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作成日時:2022.04.14
更新日時:2024.02.16

入替戦の勝敗を分けた1本の究極セーブ。守護神・山口友輔が1年かけて矯正した“面ブロック”の結実|奇跡の残留力

PHOTO BY高橋学

何回、チームの窮地を救っただろうか──。

彼の活躍がなければ、ボアルース長野は間違いなく残留できなかった。Fリーグディビジョン1・2入替戦で見せ続けた一連のプレーこそ、明らかな “勝因”の一つだった。

守護神・山口友輔。入替戦の対戦相手でもあるしながわシティの前身、トルエーラ柏で2019シーズンにFリーグのピッチに立ったものの、F1の舞台は昨シーズンが初めて。地域リーグに戦いの場を移していた彼は、シーズン途中に長野に加入してFリーグ“再デビュー”を果たし、度重なるスーパーセーブで何度もチームを救ってみせた。

試合を中継したABEMAでは彼の一風変わったニックネームが一気に拡散され、王者・名古屋オーシャンズを相手にことごとく決定機を凌いだ試合のコメント欄は「エンガワ」の文字であふれ返った。いつしか彼は、リーグ屈指の人気GKへと推されていった。

そんな山口は、リーグ戦で最下位に甘んじ、入替戦に臨むことになったチームを最後方から支え続けた。不動の守護神となった彼は、ピッチでなにを感じていたのか。

実は、明かされたことのなかった「エンガワ」の由来、シーズン途中の移籍、ロンドリーナ時代から学び得てきた横澤直樹前監督のフットサルのこと、そして入替戦のパフォーマンス。長野のF1残留の立役者・山口に、SALが初めて迫った。

※インタビューは3月16日に実施した

インタビュー=北健一郎
編集=舞野隼大



「エンガワ」の誕生はロンドリーナ時代に遡る

──Fリーグを中継するABEMAでは、山口選手の長野でのデビュー戦から「エンガワ」のコメントであふれました。その後もすごい勢いで人気が増していったのですが、ニックネームの由来が明かされていません。触れてはならないことだったり……?

いえ、大丈夫です(笑)。

──よかった。では、なぜ「エンガワ」と呼ばれるようになったのでしょう?

2015年ごろ、初めてロンドリーナの練習に行ったときですね。当時の横澤直樹監督に「好きなものはあるか?」と聞かれて、寿司が好きだったのですが「マグロ」とかオーソドックスなことを言っても名前を覚えてもらえないだろうなと思いまして……。

──それでまさか。

はい、当時よく食べていた「エンガワ」と言ってみたんです。そうしたら直樹さんにかなりウケたみたいで、それから「エンガワ」と呼ばれるようになりました。

──名付け親は横澤さんだったんですね!ありがとうございます。「山口」も「友輔」もまったく関係ないニックネームの謎がようやく解けました。

ははは(笑)。突然呼ばれて、それが浸透してしまった感じでしたからね。

──長野に移籍してからも「エンガワ」でしたか?

入団して、最初に紹介してもらうときに直樹さんが「こいつはエンガワだ!」と伝えて以来、ずっとエンガワですね(苦笑)。

──山口選手は昨シーズン途中に長野の一員となり、ロンドリーナ時代に教わった横澤前監督と再会しました。どうして移籍されたのでしょうか?

実は、2019-2020シーズンに1年間戦ったトルエーラ柏を退団する際、知り合いを通じて長野でプレーさせてもらえないか聞いてもらったのですが、いい反応をもらえませんでした。それでも、ずっとF1でプレーすることを目指してきたので、Fリーグのクラブと戦って見てもらう方法を考えました。その一番の近道は全日本選手権大会の本戦に出ることだと思い、関東リーグのゾット早稲田でプレーすることにしました。

──その後、2021年6月に長野へ移籍することになりました。

はい。去年の3月末にゾットで契約更新するかしないかの判断に迫られ「もう1年プレーします」と伝えた後、長野のゴレイロにケガ人が続出したことで移籍の話が浮上しました。シーズンが始まってすぐのタイミングでしたし、ゾットの清野潤監督をはじめ、多くの人に迷惑をかけてしまいました。でも、「結果を出して『送り出してよかった』と思ってもらえるように頑張ろう」と覚悟を持って長野へ行きました。

──山口選手は現在25歳。移籍するにしても、仕事などの調整もあったと思います。そこは「F1でプレーしたい」という気持ちで乗り切ったのでしょうか?

