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【現役引退へ】「僕のフットサル人生はしんどいことが8割だった」“ど根性ファイター”狩野新が明かすプロフットサル選手に必要なもの

PHOTO BY軍記ひろし

フットサルは人生の一部

──指導者の道を歩む上で、具体的な動きも始めているんですか?

特に今の時点では決まっていません。ただ、ユニフォームを脱ぐところ(大分)で協力できることがあればと思っています。ただ、そこは今から話していくことで、現時点では決まっていません。また、場所がどこになっても自分はチャレンジする気持ちしかないので、難しい道のりですが挑戦していきたいと思います。

──長いフットサル人生ですが、思い出に残っているエピソードは?

各チームでキャプテンを任せてもらえたことが財産になっています。町田、仙台、大分、そしてFリーグのオールスターでも選手を代表させてもらいました。今までやってきたことが間違いではなかったと思えますから。それだけ、自分の頭のなかにも鮮明にあるものですね。

初年度の開幕もキャプテンとしてセレモニーなど、記念すべきイベントに参加させてもらいました。だからこそ、こういう経験をさせてもらったフットサルに恩返しをしていきたいと思います。

──一方で、悔しい思いやつらい思いなどもされてきたと思います。

日本代表から外れたことですね。本当に悔しい思いをしました。選手として日本代表は目指していました。ケガをして外れたので、代表を外れた悔しさとケガの2つが今も残っています。もしやり直せるならば、ケガをせずに代表に定着して、日の丸を背負ってもっと戦いたかったなという思いが強いです。

──指導者の道を歩むと決めたということは、そうした様々な経験を伝えることで、将来の日本代表選手を育てていきたいと。

1人でも多くの選手が育っていくことはうれしいことです。自分もそこに協力できるようになりたいですね。

──Fリーグでは、開幕から町田で過ごしてきました。振り返ると町田というチームはご自身にとってどんな存在ですか?

フットサルの原点。僕がフットサルを始めたのが町田だったので、今でもチームのことを気にしています。そして一番はサポーターの皆さん。僕がどこに行っても応援してくれました。それが僕の一番の印象で、あそこには本当に温かいサポーターがいます。僕に対してだけではなくて、若い選手、これから活躍していくだろう選手に対しても、皆さんが後押しをしてあげてほしいと思っています。

──町田を退団されて仙台に行かれましたね。

仙台はとにかく寒かったです(笑)。

──関西出身の狩野選手自身、初めての東北ですしね。

そうですね(笑)。でも仙台はたしかに寒いのですが、本当に温かな人ばかりでした。町田と同じように仙台でもそうしたサポーターに支えられました。最後のホームゲームでセレモニーをしてもらいましたし、本当に感謝の気持ちしかないですね。

──そして大分へ。

大分はケガからのスタートで、皆さんに迷惑しか掛けていません。自分としても苦しい思いをしました。ただ最後の最後まで、僕がピッチに立つときは、監督も選手もみんなで「新を助けよう」とプレーしてくれました。

みんなが「俺らが助けるから」と言葉を掛けてくれて、ホーム最終戦でもピッチに立たせてもらいました。本当に救われました。みんなに支えてもらった場所です。

──各地で様々な経験をしてきた狩野選手にとって、フットサルとは?

ありがちですが、人生です。人生の一部であり、生活の一部。これがないとやっていけない。正直、引退した後にどうなってしまうのだろうという思いもあります。でも、フットサルに携われることに変わりはないので、新しい人生だと思います。

──最後に、これからフットサルを目指す若い子どもや、若手選手に向けてメッセージをお願いします。

プロとして競技をやっている以上、フットサルって楽しいことだけではありません。僕もFリーグで何年もプレーしてきて、悔しいこと、うまくいかないことの方が多かったです。しんどいことが8割です。

そういう逆境に耐えて、勝ち残っていく選手が強い選手だと思います。若い選手には、フットサルを楽しむことも大事ですが、個人的には、戦いの場だからこそ「勝って楽しむ」というスタイルを伝えていきたいです。厳しいなかでも逆境に耐えて勝ち進んでほしいですね、僕のように(笑)。

──ちゃんと最後まで記事にしておきますね(笑)。本当に長いフットサル人生、お疲れさまでした。

本当にありがとうございました!

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