SAL

MENU

作成日時:2026.10.10
更新日時:2026.10.10

【インタビュー】「北海道で引退するつもりだった」34歳・関口優志、大けがと3度の手術を越え、大阪から5年ぶりの日本代表へ

PHOTO BY満本泰介

約5年ぶりに、その名前が日本代表のメンバーリストに戻ってきた。関口優志。2021年のFIFAフットサルワールドカップでは日本代表として世界の舞台に立ったが、その約2カ月後、左膝に大けがを負った。前十字靭帯を含む5カ所を損傷し、一度のけがで3度の手術。ピッチに戻るまでには約1年半を要した。

一時は引退も考え、地元・エスポラーダ北海道へ戻った時には「ここで現役を終える」と決めていたという。それでも、シュライカー大阪へ移籍した決断の背景には、もう一度トップレベルでタイトルを取りたいという思いと、日本代表を諦めきれない気持ちがあった。

今シーズン、大阪は順位こそ苦しんでいるが、関口自身はほぼ全試合に出場。中断前には名古屋オーシャンズに次いでチームの失点数が少なく、セーブ率も高い数字を叩き出した。

34歳ながらハイパフォーマンスを続けた先に、高橋健介監督から初招集がかかった。ブラジル遠征を前に、5年間の日々、大けがを経て変化したプレースタイル、北海道から大阪へ渡った理由、そして再び日の丸を背負う意味を聞いた。

日本代表は「正直難しい」と思っていた

──約5年ぶりの日本代表です。選出された時の率直な気持ちを教えてください。

正直、びっくりしたというのと、めちゃくちゃうれしかったですね。もちろん代表はずっと目指すべき場所だと思っていましたし、けがから復帰して最初のシーズンくらいまでは、本当に全力で戻るために頑張っていました。ただ、そこから選ばれない時間が続いて……。

表向きには「代表を目指しています」と言っていましたけど、年齢だったり、ゴレイロというポジションだったりを考えると、正直「難しくなっているのかな」という気持ちはありました。若い選手が入っていくのも必然の流れだと思っていましたし、諦めたわけではないですけど、そういうものなのかな、と。だから今回選んでもらえたことは、本当にうれしかったですね。

──高橋健介監督の体制では初招集です。今の自分のどこを評価してもらえたと思いますか?

そこは僕も気になるところです(笑)。正直、チームの順位は全然高くないですし、「低迷している」と言われてもおかしくない順位です。それでも、中断期間に入る前くらいまでは名古屋に次いで失点数が少なかったですし、リーグで出しているセーブ率も一番という情報は聞いていました。今シーズンはほぼ全試合に出ているなかで、自分としても高いパフォーマンスを維持できている感覚はありました。

むしろチームが苦しい状況で、攻められる時間もあるなかで失点を抑えていたからこそ、見てもらえた部分もあるのかなと思っています。代表に選ばれたことで、「ちゃんと見てくれているんだな」と感じられましたし、順位が低いなかでも評価してもらえたことは自信になりました。「自分がやってきたことは間違っていなかったんだな」と思えました。

──日本代表のラージリストには入っていたんですか?

今回のブラジル遠征に向けて、5年ぶりにラージリストに入ったんです。5年間ずっと入っていなかったところから名前が入ったので、「もしかしたらあるのかな」と「いや、たぶんないだろうな」という気持ちが入り混じっていました。

1〜2カ月前からブラジル遠征に向けてパスポートやワクチンの準備をしておくように言われていました。ですので、突然というわけではなかったんですけど、それでも正式にメンバーに入った時には驚きましたね。

リトアニアで感じた喜びと悔しさ

──関口選手が最後に日本代表として出場したのは、2021年のリトアニアW杯の初戦アンゴラ戦でした。

フットサルを始めた頃から「ワールドカップに出たい」と思っていました。2016年にアジア予選で負けてワールドカップに出られなかった経験もあって、次はもしかしたらないかもしれないと思っていたなかで出場できた大会だったので、すごく特別でした。

──アンゴラ戦で先発した時は、「今大会は関口選手でいくのかな」と思いました。でも、その後はイゴール選手がゴールを守りました。もともと決まっていたんでしょうか?

最初から決まっていたわけではなかったと思います。真意は分からないですけど、シンプルにアンゴラ戦での僕のパフォーマンスがそんなに良くなかったから代わったのかな、と。大会前のスペイン遠征やポルトガル遠征では結構いいパフォーマンスができていて、その流れで先発に選んでもらったと思うんですけど、アンゴラ戦は打ち合いのような試合になって、失点も多かった。そこが一つあったのかなとは思っています。

──W杯のピッチに立てた喜びと、その後の試合に出られなかった悔しさ、両方が残っている?