セカンドキャリアのことはすごく考えていて、ロンドリーナ時代、正社員として働ける環境とフットサルをプレーできる環境が整っていた柏に移籍して、F1昇格を目指しました。柏を離れた後も正社員にこだわり続けてきましたし、長野では仕事を斡旋してもらえました。関東での仕事をすべて断ち切って長野へ行くことを決めました。

──若くしてやめていく選手もいるなかで、その決断は珍しいように感じます。
横澤監督が率いているチームということは大きかったですね。長野の試合を見ていて、ロンドリーナでやってきた積み重ねを生かしながら、長野で取り組んでいるやり方を習得すれば、戦術面はクリアできると思っていました。それに、自分がこれまで積み上げてきたものが日本のトップリーグでどれだけ通用するか試してみたかったので、入団が内定したタイミングで退職の手続きや、家を決めるまでの段取りは早かったです。

直樹さんのフットサルを理解するには時間がかかる

──6月途中に長野に入団後は、出場停止になった試合以外、ほぼすべての試合に出場しました。加入当初のチームはどのような状況でしたか?

チームとしての決まり事はありますが、個人個人でその捉え方が違っていたので、第1クールは連係に戸惑いがありました。それに、第1ピリオドは裏のハイボールについて来てくれる選手が、第2ピリオドは体力が落ちてついて来られなくなる場合、自分が2、3メートル前にポジションを取ることでカバーすることもありました。そのほか、第2ピリオドにスライディングの回数が減ってくるので自分がセグンドの対応をするなど、第1クールはいろんなことを考えながらプレーしていました。その後、第2クールに入ってからは連係も取れてきましたし、止めることに集中できるようになっていきました。それでストレスなくプレーできるようになったことが大きかったです。

──でも、最初のころからシュートを止めまくっていましたよね。

たしかに、止められていた感触はありましたけど、緊張していて気持ちがたかぶっていましたし、振り返ってみると勢いでプレーしていたなと思います。

──ロンドリーナ時代から教えてもらってきた横澤前監督ですが、勝てないことで批判を受けることもあったと思います。チーム内の雰囲気はどのように感じていましたか?

多くの選手にとって、今までやってきたようなフットサルとは異なると思うので、直樹さんの下でプレーする1年目は難しさを感じることがあると思います。それに慣れていないなかで、結果も出ていなかったことで「この戦術で勝てるのか……」と感じてしまった選手もいたのかもしれません。僕自身は、本格的なフットサルに触れたのが直樹さんだったこともありますし、常識外れな戦術だと思ったことはありません。

──具体的に、どんな特徴がありますか?

Fリーグではあまり見ないような奇抜な戦術など、たしかに難しいことをしていたと思います。「旋回」もするけど、そこに変わった動きが入っていたりします。フィールドの選手は戦術を10個覚えればなんとなく動きがわかってきますけど、組み合わせれば何十通りにもなりますよね。それを覚えることも大変ですし、監督から「これをやれ」と言われたときに、イメージ通りに体現することが難しかったのかなと思います。

──横澤前監督は、「チームとしての土台ができて、強くなるには7年かかる」という持論を話していたこともあります。

僕はゴレイロなので詳しく介入することは少なかったですが、直樹さんのフットサルを理解するには、たしかに時間がかかると思います。ボール1個の出し方だけでもキリがないくらい細かいので、そういう意味で「7年」と言ったのかなと思います。

──「なにを考えているのかわからない」という声があるのも事実です。

シーズン中、選手が直樹さんと言い合うことはよくありましたし、僕も何度か経験しています。「試合に出さない」と伝えられることもありますけど、理由を聞けばきちんと答えてくれる監督でした。接していた期間が短い選手ほど、理解できないことが多かったのではないかと思います。「負けたら監督の俺が悪い」というより「体現できなかった選手が悪い」という考え方だと思うので、そこで“ハテナ”を浮かべる選手もいたと感じることはありました。実際に、「選手がやれていたのに勝てない」と感じたことがないわけではないですが、監督の思い描くフットサルをピッチで体現できていたかといえば、あまりできていなかったと思います。

──横澤前監督は、シーズン途中に契約満了という形でチームを去ることになりました。そのとき、山口選手としてはどんなことを思いましたか?

