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作成日時:2023.02.20
更新日時:2023.02.20

“湘南乃星”が電撃帰還?!元J湘南・菊池大介がフットサル転向を果たし、F湘南へ!

PHOTO BY湘南ベルマーレフットサル公式HP

19日、Jリーグクラブ・FC岐阜に所属する菊地大介がフットサルプレーヤーへ転向し、2023-2024シーズンより湘南ベルマーレフットサルクラブへ移籍加入することが発表された。

「この決断に至るまでにたくさん悩んだ」

思わぬかたちで、“湘南の10番”が帰ってきた。

菊池大介は、神奈川県横浜市出身の今年で32歳を迎える現役のJリーガーだ。2007年に湘南ベルマーレユースからトップ昇格を果たし、ザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)での期限付き移籍も交えながら、2016年までの9年間を湘南で過ごした。

スピードとやテクニックを兼ね備えたドリブルで相手を翻弄し、ファン・サポーターを魅了した菊池は、“湘南乃星”のキャッチフレーズとともに、2012年からは湘南で背番号10番を背負い、クラブの顔として愛された存在だった。

2017年には惜しまれながら浦和レッズへの完全移籍を果たし、以後柏レイソル、アビスパ福岡、栃木SCとキャリアを重ね、2022シーズンはFC岐阜にてプレーを続け年間20試合に出場し、2得点をマークする活躍を見せていた。

しかし、11月末に岐阜から契約満了の通知を受け同クラブを退団。約3ヶ月悩んだ末に、この度フットサルへの競技転向を決断し、Fリーガーとして再び湘南のクラブでプレーすることが発表された。

そんな菊池だが、実は小学生時代に所属していた佐久サームFC(長野県)でフットサルの全国大会にも出場し、全国3位の成績を収めた経歴を持っている。本格的に選手として競技フットサルをプレーをすることは初めてではあるものの、ロドリゴや鍛代元気というクラブの主力選手が退団するなかで、即戦力としての期待も高まる。

JからFへ。菊池は再び「緑と青の勇者」として、第二の人生をスタートする。

リリースは以下のとおり

■菊池大介選手 フットサルプレーヤーへ転向 湘南ベルマーレフットサルクラブへ移籍加入のお知らせ

この度、Jリーグの湘南ベルマーレをはじめ、ザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)、浦和レッズ、柏レイソル、アビスパ福岡、栃木SC、FC岐阜でプレーしました菊池大介選手がフットサルプレーヤーへ転向し、湘南ベルマーレフットサルクラブへ移籍加入することが決まりましたのでお知らせいたします。

【プロフィール】
◆氏名
菊池 大介(キクチ ダイスケ)

◆生年月日
1991 年 4 月 12 日(31 歳)

◆ポジション
FP

◆身長/体重
172cm/68kg

◆選手経歴
就将 SC→佐久サーム FC→湘南ベルマーレユース→湘南ベルマーレ→ザスパ草津→湘南ベルマーレ→浦和レッズ→柏レイソル→アビスパ福岡→栃木SC→FC岐阜

◆出場記録
J1リーグ 113試合出場8得点
J2リーグ 222試合出場24得点
J3リーグ 20試合出場2得点
カップ戦 22試合出場1得点
天皇杯 17試合出場0得点
ACL 3試合出場0得点

【コメント】
この度、サッカープレイヤーからフットサルプレイヤーに転向し、湘南ベルマーレフットサルクラブに加入することを決めました。

この決断に至るまでにたくさん悩みました。
何度も何度もこれでいいのか、違うのではないかと自問自答を繰り返しました。
サッカー選手をやめるこの決断に悔しさは当然あります。ただ決断した今、後悔はありません。

幼稚園からサッカーを始め、最初全く楽しいと感じられなかったサッカーがいつの間にか自分にとってなくてはならないものになっていました。
小学4年生の頃から将来プロサッカー選手になりたいと思うようになり、そこから自分の中でスイッチが入りました。
神奈川県、鳥取県、長野県と父親の転勤でたくさんの県に行き、サッカーが繋いでくれた縁が僕をここまで成長させてくれました。