もちろん出られなかった悔しさはありました。ただ、自分が出られなかったこと以上に、日本代表としてブラジルに負けた悔しさのほうが強く残っています。自分個人としてどうだったかよりも、チームとして世界で勝てなかった。その悔しさのほうが大きかったですね。

「本当に引退を考えた」大けが

──そのW杯から約2カ月後、「左膝前十字靭帯断裂」という大きなけがを負いました。

本当に引退を考えました。ワールドカップに出るという目標を達成できたことで、一つの安堵感もありましたし、名古屋もそのシーズンが最後だった。ちょうど30歳という節目でもありました。そこに、かなり大きなけがが重なったんです。

前十字だけではなくて、複合して5カ所をけがしていました。「これを治して、長い期間をかけて復帰して、そこから代表に戻るのは厳しいだろうな」と思いましたし、もともと僕のなかに「華があるうちに辞めたい」「惜しまれながら引退したい」という気持ちも少しあったので、「もうここでいいのかな」という思いはありました。

──しかも、けがをしたのは木暮賢一郎監督になっての初合宿直前でした。

そうです。次の日から代表合宿というタイミングの大分戦でけがをして、そのまま辞退しました。代表にも選ばれていた状況でしたけど、けが自体が本当にひどかった。一度のけがで全部で3回手術しています。2回は名古屋にいる時で、最後の1回は北海道に移籍した後でした。

結局、1年半近くピッチに戻ることができなくて。「長いな」と思いながらリハビリをしていましたし、その間に北海道への移籍もあって生活も変わった。いろいろな苦悩が重なって、本当にしんどい1年半だったと思います。

──引退を踏みとどまったのは?

家族と両親ですね。「引退しようかなと思っている」と結構真剣に相談しました。でも、家族や両親から「せっかくここまでやったんだから、もうちょっと頑張ってみたら?」と言ってもらって。それで「もう少しやってみようかな」と思いました。ワールドカップにも出られたし、名古屋も終わるし、大けがをした。引退する理由はいろいろそろっていたと思うんです。でも周りに後押ししてもらって、もう一度やることを選びました。

昔の膝と今の膝は全くの別物

──日本代表を率いていたミゲル・ロドリゴ監督が関口選手を「猫」に例えたことがありました。俊敏性や身体能力が武器だった関口選手にとって、膝の大けがの影響は大きかったのでは?

かなりありました。今でも膝の可動域は全然違います。昔の膝と今の膝は、本当に別物ですね。例えば垂直跳びでいうと、昔は60センチ近く跳んでいたのが、今は50センチくらい。10センチくらい落ちています。それくらいはっきり影響が出ています。

ただ、もともと身体能力は高いほうだったので、それでも今のチームでジャンプ力は1、2を争うくらいではあります(笑)。今は、この壊れた膝に自分が適応して、うまく付き合えるようになったという感覚ですね。

──一方で、34歳になった今だからできるプレーもありますか?

ありますね。若い頃のように100%動き切らなくても、予測や判断だけで止められるプレーが増えました。試合をたくさん経験してきたことで、「ここに来るだろう」という部分も分かるようになった。昔みたいに全部身体能力で反応するのではなく、動く前の段階で助けられている部分が増えたと思います。

それに、ゴレイロはシュートを止めるだけではないので、ディフェンスへの指示だったり、味方を動かしたり、パフォーマンス以外の部分も含めた「ゴレイロとしての総合値」は高まっていると思っています。身体的に出せるポテンシャルは以前より落ちている部分もありますけど、それを経験で補えるようにはなってきました。

「もう一度勝負しよう」と大阪へ

──名古屋を離れ、古巣の北海道へ戻った時は、そこでキャリアを終えるつもりだった?

本当にそうでした。最後は北海道で引退しようと思って帰りました。お世話になった地元のクラブで最後の花道を迎えたい。その覚悟を持って移籍したつもりでした。でも、けがを治して復帰していくなかで、自分の気持ちが変わっていったんです。

──何が変わったのでしょうか。

当時の北海道は、仕事をしながらプレーしている選手が多かったんです。例えば19時から練習なのに、15人いるなかでスタートの時間に6、7人しかいない、ということもありました。もちろん、それぞれ仕事があるので仕方がないことです。でも僕自身は、一度引退まで考えて、それでも1年半かけてけがを治して戻ってきた。

そのなかで「このまま北海道で引退したら、不完全燃焼なんじゃないか」「自分が思い描いていたフットサル人生の終わり方じゃないな」と感じるようになりました。それで、もう一度違う環境で勝負しようと大阪への移籍を決めました。

──北海道がF2に降格したタイミングだったので、「降格したから移籍した」と受け取った人もいたと思います。

実際、そういう声もありました。でも、降格したから移籍を決めたわけではないです。降格が決まる前から、自分のなかでは移籍を考えていました。もう一度ちゃんといい環境でプレーして、最後にタイトルを取りたいという思いが一番でした。それに、やるからにはやっぱり代表を目指したかった。

地元に戻ってきたのに、F2に落ちたら出ていくのか、という見方をされることも分かっていました。それでも、自分の選手人生を最後までやり切るために決断しました。大阪へ行った時は「ここでもう一回いい結果を残して、代表にも食らいついていきたい。最後にいい花道でフットサル人生を終えたい」くらいの気持ちでした。

