更新日時:2026.02.19
【連載】その4 関東の隆盛とアジアの隆盛/その5 関東リーグ真夏の8連戦/その6 明暗分けたプレデターと府中アスレティックFC|第9章 栄華期の頂点|第2部 栄華期|フットサル三国志

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【連載】フットサル三国志|まとめページ 著者・木暮知彦
第2部 栄華期
第9章 関東から一足飛び世界へ(2005年3月~2006年2月)
その4 関東の隆盛とアジアの隆盛
その5 関東リーグ真夏の8連戦
その6 明暗分けたプレデターと府中アスレティックFC
その4 関東の隆盛とアジアの隆盛
第7回関東リーグが始まる1カ月前、2005年5月22日から第7回アジア選手権が開催された。開催場所はベトナムのホーチミン市だった。
すでに気付いている読者もいるかも知れないが、関東リーグも第7回、アジア選手権も第7回を数え、ほぼ歩みをともにしている。実際にはアジア選手権のほうが1年早く始まっているが、関東リーグは当初、通年リーグでなかったため、回数は後から追いついたのである。それはともかく、関東リーグが隆盛を迎えると同時にアジア選手権も隆盛を迎え、第7回の参加国は24カ国となった。参加国が多くなったので、これを最後に地域予選方式(日本は東アジア地区)に切り替えられたため、第7回大会が地域予選のない大会方式の最後となった。
メンバーは、当時のチーム力を反映して、ファイルフォックスから、GK定永久男、鈴木、稲葉、プレデターからGK川原、藤井、高橋、カスカヴェウから金山友紀、府中アスレティックFCから伊藤雅範、あとはGK石渡(シャークス)、比嘉リカルド(FC琉球)、そして海外組の小野大輔、鈴村拓也、木暮であった(移籍後のチームで表記)。前年度ファイルフォックスの優勝および府中アスレティックFCの躍進を受け、ファイルフォックスから稲葉の復帰、鈴木の初選出、府中アスレティックFCから伊藤が選ばれた。一方、若返りからか、相根、難波田治、前田が外れた。また、監督はワールドカップ出場で一区切りとなり交代も噂されたが、セルジオ・サッポが続投した。
ワールドカップ出場から次の目標を見つけるのはなかなか難しいものがある。しかし、日本には大きな宿題が残っていた。それは、イランを破ってアジアチャンピオンになることだ。なにせ、第1回から第6回までアジア選手権は全てイランが優勝、日本はイランに8連敗中(アジア選手権、その他の大会を含む)という状況である。したがって、この大会は優勝への期待が高まった。
しかし、結果は残念ながら決勝でイランに0-2で敗れ、またしても2位に終わった。2位は4年連続である。だが、予選リーグでイランと対戦して3-1で勝利し、実に7年をかけてようやく初勝利できた。そこで、この歴史的な勝利を少し振り返ってみる。
予選2次リーグ、いきなりの直接対決であったが、日本のほうが落ち着いた戦いぶりを見せ、イランは王者のおごりか、強引な攻めが目立っていた。前半は、スコアこそ0-0だったが日本のほうが得点を予感させるシーンが多かった。むろん、イランも惜しいシーンはあったが、遠めからの強引なシュートが多く、崩して点を取るような姿勢が感じられない。あいかわらずシャムサイーへのピヴォ当て頼みのイランであった。
後半6分、落ち着いて相手のスキを狙っていた日本がついに先制点を奪う。木暮が小野へピヴォ当てすると、その落としを再び木暮がドンピシャで振り抜いてシュートを放った。2人のコンビネーションはこれまでもいいところを見せていたが、おそらく彼らの中でも最高のシーンとなったのではないだろうか。
さらにその1分後、今度はカウンターから藤井が左サイドを駆け上がり、最後は中央での折り返しを木暮が滑り込んでゴールに押し込み、2点目を奪う。焦るイランはますます強引なシュートを狙う。その1本がズドンと決まって1点を返す。この1点はさすがの川原も取れないほど、やぶれかぶれに打ったものだった。
後半残り7分、イランに1点を返された直後の藤井のゴールが大きかった。イランのボールをカットして速攻を仕掛け、ドリブルで上がった藤井が直接グラウンダーのシュートを決めて再び2点差とする。最後はヘイダリアンのパワープレー、シャムサイーの第2PKなど危ないシーンもあったが、集中力でしのぎ、ついに歴史的勝利を収めた。