鳥取県の就将SC、長野県の佐久サームFC、高校から湘南ベルマーレユースと本当に素晴らしい指導者、仲間に僕は恵まれました。
決してスーパーなプレイヤーではなかったです。
それぞれの土地で心を揺さぶられる指導を受け、負けたくないライバル、目標にする選手、
共に上を目指したいと本気で思える仲間に出逢い、成長させてもらえたおかげでサッカー選手という夢を僕は叶えられました。

そして湘南ベルマーレという自分にとってかけがえのない家族のようなチームに出逢いプロ生活をスタートでき、ザスパクサツ群馬、浦和レッズ、柏レイソル、アビスパ福岡、栃木SC、FC岐阜とたくさんの素晴らしいクラブでプレーさせていただきました。
苦しい時期も多かったですし、怪我もありました。壁にぶつかる度、何のために自分はサッカーをやっているんだと何度も思いました。けれど、やっぱりサッカーが大好きだから続けられた。
なによりも応援してくれるファン、サポーターの皆さん、家族にプレーを見てほしい、幸せになってほしいという気持ちが僕を前に進ませてくれました。

サッカー選手として海外に出て活躍し日本代表に入る、日本を代表する選手になると、常にその目標を持ってプレーしていました。
だからこそ悔しいです。

サッカー選手ではなくなるという決断を両親、家族に伝えるのが1番悔しかったし苦しかったです。
ただ同時にこれから新しい挑戦をする姿を見せられることに今はワクワクしていますし、まだ感謝を伝えられる舞台があることが嬉しいです。
そしてその新たなチャレンジをするクラブが湘南ベルマーレであるということにやりがいと幸せを感じています。

フットサルという新たなチャレンジに興味を持ち練習参加もさせていただきました。
その時、サッカーとは全く別のスポーツだなと感じました。めちゃくちゃきつかった。悔しかった。その分すごくやりがいを感じている自分がいました。
自分が今までいろいろな土地に行き、自分よりすごい選手を見て追いつきたい追い抜きたいと思ってきたように、自分が一番下からのスタートで成長していき這い上がれるチャンスがあること、追いつき追い抜くチャレンジがしたいと強く思いました。

試合も見に行き、もっともっとFリーグ盛り上げたいと思いましたし、もっとたくさんの人に認知され応援されるべきスポーツだと思いました。たくさんの人達を魅力し心を揺さぶるパワーがあるなと感じています。
微力ではありますが僕の持っているものを全て還元していきたいです。
そして湘南ベルマーレフットサルクラブの2026年にアジアチャンピオンになるという目標をピッチの上で迎えたい。
そのために吸収できるものを全部吸収して頑張りたいと思っています。

フットサルプレイヤーになると同時にクラブでも仕事をさせていただけることになっています。
ここでもこれまで経験したことのない新たなチャレンジも待っています。デュアルキャリアを存分に楽しみたいと思いますし、先輩、後輩関係なくたくさんのものを吸収させていただき、これからの湘南ベルマーレの歴史を支える存在になれるように精一杯頑張りたいと思っています。

僕の新しい挑戦に少しでも興味を持っていただけたら嬉しいですし、フットサルでは小田原アリーナを毎試合パンパンにできたら最高だなと思います。
やっぱりサッカー同様、会場の雰囲気、パワーは必ず選手の力になるので。
みんなで協力して、毎試合満員の中プレーしたい。そのために自分にできることはなんでもしたいです。

そして湘南ベルマーレフットサルクラブが大事にしている地域貢献活動などにも積極的に参加していき貢献していくつもりです。

FC岐阜を退団してから自分の去就を心配して気にしていただいた方々、連絡を下さった方々、本当にありがとうございます。

このチャレンジを楽しみたいと思いますし
また応援していただけるように頑張ります!!

長い文にはなりましたがまだまだ伝えたい気持ちはたくさんあります。
その思いはフットサルのピッチと湘南ベルマーレでの働きぶりを見て感じていただなけたらなと思います。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。

「たのしめてるか。」と常に自分に問いかけ
ポジティブシンキングとリバウンドメンタリティで第二の人生も頑張ります!!

 

 

 

 

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