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2020.08.05

「リガーレの森岡薫」が関東1部に残したもの。リガーレ東京・大薗諒が感じた激動の“1カ月入退団”の真実

PHOTO BYリガーレ東京

コロナ禍の6月から7月にかけて、一人の男の去就が日本フットサル界をざわつかせた。

森岡薫の関東1部への電撃加入である。6月23日、リガーレ東京に新加入すると、1カ月後の7月24日に退団が発表された。森岡は、もともとプレーしていたスペイン1部のパルーロ・フェロールへと移籍した。

チームの活動に参加したのはわずか2カ月。スペインリーグが中断したことで帰国していた森岡は、7月24日に始まるはずだった関東リーグの開幕が延期となり、開催の目処が1カ月以上もずれ込むことなどを理由にクラブを去ったという。森岡はなぜ、関東1部での戦いを選んだのだろうか。外から見る限りでは、スペインリーグの再開までの“腰掛け”として所属したに過ぎないのではないかと邪推されても仕方がないだろう。

だが、同じく6月からリガーレの一員となった一人の選手がそれを否定する。

「リガーレの一員として、このチームで勝つために本気で練習に取り組んでいましたし、一人の選手として、チームに本当に多くの影響を与えてくれました」

大薗諒の言葉だ。それにこうも言う。「薫さんは僕のあこがれの存在だった」。2月にフットサルを離れてから4カ月での競技復帰を決めた彼にとって、キャリアをスタートした名古屋オーシャンズサテライト、フウガドールすみだと転戦するなかで、いつも“キング”に対して特別な感情を抱いてきた。

だからこそ、同じポジションの偉大な先輩とトレーニングした日々は濃密な時間だったに違いない。この2カ月は、大薗にとって意義深いものだった。そしてそれは、リガーレにとっても同じだった。

リガーレのユニフォームに袖を通した公式戦デビューは幻に終わったが、「リガーレの森岡薫」はたしかに存在した。それどころか、大薗の言葉から見えてきたのは、森岡がキングと呼ばれる理由でもあった。

激動の“1カ月入退団”。森岡は何をもたらし、残された選手は何を感じたのか。大薗に真実を聞いた。

「森岡薫の新加入」にみんなビビっていたと思う

──大薗選手は、今年2月に「フットサルから離れる」と公表してから4カ月後にリガーレ東京へと加入しました。何が起きていたのでしょうか?

たしかに、一度フットサルから離れる環境を選びました。ですが「一生蹴らない」ということではない。むしろ、環境さえ整えば蹴り続けていきたいという考えがありました。小さい頃からずっとフットボール中心の人生でしたから、ボールがない生活を考えられないですからね。でも、新しい目標ができて、まずはこれから仕事を頑張ってくことが第一となった。フットサルは、来シーズンに自分の状況が落ち着いたらまたどこかで蹴れたらいいなというくらいの感覚で。そういうときに、リガーレの西野(宏太郎)テクニカルダイレクターと話をする機会をいただきました。「(環境が整ってから)やると決めているなら、(今シーズンから)もうやってもいいんじゃないか」と誘ってもらいました。仕事と両立できそうな目処が立ち、早い段階でまたボールを蹴れると思ったので加入させてもらいました。すごくありがたかったですね。

──そうだったんですね。大薗選手のことももう少し深くうかがいたいのですが、先にどうしても聞かずにはいられない話題に触れさせてください。そうしてリガーレの一員となったのが、6月。それから数週間後に森岡薫選手がチームに加わることになりました。どんな状況だったのでしょうか。

チームのグループLINEに「次の練習から森岡薫選手が来ます」と連絡が届いて、「どういうこと?」と思いましたね(笑)。でも、(コロナの状況もあるし)「そんなことがあるんだ」という感じでした。

──チームメートも驚いていましたよね、きっと。

みんな「え? 森岡薫?」という感じ(笑)。誰でも知っているすごい選手ですから。その一方で、あの風貌と実績があって、なおかつみんな試合中の薫さんしか知らないわけですから、正直ビビっていたと思う。

──でも、大薗選手はもともとつながりがありますよね?

もちろん対戦経験はありますけど、一緒にやったことはないです。ずっとあこがれてきた存在ですし、フットサルを始める前から知っていました。ポジションも同じで、名古屋オーシャンズのサテライト時代には、トップチームを間近に見ていましたから。そんな選手と急に一緒にトレーニングできることは、最初は理解できませんでした(笑)。初めてその日を迎えるまでは、半信半疑でしたね。

──森岡選手が初めて練習に参加したときはどうでした?