この時のイラン戦の勝利と翌年の優勝の理由は、ほぼ同一メンバーで戦ってきたチームワーク、コンビネーションの勝利と言える。実際、多くのワンツーやパスワークで崩す得点シーンが見られ、チーム力の進化がうかがえる戦いぶりであった。そして、予選2次リーグを1位突破して迎えた準決勝が、前回お伝えしたキルギス戦で、高橋の印象に残るゴールで決勝進出、再びイランと対決となったわけである。
振り返ってみれば、関東リーグがアジア選手権優勝、ワールドカップ出場の夢に向かって、関係者の努力で通年リーグ化を果たし、その刺激が全国に波及、その象徴である代表メンバーはこの7年をその想いで戦ってきた。そして〝絶頂〟と位置付けた第7回関東リーグが始まり、その結果が翌年のアジア選手権初優勝で花開くわけであるから、実に関東リーグの隆盛とアジア選手権の成績、さらにはアジアのフットサルの隆盛は軌跡をともにしていると言っても過言ではない。
また、個人としてはこの年、木暮が日本人選手として初めて大会MVPに選出された。その得点数は、試合数が多かったこともあるものの21得点で、イランのシャムサイーに1点差と迫るものであった。ちなみに木暮は、第8回もMVP、その成績からアジア年間最優秀選手、第9回はついにシャムサイーを抜いて得点王となり、彼もまた絶頂期を迎える。
しかし、今にして思えば、チームにしても選手にしても、この頃がピークであり、2008年のワールドカップより早くピークを迎えてしまったのかも知れない。日本代表は翌年の優勝を境に次第に力を落としていくのであった。なお、イランは、この第7回大会あたりから若手に切り替えつつあり、ベテランのシャムサイー、ヘイダリアンはメンバーに入っているもののどちらかというと黒子役にまわるようになった。また、ヘイダリアンはこの大会の後に引退した。結果的には早めの若手への切り替え、その差が2008年のワールドカップの結果になって現れた。
さて、お宝写真は、この大会で日本人初のMVPに選ばれ、表彰を待つ間の木暮にしょう。隣は、イランのシャムサイーで、彼は得点王であった。木暮の表情は、MVPの喜びよりも、またしても優勝できなかった無念の表情が顔に出ている。その無念を晴らすには、あと1年を待たねばならなかった。
ちなみに両者には、互いの国の代表監督としてアジアで雌雄を決する戦いを繰り広げる未来が待っていた。

その5 関東リーグ真夏の8連戦
2005年6月11日、栄華期のピークシーズンである第7回関東リーグが始まった。その隆盛にふさわしい激戦が繰り広げられる予定であったが、残念な事件が起きてしまう。それは、シーズン開始前の大事な代表者会議を、ロンドリーナが無断欠席したことである。前年にロンドリーナ、ゾットが同じようなルール無視を行い、リーグ全体で注意を喚起、ペナルティを強化したばかりの出来事であった。処分については、リーグ内でさまざまな議論があったが、2年連続であることから、前期の出場停止、なおかつ全試合勝ち点0・得失点差マイナス3として、後期の下位リーグから出場を許可する裁定が下った。厳しいという意見もあったが、やがては全国リーグが設立される状況のなか、チーム運営力も試されるわけであるから、やむを得ない措置であった。
このような出来事があったにもかかわらず、6月11日に行われた開幕節は会場が府中市立総合体育館ということもあって、全試合超満員の大盛況であった。関東のフットサルファンが待ちに待った幕明けといった熱気が会場にあふれていた。ちなみに観客数は第1試合の府中アスレティックFC対サルバトーレソラは1068人、第2試合のファイルフォックス対ボツワナが1316人、第3試合のシャークス対ガロは1236人、第4試合のカスカヴェウ対フトゥーロは1239人で、延べ4859人であった。これは、府中市立総合体育館における関東リーグ観客動員数の記録を塗り替えトップとなった。ちなみに、2015ー2016シーズンに府中市立総合体育館で行った府中アスレティックFCのホームゲーム、第2節のヴォスクオーレ仙台戦が1108人、第8節の名古屋オーシャンズ戦が1358人であるから、いかに当時の関東リーグが絶頂期にあったかがわかる。
結果は、第2試合のファイルフォックス対ボツワナで番狂わせがあった。ボツワナが前年度無敗優勝のファイルフォックスを前半2-0、後半4-2という予想以上の大差で勝利、早くも関東リーグ金星の初勝利を挙げた。
続いて、第4節は7月16日に駒沢屋内球技場で行われた。この会場の観客動員数の最高は、前シーズンの第6回の第8節であり、5試合でのべ3234人、人気のカスカヴェウ対フトゥーロ戦で1026人の観客を集めた。
