【必殺仕掛け人・田口元気プロデューサーの思い/後編】「『フウガが好きだ』という人たちを作れるプロジェクトにしたい」
PHOTO BYフウガドールすみだ
フウガドールすみだの田口元気がプロデューサーとして仕掛けた「Reverse&Rebirth」プロジェクトが、SNSを中心に大きな話題を集めている。まずは、田口がどうしてこの企画をスタートさせたのか、そこにどんな思いがあったのか、インタビューの前編をご覧いただきたい。
後編は、プロジェクトのキモといえる“枠組み”がどのように形作られたのか、生み出した田口の人物像を紐解きながら、その背景に迫りたい。そこで浮き彫りになったのは、田口が既存のアスリートの枠に捉われない存在であり、選手としても、一人の社会人としても“同じ時間軸”で生きているということ。
彼の生き様は、未来のアスリートの新しいモデルケースかもしれない──。
いろんな人を巻き込んでいくことが必要
──それにしてもすごいのは、田口プロデューサーの企画力と実行力です。田口選手は、これまでもいわゆる一般企業に勤めながら選手を続けてきましたが、どんな仕事をしてきたのでしょうか?
田口 チームは今年から、(これまでの夜帯の練習から)午前練習になりましたが、それまでは(定時勤務の)一般企業でした。新卒で入社した会社で、スポーツ選手として支援してもらっていたわけではありません。普通に仕事をして、それ以外の自分の時間を使ってフットサルをしていました。その頃は、ビジネスをしている自分とスポーツをしている自分の2人がいて、二面性がありました。これはフットサル界では当たり前ですが、社会では当たり前ではないことなんですよね。だからこそ、いろんなことを感じていました。
例えば、社会ってどうしてチーム性がなくてまとまらないんだろう? フットサルをやっているとみんな一体感があるのに何でだろう? という感じです。その後、フウガの練習環境の変化とともに今の会社に変えて、選手としての時間を支援してもらえるようになりました。そうやって、社会と選手の両立をしてきた中で、もっとフットサル(の立ち位置)を変えていける実感があったので、それを実行しようと思いました。
今、自分が感じている社会で当たり前のことやフットサルで当たり前のことを、両方の側面から発信しないともったいないなと思ってプロジェクトを考えたのですが、幸いにして、フウガのスタッフは非常に実行力の高い人がそろっているので、すぐに乗ってくれました。動き出した際のエネルギーもすごかったですし、プロジェクトがスタートしてから今までの1カ月は、本当にすごく楽しかったです。
──ちなみに、今のお仕事は「不動産ディベロッパー」だとか。
田口 そうです。今は、不動産ディベロッパーの仕入れの営業なので、しっかりと数字を出すことが会社から求められていますが、逆にその数字を出せば、ある程度は自分の自由な時間を確保できます。
──具体的にはどんな仕事なんですか?
田口 「不動産」といっても、いろんな種類の仕事があります。住宅、投資、商業ビルなどなど。基本的にそれらすべてのメニューをやっている会社です。わかりやすくいうと、古いマンションがあったとして、それを一般の人に販売できるものにすること。古いマンションはなかなか購入されないので、それを僕らが仕入れて、新しいニーズにあったものにリノベーションします。他にも、古いマンションやアパートを解体して、そこに住宅などを建てられるようにするとか。ざっくり言うとそんな感じですね。
──それは企業に対しても個人に対してもやるものですか?
田口 エンドユーザーは企業や個人投資家、もちろん一般の人もいます。ただし、僕らが「買ってください」と販売するのではなく、僕らは商品を作る側なんです。コンビニでいえば、商品を作るのが僕たちで、それを販売する店舗や店員さんが不動産仲介と言われる人たちですね。
──それ以前は全く関係ない仕事を?
田口 全く関係ない、国際輸送を取り扱う、関西の総合物流会社です。英語で電話したりメールしたりとか。メールは7割くらいは英語で、電話で海外の人たちと話しながら、例えば、自動車メーカーのこういう部品をデトロイトの工場に送るとか。それを自動車会社から依頼を受けて、飛行機や船を使って輸送する仕事でした。
──語学はいつ習得したんですか?
田口 大学3年の時にロンドンに半年間、留学していたので、日常会話はできるようになりました。契約までもっていく英語はちょっと厳しいのですが、コミュニケーションを取って仕事を進めていくくらいのやり取りはできます。留学当時は、向こうの地域リーグクラスのフットサルチームに「俺を入れてくれ」とメールをして、プレシーズンまでプレーもしていました。そういった経験を通して、だいぶ視野が広がりました。
──田口選手は、いわゆるサッカーのエリート街道を進んできた印象でした。
田口 どうでしょうね。高校までは、アンダー世代の日本代表には選ばれませんでしたが、小学校の頃はナショナルトレセンなどに選ばれて、原口元気や高木俊幸なんかとは一緒にプレーしていました。高校は鹿島学園で全国を目指していましたが、自分の代では出られませんでしたね。
──高校まではがっつり第一線でサッカーをしていたわけですよね。
田口 そうです。でも進学した神奈川大学ではサッカーはしませんでした。ただしその分、いろんな経験をしたのもその頃ですね。留学もそうですし、川崎から神戸までヒッチハイクをしたりとか(笑)。
──ヒッチハイクって、本当につかまるものなんですね(笑)。
田口 意外といけますよ。本当は広島に牡蠣を食べに行こうとしていたのですが、神戸にいた先輩のところで盛り上がっちゃったので、そこで遊んでる方がいいかって(苦笑)。でもそういった経験は就活にも生きました。自分でアイデアを考えて、仮説を立てて、検証して、何かを決断する力はありますって(笑)。
──実際に、面接官にそういう話をしていたんですか?
田口 そうですね。留学時代も、本当は英語はできなかったのですが、話せなくてもボールがあれば友達になれるはずだという考えがあったので、じゃあ蹴れるところに行こうと思ってイギリスにしました。案の定、最初の自己紹介も通じなかったのですが、辞書で調べた拙い英語でメールして、2チームから入れてくれるという返事をもらいました。ロンドンでは、そこで知り合った外国人とシェアハウスに住んだりもしましたね。
自分がなりたいものに対して仮説を立てて、自分ができることを基に手段や方法を考えて、それを実際にやってみるということですね。もちろん、その過程で失敗もたくさんしているのですが、そこを前向きに捉えることで、できないことなんてないんだというくらいの気持ちで就活には臨んでいました。
──なるほど。不動産の仕事もおそらく、専門的なスキルがかなり必要だと思いますが、転職していきなり適応できているのは、PDCAサイクル(「Plan=計画」、「Do=実行」、「Check=評価」、「Action=改善」)を学生時代から意識していたことも大きいわけですね。
田口 それはあるかもしれません。あとは「人を巻き込む力」です。これは自分の強みだと思っています。今の仕事は、建築も土壌も法律も絡んでくるので、すべてにおいて専門者がいるわけです。だから僕は、いろんな人の情報を集めて自分で決断するということが仕事です。不動産の商品を作る部分では、PDCAに加えて、いろんな人を巻き込んでいくことが必要だなと思っています。
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