監督が代わっても結果が出なければ「やはり選手たちが原因だったんだ」と言われると思いましたし、選手同士でも実際にそうした話が出ていました。「もうやるしかない」「後がない」という感じでした。

──コーチを務めていた柄沢健監督になってからはどんな変化がありましたか?

試合中、練習中の雰囲気はいい方向に変わったと思います。それまでは失点するとみんなのテンションも下がっていきましたが、柄沢監督になってからは失点してもベンチから盛り上げていくように、チームの一体感が増しました。一方で、監督が代わった後の戦い方が大きく変わったとは感じませんでした。第1クールが終わって、11位のエスポラーダ北海道とは10ポイント以上離れていましたし、勝つためには失点をどれだけ少なくして、得点をどれだけ増やせるかだと話しながら戦っていました。

──長野では特に、シュートストップの場面が多いと思います。そこで簡単に決められてしまっては試合が崩れてしまう。ゴレイロへのプレッシャーが大きかったのでは?

10月に初めて戦った名古屋戦で、トップクラスの外国人、代表クラスの選手から44本もシュートを打たれながらほとんど止められたので、それ以降の試合でも自信になりました。あの試合から気持ちに余裕が生まれ、今までは止めればよしとしていたものをキャッチできたり、ボールを弾く場所を考えられたりするようになりました。



勝敗を左右した“手のテイクバックがない”ブロック

──チームはシーズン終盤に追い上げたものの最下位から変わらず、しながわとの入替戦に回ることになりました。山口選手はどんな気持ちであの試合に臨みましたか?

F1とF2では大きな差があると思っていて、F2で絶対的な強さだったとしてもF1で戦ってきた長野のほうが強度は高いと感じていました。なので「絶対に俺が止める!」という強い気持ちを持っていましたね。それに、しながわは古巣でもありますから、個人的にも「自分のことを残しておけばよかったと思ってもらえるように頑張ろう」と。

──入替戦は第1戦から何本もシュートを止めていましたが、失点シーンは鮮やかなボレーを決められてしまいました。事前にどんな部分を警戒していましたか?

もともとボレーを警戒していたなかで決められてしまいましたが、それ以外は守れていたので、「ボレー以外のシュートストップは第2戦でも大丈夫だろう」という自信がありました。セットプレーからの2発で逆転負けしてしまい悔しかったですが、第2戦でひっくり返せると思っていたので、そんなに焦りはありませんでした。

──ですが、第2戦は第1ピリオドに2点を奪われて絶望的な状況に。

それで第2ピリオド開始からパワープレーを始めることになりましたけど、「もう1失点したら終わり。なにがなんでも止める」という気持ちでした。29分に1点を返せたことで「もしかしたら残留できる」と頭をよぎりました。ベンチワークを含め、今までやってきたことが逆転につながったと思うので、本当にうれしかったです。

──右から抜け出した白方秀和選手との1対1を止めたビッグセーブがありました。

シュートが右手に当たったやつですよね。

──入替戦の結果を左右するほどの大きなプレーだったと思います。

その後に僕らに得点が生まれましたけど、ああいう1対1を止められるかどうかで勝負が決まってきます。過去には、それまで何本も止めていたのに、残り1秒で最後の1本を止められずに負けた経験もあります。その光景を思い出して「3点目を決められたら本当に終わり」と自分にプレッシャーをかけていたので、止められてよかったです。

──至近距離からのシュートでしたが、どうやって止めたのでしょうか?