それが、第7回になって、第1試合のカスカヴェウ対プレデターが1012人、シャークス対ブラックショーツが923人、第3試合の府中アスレティックFC対マルバが1132人、第4試合のファイルフォックス対フトゥーロが1391人となり、のべ4458人、こちらもあっさり過去最高を記録した。
結果は、第1試合のカスカヴェウ対プレデターは、カスカヴェウが9-5で勝利した。この試合から、プレデターはゴールキーパー川原が静岡の田原FCから移籍、デビュー戦となったが、その試合を飾ることはできなかった。しかし、プレデターは全国リーグ参入をにらんで戦力強化を着実に進めているのであった。第4試合のファイルフォックス対フトゥーロは、ファイルフォックスの木暮がスペインに渡るため、木暮にとってこのチームでのラストマッチとなった。結果は6-5で勝利を収め、木暮はハットトリックどころか4点を決めて関東リーグ有終の美を飾った。
7月16日の第4節を皮切りに、今シーズンから試合数が1・5倍に増えたことを受けた8連戦が始まった。今でこそ全国リーグが毎週末に行われることは当たり前になっているが、7月16日の第4節から第11節の9月3日までの8連戦は関東リーグ始まって以来のことであり、これを称して〝真夏の8連戦〟と呼ばれた。これは熾烈な戦いとなり、連戦を終えて残り2節となった段階で1チームも上位リーグが確定しない大混戦となった。上位リーグに残れるのは6チーム、しかし7位までが勝ち点3差以内にひしめいているのであった。
その極めつけは、9月3日、8連戦のラストとなる11節、寒川総合体育館で行われた三国志の両雄ファイルフォックス対カスカヴェウであった。ここまで、カスカヴェウ、プレデター、ファイルフォックスが勝ち点で並び、前の試合でプレデターとシャークスが引き分けたため、両者どちらかが勝てば1位になる戦いであった。しかも、勝ったほうは上位リーグが確定する試合であった。後半残り33秒まで2-1でファイルフォックスがリード、堅守のファイルフォックスがこのまま逃げ切るかと思われたが、カスカヴェウのキックイン、キッカーは曲者の甲斐修侍だった。そして、ゴール方向には金山がいる。甲斐はトゥーキックでゴール前に送ると、そこへ金山が走り込んでヘッドで合わせ、同点ゴールをたたき込んだ。甲斐&金山のホットラインが土壇場でファイルフォックスの勝利を阻んだのだった。宿命の対決は、関東リーグで3試合連続引き分けとなり、雌雄の決着は後期まで持ち越すこととなった。それにしてもこの先、秒を争うキックインのドラマが2試合も続くとは誰が想像しただろうか。
こうして、真夏の8連戦の結果はカスカヴェウ、プレデター、ファイルフォックスが同じ勝ち点で並び、得失点差で1位、2位、3位となった。4位はトップとは勝ち点1差でボツワナ、5位はフトゥーロ、6位の府中アスレティックFCは勝ち点2差、7位のシャークスは勝ち点3差であった。以下、ブラックショーツ、ガロ、サルバトーレソラと続き、最下位は出場していないロンドリーナで勝ち点ゼロ、得失点差マイナス36である。しかし、サルバトーレソラはこの時点で勝利がなく、得失点差でロンドリーナより下回る結果となってしまった。
さて、お宝写真は、フットサルナビの試合レポートから。後半残り33秒のファイル対カスカヴェウの同点劇の記事にしよう。森岡が1点を勝ち越すゴールを挙げた記事が載っているが、当時はまだ花開いてはいなかった。また、同点の甲斐&金山のホットラインは有名であったが、その多くは甲斐のスルーパスに合わせて金山がスピードスターらしく飛び込むものである。浮かせたボールにヘディングで合わせる形は珍しいものであった。
この真夏の8連戦でのカスカヴェウ、プレデター、ファイルの熾烈な戦いはもはや伝説と言ってもよく、当時のメディアはこぞってこの戦いの模様を報じていた。

その6 明暗分けたプレデターと府中アスレティックFC
真夏の8連戦を終えた関東は秋の陣を迎えた。いつもの秋だったら、関東リーグを中断して、全日本選手権の予選に突入するのだが、この年は、後期で上位、下位に分かれる最後の決着の戦いがあった。
