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2020.04.13

なぜ、24歳で “フットサルから離れる”決断をしたのか。大薗諒が語った本音と、新たな目標。

PHOTO BY軍記ひろし

「今シーズンでフットサルから離れることにしました」

2020年2月24日、フウガドールすみだバッファローズ退団のリリースから3日後、大薗諒は自身のSNSを通して事実上の引退宣言を発表した。

はっきりと「引退」を明記しなかったことには理由がある。「『引退』はアスリートとして何かをやり遂げた選手が使うものだと思っているから」。つまり大薗は、フットサル選手として一つの到達点にたどり着いていないことを自認したまま、第一線から降りる決断を下したのだ。

多くの反響があった。「残念だ」、「もったいない」、「寂しくなる」。トップチームの選手ではないにもかかわらずかけられた数々の言葉は、大薗がファンに愛されていたことの証でもある。と同時に、24歳という、未来ある若者の戦線離脱を心から残念に思うものでもあった。

しかし、大薗自身も、簡単に決めたことではない。トップの舞台で戦い、選手としての高みを目指し続けてきたからこそ生まれた感情。充実と苦悩。いつも葛藤を繰り返していた。

愛知県の同朋高校サッカー部出身。筆者は、3年間を共に過ごした友人として、また、名古屋オーシャンズサテライト時代から見届けてきたライターとして、大薗の心の内を明かす。

順調なステップアップの裏で感じていた不安

フットサル選手としてのスタートは、名古屋サテライトだった。当時は、名古屋のトップへと上り詰めた橋本優也や水谷颯真、フウガドールすみだに移籍した鬼塚祥慶、Fリーグ選抜を経てバサジィ大分で飛躍した瀧澤太将らと共にプレーしていた。

サッカー部時代と変わらず、大薗の武器は強烈なシュート。ストライカーとして、東海リーグでゴールを量産してみせた。その威力は、トップチームを指揮していたペドロ・コスタ監督の心を動かし、特別指定選手としてトップチームにも登録されると、2016/2017シーズンの第25節(2016年12月18日)、エスポラーダ北海道戦でFリーグデビューを果たしたのだ。

出番はほぼセットプレーの場面に限られたが、ピッチに登場すれば大薗にボールが集まり、前半15分には、低い弾道のミドルシュートを突き刺してデビュー戦を自ら祝ってみせた。

その少し前の11月には、U-19日本代表のトレーニングマッチに名古屋サテライトのメンバーとして出場して、相手を圧倒する先制弾をマークした。自分の武器への自信を深めていった大薗は、2017年2月に行われた地域チャンピオンズリーグでも、名古屋サテライトの初優勝に貢献。そうしたパフォーマンスが認められて、すみだからオファーが届く。

「2020年W杯にメンバー入りしたい」。

日本代表へと羽ばたくために、大薗は地元・愛知を飛び出した。移籍1年目はすみだバッファローズの所属となったが、特別指定選手としてFリーグの開幕戦に出場。すると、大分を相手にいきなりハットトリックを達成するなど、周囲に大きなインパクトを与えて、その後もシーズンを通して出場機会をつかんでいった。

8月には、U-25日本代表のトレーニングキャンプにも初招集。トントン拍子でステップアップしていたことは間違いなく、大薗も「うまくいき過ぎている」ことに戸惑いつつも、素直に喜びを感じていた。ただ一方で感じて始めていたのが、「その状態を維持するのが難しかった」ということ。事実、大薗の活躍を目にする機会は、この辺りから減っていった。

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