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2021.12.16

“フットサル界の久保建英”大澤雅士の覚悟。「自分が新たな道にどんどん進んでいく」

PHOTO BYゾット早稲田フットサルクラブ

「フットサル界の久保建英」──。

「炎の体育会TV」に出演し、そう紹介された青年は「内田篤人考案“動く的”」にチャレンジ。サッカー元日本代表の遠藤保仁のトップ記録に並ぶ19枚を打ち抜き話題になった。

名前は大澤雅士。今はスペインの名門クラブ、エルポソ・ムルシアのBチームでトップチーム昇格を目指す二十歳だ。

小学3年生の頃にゾット早稲田でフットサルを始めた大澤は、2年前のAFC U-20フットサル選手権に高校生ながら飛び級で出場。日本の初優勝に貢献するだけでなく、大会MVPにも選ばれた。

その翌年にはFリーグでプレーすることなくスペインへ渡った大澤は何者なのか。

彼のルーツを聞くと共に世界最高峰のスペインで過ごす日々のこと、そして3年後のワールドカップへ向けた想いを聞いた。

インタビュー=北健一郎 文=舞野隼大

自分も久保建英のように

──「炎の体育会TV」に出演して、その後の反響はいかがですか?

色々な人にSNSで反応してもらえました。自分が思ったよりも見られていて、「やっぱテレビはすごいな」と思いました。

──出演のオファーはどのようにして来たのでしょうか。

ゾットの清野潤さんと「炎の体育会TV」の関係者の方が知り合いで、僕がちょうど日本にいるときに「挑戦者を探しているけどどうですか?」という話が来たそうです。それで僕に「出てみないか」と言ってもらえたので「是非やらせてください」と。

──ジュビロ磐田で元サッカー日本代表の遠藤保仁選手のトップ記録に並ぶ20枚中、19枚のパネルを倒したのはマグレではできないと思います。自信はありましたか?

そうですね。ですが本番でフットサルボールは用意できないということでサッカーボールでした。4号球か5号球のどちらかなら選べたので、フットサルボールの大きさに近い4号球にしました。最初の何球かはやはり感覚が違いましたけど、なんとか調整できました。

──番組では「フットサル界の久保建英」と紹介されていました。実際、同じ年齢ですしスペインの名門クラブへ挑戦しようとしている境遇も似ています。自分自身、意識することはありますか?

いやぁ……「フットサル界の久保建英」というのは言い過ぎなんじゃないかと思います(苦笑)。でも歳が同じで、スペインに挑戦しているという共通点があるので久保選手のようになれるよう頑張りたいですね。

気がついたらフットサルの基礎が染み付いていた

──月並みな質問ですが大澤選手はフットサルとサッカー、どちらから始めましたか?

最初はサッカーですね。小学校のサッカー少年団で3年生の途中までプレーしていて、そこからゾットに入団してフットサルに転向しました。ただそのときは「フットサル一筋でやっていこう」という感じではなく、「サッカーのためにフットサルを始めよう」という感覚。またサッカーに戻るつもりでした。

──ゾットでフットサルを始めたのには何か理由があったのでしょうか。

ゾットのトップチームの選手と僕の母親がたまたま同じ職場だったからです。

──フットサルを初めてプレーしたときのことは覚えていますか?

コートが小さい分、足元の技術がつくと聞いていましたし、サッカーよりもボールに触る回数が多かったので楽しみながらプレーしていました。

──ゾットでは最初からフットサルの動きや戦術を専門的に学んでいたのでしょうか。

ゾットは2人組の戦術をよくやるのですが、その2人組の感覚だったり、パラレラ、ウンドイス、ジャゴナウの動きは意識しないとできません。小学生のときは渡邉博之さんに教えてもらっていて、何を教わったかちゃんとは覚えてないですが気がついたらそういったフットサルの基礎が染み付いていました。多分、楽しみつつもフットサルの基礎を覚えられるようなメニューを練習に組み込んでいたのではないのかなと思います。

──小学生年代でフットサルの専門的な動きを習得できるチームは珍しいですよね。

そうですね。なので周りのチームを見たときに、「ゾットはちゃんとフットサルに取り組んでいるチームなんだな」と思いました。

──大澤選手はサッカーに戻るつもりだったはずですが、その後もう一度サッカーで挑戦していこうとは思わなかったのでしょうか?