2005年9月29日、前期の最終節の第1試合、まずはシャークスが6-9で敗れ、上位リーグ残留の目を絶たれた。第2試合、ブラックショーツ対フトゥーロは4-2でブラックショーツが勝ち、府中アスレティックFCと勝ち点で並び、上位リーグ残留の目を残した。第3試合、プレデター対ガロ、カスカヴェウ対サルバトーレソーラは、ともに7-2でプレデター、カスカヴェウが勝利、したがって得失点差は変らず、1位はカスカヴェウ、2位はプレデターでほぼ確定した。問題は最終試合のファイルフォックス対府中アスレティックFC戦であった。ファイルフォックスはよほどの大差で勝たない限り、2位をひっくり返すことはできない。一方、府中アスレティックFCは、ブラックショーツとすでに勝ち点および得失点差で並ばれているから、絶対に負けられない戦いとなった。
試合は一進一退、前半は0-0で終了、後半は1点ずつを入れて、残り時間が少なくなってきた。府中アスレティックFCはもはやボールを回して引き分け狙いとなった。当時の関東リーグの速報はこう報じている。
「残り4秒:ファイル、左サイドの森岡のロングキックイン、浮いたボールを右の小宮山がダイビングヘッド、決まって、2-1(小宮山)。このままタイムアップ、2-1でファイルの勝利、府中アスレティックFCはこの結果、下位リーグへ、ブラックショーツが得失点差1で上位リーグとなった」
勝負の世界にタラレバはないとは言え、わずか4秒前までの同点ならば、府中アスレティックFCは上位リーグに残ることができたのだ。上位リーグならば、その後の戦い次第で優勝の可能性もあるが、下位リーグは優勝の可能性はない。つまり、早くから全国リーグ参入を表明し、戦力強化を図ってきたプレデターと府中アスレティックFCにおいては、実績を残したいこのシーズンを、わずか4秒でファイルフォックスに明暗を分けられてしまった。
残り33秒に続く、残り4秒の〝キックインドラマ〟であった。
実を言うと、プレデターの監督の塩谷竜生と府中アスレティックFCの総監督の中村恭平(監督はのちにシュライカー大阪でも指揮を執るアドリアーノ)は、奇しくもともに1968年生まれの同い年である。そして、黎明期からフットサルの普及に力を注ぎ、スーパーリーグの立ち上げや関東リーグの運営など、苦楽をともにした仲であり、ライバルでもあった。現在の両チームはFリーグで同じ舞台にいるが、最初のFリーグ参入の選考にはプレデターが先んじて、府中アスレティックFCは漏れてしまった。今にして思えば、このことを暗示していたのかも知れない。
一方、両チームの明暗を分けさせたファイルフォックスの松村栄寿監督と中村も因縁があった。すでに本書の冒頭で紹介したとおり、2人は競技フットサルの草分けチームである府中水元クラブを創設、第1回全日本選手権に参加したのだった。それは1996年1月、この年からすると約9年前のことである。しかし、2000年8月、2人は袂を分かち、中村は府中アスレティックFCを創設する。一方、松村はその後、請われてファイルフォックスの監督になり、ライバルチーム同士となるのだった。そして、両チームはその後、全国リーグ参加を巡って、府中市内での選考争いへと発展したのだった。
残りわずかの時間のキックイン、そして小宮山のヘディングシュートが決まり、時計が「4秒」で止まった瞬間、ファイルフォックスのベンチと上位リーグが転がり込んだブラックショーツの選手、サポーター席からは大きな歓声が巻き起こった。一方、呆然とする府中アスレティックFC、残り1秒までわからないフットサルのおもしろさ、怖さの瞬間であった。結果的に、全国リーグ進出を目指すプレデターは上位リーグに残り、府中アスレティックFCは優勝の望みのない下位リーグとなってしまった。
しかし、まさか、この試合から1カ月後の10月29日に行われた第11回全日本選手権の東京都予選にて、「残り1秒」のキックインでそのファイルフォックスが一気に暗転させられるとは、全く思いもよらなかった……。
さて、お宝写真は、前回に続いてフットサルナビの試合レポートから、残り4秒の劇的ドラマの記事にしよう。奇しくもこのドラマも前回と同様、ヘディングシュートであった。この結果、ブラックショーツと府中アスレティックFCは勝ち点18で並び、得失点差が8と7、わずか1点差で、上位と下位に分かれたのであった。
ちなみに、記事中の北智之は目立たない存在であるものの、難波田、小宮山、板谷竹生らと並んでディフェンスの要として活躍、3人がいなくなった後は、キャプテンとしてチームを支え続けた。ちなみに、その後はF2のポルセイド浜田やリガーレヴィア葛飾で監督を務め、その後、フウガドールすみだのコーチとなった。














