を通過した一人が、立川アスレティックFCレディースに所属する、松木里緒だ。2023年に代表に初めて選ばれてから2年。悲願の国際大会初挑戦となるはずだった。

しかし、直前の国内合宿で負傷離脱。開催国である中国へ足を踏み入れる前に、松木のアジアカップは幕を閉じた。

直後、SNSで松木は「非常に無念ですが、素晴らしいスタッフと頼もしい仲間たちに想いを託します」とつづった。さらに、その仲間たちがW杯出場権を獲得し、見事優勝を果たした後にも喜びの言葉を投稿。6月に開幕した女子Fリーグでは、10試合で14得点と圧巻のパフォーマンスで復活を遂げた。

その姿は、「次の目標=W杯」を見据え、完全に気持ちを切り替えているようにも見えた。

だが、彼女は今もなお、自らの心と戦っていた。

堰を切ったように止まらない涙。胸の奥に押し込められてきた思いが、言葉とともに溢れ出す。落ち込み、葛藤し、それでも懸命に前を向き続けた“15人目”の日本代表選手は、頬を伝う涙を拭わないまま、最後に笑顔を見せた。

取材・執筆=伊藤千梅
編集=本田好伸

↓【特集】アジア女王の残影↓



監督に告げられた「連れて行かない」

「一言で表すなら、“無力感”です」

選ばれたけれど、行けなかったアジアカップ。大会を振り返った松木は、そう言葉を絞り出した。

松木の選出は、まさに滑り込みだった。2024年11月の国内合宿で追加招集されると好パフォーマンスを見せ、12月も続けて代表入り。しかし3月の全日本選手権でヒザを負傷し、調整が間に合わず4月のタイ遠征は辞退することになった。

それでもメンバー入りを信じてトレーニングを重ね、つかみ取ったアジアカップへの切符。しかし、今度は別のケガが松木をおそった。大会まで2週間を切ったところで始まった国内合宿の練習中だった。

「スプリントをしたタイミングでした。ヒザのコンディションや筋力がいつもの状態には戻っていなかったなか、かばっていた部分がケガにつながったと思います。自分でも“やっちゃった”と感じたのですが、これまでの経験上、そこまで時間はかからず戻れると思っていました」

その感覚の通り、初診では軽度の肉離れと診断された。その後の経過も順調に進んだが、肉離れは再発が多いケガでもある。アジアカップには間に合うかもしれないけれど、再発のリスクがあることを天秤にかける状況になった。

「最終的には、監督が決断しました」

監督とドクターを交え3人で話した上で、最後に決めたのは須賀雄大監督だった。「アジアカップには連れて行かない」と、告げられた。

「今思い出すだけでも苦しいですね……。監督にそう言われても『なんとかなるんじゃないか』と思ってしまう部分がありました。でも、その時の須賀さんの目がすごく真っ直ぐで……受け入れるしかないけれど、諦めきれない気持ちと戦っていました」

国内合宿の途中で離脱が決まり、すぐに離脱をするか、国内合宿の最後まで帯同するかの判断は、松木に委ねられた。結果的にその場で離脱することを決めると、仲間に想いを託して、スタッフに見送られながら滞在先のホテルを後にした。

「同部屋の(追野)沙羅がケアをしているタイミングで荷物をまとめて、何も声をかけずに帰りました。でも、その後すぐに選手やトレーナーの方から連絡をもらって、それをかみ締めながらお家まで帰りました。帰りの電車が一番きつかったですね」

その後は、人生の中でもきつい時期だったと振り返る。

「なかなか周りに話せない苦しさがありました。チームメイトの前でも涙を流さないように、気持ちを落ち着かせてから練習に行ってました」

自分はなぜあの場所に行けないのか。みんなはW杯出場権を手にしてくれるのか。大会の結果次第で変わってしまうかもしれない未来を思い描いては、それを打ち消す。大きなチャンスを逃してしまった事実をなかなか受け止められない。