ワクワクしていたし、夢みたいな感じでした。なんかすごいことを経験させてもらっているような。僕はFリーグから離れて、また関東1部での復帰を決めましたが、まさかその地域リーグのチームでいきなり一緒に練習ができるなんて想像できるはずないですよね。

ピヴォ・アラの連係はこれまで感じたことのないレベル

──リガーレ東京の森岡選手はどのように見えましたか?

プレー面も自己管理の面でもプロフェッショナルだということはみんなわかっています。でも薫さんは、僕らをものすごくリスペクトしてくれるんです。Fリーグやアジアの舞台でいくつものタイトルを取ってきたすごい選手なのに、リガーレの選手として対等な関係を築いてくれる。影響を与えまくりですよ。ピッチ内でもピッチ外でもあれだけの結果を出せる選手というのは、それ相応の理由があると痛感しましたね。

──でも、外から見ている限りでは、スペインへ戻るまでに一時的に在籍した“腰掛け”という印象も拭えませんでした。森岡選手はどんなモチベーションで練習に臨んでいるように見えましたか?

薫さんはそういうメンタルではありませんでしたね。自分のコンディション調整のためにプレーしていたのではなくて、リガーレの一員として、このチームで勝つために本気で練習に取り組んでいましたし、一人の選手として、チームに本当に多くの影響を与えてくれました。

──では、リガーレの選手は普段からどんなモチベーションで練習をしているのでしょうか?

練習中からモチベーションも強度もすごく高い。ハードな練習でもめちゃくちゃ頑張る。それくらい必死にやらないと試合には出られない。元Fリーガーとか、Fリーグの育成組織出身とか、そういった肩書きは全く関係ないですね。

──森岡選手もあくまでもリガーレの一人の選手としてメンバー争いをしていた。

そうですね。

──大薗選手は同じピヴォのポジションです。一緒に練習試合に出場することはありましたか?

リーグもまだ始まっていなかったですし、固定のセットは決まっていませんでした。バラバラのこともありますし、練習試合の3本中の1本は同じセットを組むということもありました。

──一緒に出るときの役割は?

そのときは薫さんがアラでした。すべてベストなタイミングで(ピヴォの自分に)ボールを出してくれる。要求すれば必ずそこに出してくれる。どの足にどのタイミングでほしいということも合わせてくれる。めちゃくちゃやりやすかったですね。

──森岡選手自身がアラとピヴォのどちらもできるからこそですよね。

はい。でも正直、ピヴォとアラの関係で考えたときに、僕のフットサル人生のなかで一番やりやすかったですし、感じたことのないレベルでした。自分の意思で動いているけど、薫さんの要求通りに動かされているようなイメージ。自分がどうしたいかもわかってくれているから、次のプレーに移りやすかった。

──2人とも強烈なシュートが大きな武器。対戦相手は嫌だったでしょうね……。

どうでしょうね(笑)。とにかく、公式戦に一緒に出たかった。それが正直な気持ちです。チームのみんなもそう思っているはずです。要求レベルが高いので決して楽ではなかったですが、一緒に練習をした時間は本当に素晴らしいものでした。短い期間でしたが、フットサルの楽しい部分に改めて気づかせてもらいました。

──森岡選手と一緒にプレーしたことが刺激となり、もう一度トップリーグを目指そうという思いも……?

いや、それはないです(笑)。まだリガーレに入ったばかりですし、何も結果を残していないですから。今は、Fリーグのチームに戻るという気持ちは全くありません。

──リガーレはFリーグ参入を目指しています。復帰するならこの一員として?

そうですね。自分が続ける、続けないというのはまた別の話ですが、このチームに入った以上はみんなと同じようにFリーグを目指すことが当たり前だと思っています。

──7月24日に開幕するはずだった関東リーグは延期となってしまいましたが、開幕が楽しみですね。

リガーレのサポーターはすごく熱いですし、後援会もあるのでいろいろな方に試合を見てもらいたいし、チームのことを好きになってほしい。自分は、そうやって応援してくれる方たちを楽しませたい。薫さんは退団しましたが、薫さんから受けた刺激もあるし、残してくれたものもある。いつか薫さんがスペインから帰国したときに、リガーレを選んでもらえるようなクラブになっていたい。また一緒にプレーしたいですし、尊敬している選手とプレーできたら幸せだと思うので、そのためにも頑張ります。

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