思わなかったですね。中学生の頃はサッカー部にも入部していたので、中学3年間はフットサルとサッカーを掛け持ちしていましたけど、フットサルの方が楽しかった。なので小さい頃に思っていた「サッカー選手になりたい」、「いつかサッカーに戻ろう」という考えはなくなっていましたね。

──現実的な話しかもしれませんが、プロ選手としてはサッカー選手の方が目立ちます。それよりも「自分がフットサルの新しい道を切り拓いていく」という考えだったのでしょうか。

そうですね。確かにサッカーの方がプロとして収入も知名度もありますけど、自分が好きなものをやりたかった。高校生ときには「僕がフットサルを広めて、発展させられるような存在になろう」と思っていました。

──ゾットのトップチームでデビューしたのはいつでしたか?

高校1年生のときですね。

──関東リーグで大人に混ざってプレーするというのはどんな感覚でしたか?

大人にフィジカルやスピードでは勝てないですが、自分の強みを100パーセント出すことだけ考えて、必死にプレーしていました。同じセットで出ていた選手からは「尻は拭くからお前のプレーをやってこい」と言ってもらえて、それはすごくありがたかったです。

──大澤選手は自分自身の強みや特徴はどんなものがあると思っていますか?

少しずつプレースタイルが変わっているのですが、16歳でデビューしたときはアラでドリブルを強みにしていて、よく1対1を仕掛けていました。今も1対1は強みではありますけど、フットサルの2人組の方がより自分の強みだと思っています。

──サッカー歴の方が長い選手がほとんどな中で、大澤選手は日本人では珍しいキャリアを歩んでいるなと思います。専門的にフットサルをプレーしてきたことはやはり自分自身の強みになっていますか?

そうですね。スペインに来てからも戦術理解度で劣ってる感覚はないです。それはゾットでフットサルを専門的にやってこれたということが大きかったからだと感じています。

Fリーグを経由しないで海外に行こうと思った

──高校3年生のときには関東リーグでベスト5に選ばれて、飛び級で選ばれたU-20日本代表ではAFC U-20フットサル選手権のMVPに選ばれました。そのときの話も聞かせてもらえますか?

僕は代表の中で年齢は一番下でしたけど、多分フットサル歴は一番上だったと思います。当時監督だった鈴木隆二さんはスペインで活動していたこともあって、隆二さんが要求するフットサルを理解してフィットするスピードは早かったことでチームの中心にいれたのかなと思います。なので年齢に関係なくやれていた感覚でした。

──当時代表メンバーだった毛利元亮や畠山勇気、山田凱斗は今、Fリーグで活躍しています。大澤選手にとって彼らはどんな存在ですか?

試合はなかなか見られないのですが、良い結果を残したということを聞くと刺激を受けますし、良い意味で焦らせてくれる。特に毛利元亮は同じ年代で中学生のときから東京都リーグU-15のリーグ何度も対戦しました。元亮の存在は僕にとって大きいです。

──大澤選手もどこかのタイミングで大澤選手もFリーグのチームへ挑戦すると思っていました。その選択肢は持っていましたか?

はい。挑戦する気はありました。高校生のときから「Fリーグでプレーして海外に挑戦しよう」というプランをなんとなく思い描いていました。ですがU-20のアジア選手権で優勝できてMVPに選ばれたことが自分の中では大きかった。アジアではありましたけど、外国の選手と戦って海外のフットサルに対する興味がより強くなったのでFリーグを経由しないで海外に行こうとなりました。

──ですが行きたいと思ってもエルポソへはなかなか行けないと思います。どのような経緯で入団できたのでしょうか。

アジア選手権でMVPを獲得したことが評価されたので潤さんを経由して練習参加を兼ねたトライアウトを受ける機会をもらえたんです。それに合格して入団できたという流れでした。

──スペインでのトライアウトの形式と手応えはいかがでしたか?

スペイン語が全く分からなかったので、英語を喋れる選手に軽く説明してもらうこともありましたが、練習を一回見ればルールはなんとなく分かりました。それはフットサルへの理解度があったからできたことだと思います。

 

エルポソBはどんなチーム?

──トライアウトに受かったことで今はエルポソBでプレーされていますが、エルポソBはどのようなチームですか?

トップチームへ練習参加する機会もありますし、実際にBチームから昇格している選手もいる。そういうところがエルポソBの価値だと思います。僕は8月にケガをしてしまって、それから手術をして全治3カ月いるので今季はまだプレーできていませんが、所属しているスペインの2部Bというカテゴリーは20歳前後の同世代で良い選手が多いので良い環境だなと思います。

──大澤選手はエルポソBで1年を過ごして、トップチームとの距離感はどこまで縮まったと感じていますか?

去年はトップチームに参加するレベルにはなくて、Bチームで結果を残して中心になることで精一杯でした。ですが今年は言語の部分や生活にも慣れたので手応えはあります。あと、W杯期間中はトップチームの選手が少なかったのでBの選手がトップチームの練習によく参加してチャンスは多かった。僕はケガのため練習参加は難しかったですがトップへの距離は近かったのではないかなという感覚です。

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