関口優志が考えるゴレイロの仕事

──大阪では攻撃に関わる場面も増えています。現代のフットサルではゴレイロの攻撃参加がより重要になっています。

そうですね。今のフットサルでは、止めるだけではなく攻撃に参加できることはかなり求められていると思います。そこができなければ代表レベルにはいけないとも思います。でも、逆にそこだけがうまければいいわけでもない。結局ゴレイロは、アシストの数よりも「何本止めたか」で評価されるポジションだと思っているので、まずゴレイロとしての基礎はブレたくない。そのうえでミスを起こさずに攻撃にも関われればいいと思っています。

──関口選手の場合、ドリブルでどんどん前へ出ていくというより、キックやフィードで攻撃に関わるタイプですよね。

そうですね。僕はそこまでドリブルで行き切らないです。それは、自分のプレーが失点につながるようなリスクはなるべく負いたくないという考えがあるからです。僕自身がゴールを決めるより、僕がパスを出してフィールドの選手が決めてくれたほうが、チームとしていい流れになると思っています。だから、自分で無理に行くのではなくて、より成功する可能性が高い選択肢を取っている感じですね。

最年長選手としてブラジルへ

──34歳という年齢、そして約5年ぶりという状況を考えると、今回の招集で求められているものも若手とは違うと思います。

僕もそう思っています。この年齢とポジションを考えたら、「若手だから経験させよう」「チャンスを与えよう」という立場で選ばれたわけではない。本当に経験値を生かして、戦力として選んでもらったと思っています。だから、期待されているパフォーマンスはちゃんと出したいです。

もし試合に出ていない時でも、チームを盛り上げたり、支えたり、自分にできることはある。名古屋でも篠くん(篠田龍馬)とニコイチみたいな感じで、競争しながら、どちらかが出る時には支えるという経験をしてきたので、そこも含めてチームが勝つためにできることを全部やりたいですね。

──今回のメンバーでは34歳の関口選手が最年長です。

そうなんですよね(笑)。僕が以前代表に入っていた時に一番若かった(清水)和也が、今回のメンバーではFPで一番上になっている。時の流れを感じます。でも、だからこそ自分にできることもあると思っています。試合を重ねるごとにチームの輪が大きくなるチームは強いと思うので、そこをうまく回していける存在になりたい。

──2028年にはアジア予選、そしてワールドカップがあります。そこまで見えていますか?

正直、まだそこまでは考えていないです。今回、本当に久しぶりに代表に呼ばれたところなので、いきなり「2028年に向けて頑張ります」と言うより、まずは今回のブラジル遠征で結果を出すこと。その次には大分でモロッコ戦があるので、ブラジルで活躍して、そこにも呼ばれる。その積み重ねを続けていきたいです。そのなかで結果を出していけば、自然とその先につながっていくと思うので、まずは目の前で必要とされるパフォーマンスを出すことですね。

まだまだいけるのかな

──ゴレイロはしながわのイゴール選手のように40代までトップレベルでプレーする選手もいます。

ただ僕の場合、サイズがあるタイプではないので。イゴールなんかはサイズがあって「ずるいな」と思いますけど(笑)、僕は俊敏性だったり身体能力だったりでやってきた選手なので、そこをどこまで維持できるかは、これから長くやっていくうえで大事になると思います。

──1年1年が勝負という感覚ですか?

本当に1年1年です。大阪でできるところまでやって、それで終わるのかな、と。自分のなかでは「もう最後」というくらいの気持ちでやっていたところもありました。

──今回の代表選出があって、また火がついたんじゃないですか。

そうなんです。代表に選んでもらったことで、「まだまだいけるのかな」と少し思いました。やっぱり他人から評価してもらえることはすごくうれしいですし、日本代表に選ばれたということは、自分にとって大きなことです。そもそも、そのために大阪に来たところもあるので。「できるところまでしっかりやりたい」という気持ちは、今回の代表選出でまた強くなりましたね。

──もしかすると40代まで……?

(笑)。どうですかね。うん、でも、自分がやれるところまではやりたいなとは思っています。

【取材後記】

ブラジルへ向かう前にもう一つ、関口には越えなければいけない試合がある。今週末の相手はバサジィ大分。奇しくも2021年、代表合宿を翌日に控えながら大けがを負った時と同じ対戦相手だ。

「あの時も大分戦だったんで。本当にけがをしないように(笑)。でも、しっかりと結果にこだわって頑張ります」

名古屋で数多くのタイトルを勝ち取り、夢だったワールドカップ出場を果たした。大けがの後、一度は引退を考え、地元でキャリアを終えることも考えた。その関口が34歳で再び日本代表に戻った。その招集は、失われかけていた未来をもう一度広げるものにもなった。

「まだまだいけるのかな」

5年ぶりの日の丸を前にしたその言葉が、今回のインタビューで最も印象に残った。

  • AFC フットサルアジアカップ インドネシア 2026 完全ガイド|試合日程・結果・順位表|試合会場
  • 【フットサル日本女子代表】FIFAフットサル女子ワールドカップ フィリピン2025 完全ガイド
  • Fリーグ 試合日程・結果/チケット情報/放送情報
  • 【大会・試合情報】Fリーグ・JFA フットサルリーグ戦&カップ戦まとめページ

▼ 関連記事 ▼