あまり覚えてないですけど、ボールから逃げないことを心がけていました。

──山口選手は“面”の作り方がすごくうまい印象があります。

ロンドリーナ時代、GKコーチの阿久津貴志さんからも「面で止めるタイプ」とよく言われていて、そこは練習から意識しています。今までは手の振りが大きかったのですが、ゾットにいたとき、(日本代表GKコーチの)内山慶太郎さんがアドバイサーとして指導してくださり、癖になっていた僕の手の振り方を1年かけて直しました。あのシュートは「手のテイクバック」がなかったことで止められたのかなと思います。

──腕の位置を固定してそこにシュートを当てるイメージ。

そうですね。振りが大きすぎるとボールがその間に抜けてしまうので、腕を動かさないで反応できるように意識していました。

──シュートを止めまくっていますが、フィウーザ選手や関口優志選手のようにダイナミックに止めるイメージではなく、篠田龍馬選手やピレス・イゴール選手のようにポジショニングや姿勢の良さで淡々と止めているような印象があります。

誰に似ているとかはあまり考えたことはないですが、背も高くないですし、身体能力が優れているわけでもないので、ボールに食らいついているイメージですね。

──自分ではどんなタイプのゴレイロだと捉えていますか?

前に出る推進力はあると思っています。ですが、上がってから下がるときに後傾になってしまうために止められないことが弱点で、わりと前に出て止める場面が多かったなと思います。そこを直そうと思っているのですが、やり方をガラッと変えたときに「止められなくなるんじゃないか」という心配もあります。最終節の名古屋戦では中間ポジションを意識して前に出る、下がるという駆け引きをペピータ選手相手にできたと感じています。結果、試合には負けましたが、入替戦につながるような前向きな内容でした。

──お手本にしている選手はいますか?

この選手というのは特にいません。ただ、自分と同じくらいの背丈の選手の動画を見ています。例えば、ブラジル代表のギッタ選手ですね。どちらかと言えば自分はスペインのゴレイロより、ブラジルのゴレイロに近いタイプだと思っています。

──そこにはどんな違いが?

スペインは面を作って前に出ますが、ブラジルは膝滑りで止める「ダブルニー」を使う場面が多いです。それだと次のドリブルなどの動作に対応できないのでスペインではよく思われていません。ただ、そうしたプレーも選手によって向き不向きや、適したシーンなどがあります。僕は21歳のとき、バルセロナに短期留学したのですが、そこで世界のトップレベルを肌で感じられたことが今に大きくつながっていると思います。

自分は救世主じゃない。新シーズンも天狗にならずに

──シーズンを通して、本当に多くの人から「エンガワ」というニックネームで親しまれていました。それを引き起こしたのはもちろん、ピッチでのプレーでした。Fリーグで大きなインパクトを残したことについて、ご自身ではどう感じていますか?

注目してもらえることはとてもうれしいですし、ABEMAのコメント欄を見ても応援してくださる声がすごく多かった実感があります。期待に応えられているかはわからないですけど、天狗にならずに新シーズンはこれまで以上に結果にこだわっていきたいです。

──この先の目標はなんでしょうか?

今年で26歳ですから、選手としては若くないと思っています。もっと早い時期から試合に出ている選手と比べて明らかに積み重ねられるキャリアに差が出ますから、一つひとつのプレーに後悔がないようにしたいです。あとは、昨シーズンは入替戦を制して残留できましたけど、次はリーグの順位で残留させることが目標です。来シーズンは今回の経験が生きると思うので、上位争いできるように頑張っていきたいと思います。

──長野を残留へ導いた救世主ですからね。

いえ、結果的に自分が止めたことも影響して勝てたという感じで、救世主だとは思っていません。いいプレーをしてチームの力になることが自分の評価につながると思うので、来シーズンはチームとして飛躍の年にしたいです。

──個人的に、プロになるとか海外に行きたいという気持ちは?

当然、日本代表に入りたいという大きな目標が考えられるとは思いますけど、いろいろなものを含めて考えても、今の自分は与えられていることをこなすのに精いっぱい。その環境で結果を残すことができれば、自ずと次のステップに進めると思っています。



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