ただ、松木は気持ちを整理した。

「落ちるとこまで落ちて、あとは上がる」

チームを離脱してから約1週間が過ぎた5月6日、アジアカップが開幕した。

▼独占インタビュー動画はこちら

すべての悔しさは、ピッチで晴らす

松木に寄り添った代表メンバーは、初戦のインドネシア戦の集合写真で彼女がこの舞台で着るはずだった「6」のユニフォームを掲げた。

「そんな話はまったく知らなくて、集合写真を見て知りました。しかも入れ替わりで追加招集された、あきちゃん(池内天紀)が持ってくれていて……国内合宿ではみんなに挨拶ができずに離脱してしまい心苦しかったのですが、一緒に戦っている気持ちになれました」

大会中も、仲間たちとのメッセージのやり取りは続いた。立川のチームメイトであるGK井上ねねと、代表チームのトレーナーで元立川の鎰谷佳恵は、ロッカールームで松木のユニフォームと撮った写真に「行ってくるね」と添えて、毎試合の前に連絡をくれたという。

「選手もスタッフも含めて、みんなが私のことを代表メンバーの一員として認めてくれたことにすごく感謝しています」

試合は、部屋で一人で見守った。時にはイチ視聴者として一喜一憂し、時には一緒に戦っている感覚で、自分をメンバーとして重ね合わせてもいた。

「自分がピッチにいたら何ができるか、どんな役割を果たせるかを考えていました。準決勝のイラン戦でW杯出場を決めた時はすごく安堵感がありましたし、優勝を決めた時は、頼もしい仲間たちだと思う一方で、もっともっとやらないと追いつかないという焦りも感じていました」

その頃にはもう、怪我で出られなかった悔しさよりも、そこにいられない焦りと、「次は自分が」という強い想いが芽生えていた。

大会から1カ月が過ぎた6月14日、女子Fリーグが開幕した。「今シーズンは毎試合の結果をより意識したい」という言葉には、W杯のメンバーに絶対に選ばれるという、強い決意が込められている。

「離脱した際、監督から現時点での評価を伝えられました。フリーランニングの動きや戦術理解は高いけれど、攻撃局面での泥臭さやゴール前で結果を出すことはまだ足りない、と伝えられました。波があってはダメですし、どんな試合でも結果を出せる選手が、代表で求められていると思います」

開幕から10試合で14得点を挙げ、得点ランキングは堂々の首位だ(9月15日時点)。だが、リーグ上位の浦安、神戸と戦った14日、15日の連戦は無得点。

「今までとは違うところを見せたい」と意気込んだ彼女からすると、まだ足りない。“どんな試合でも結果を出せる選手”とは、優勝争いを繰り広げる今のチームで、毎試合毎試合、重要なゴールを決め続けることでしか、進化を示せないはずだ。

インタビュー中、彼女は涙を拭うことなく話し続けた。

アジアカップのメンバーには選ばれたものの、大会には行けなかった。仲間たちが戦うその舞台でプレーしたいと望みながらも、叶わなかった。この経験の意味と価値は、松木だけが知っている。

だから彼女は、前を向く。

「大きなチャンスを逃したマイナス面もありますが、それを乗り越えたことで手にした強さもある。同じような経験は誰もができることではありません。この経験があったから今の自分がいると、誇れるようにしていきたい」

まずはメンバーに選ばれることから。その席が約束されているわけではない。そして、選ばれることがゴールではなく、目指す先はもっと上にある。ピッチに立つことの難しさを、誰よりも知っているからこそ、驕りも慢心もなく、ひたむきに自分と向き合い、結果を出し続ける覚悟が、彼女にはある。

「ピッチでしか表現できないことや、返せないものもある。悔しさは全部、W杯の舞台で晴らしたい」

松木の頬には、流れた涙の跡が残る。ただその顔に、迷いはない。「ピッチに立つ」と真っ直ぐ前を見て話すと、彼女は「泣きすぎですよね」と笑う。その晴れやかな笑顔がきっと、彼女の強さなのだろう。

次は、待ち望んだ“あの場所”で。松木は、自らに挑み続ける。

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