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作成日時:2018.11.20
更新日時:2018.11.20

【Youはどうやって日本語が上手に?】クロモト流、外国語を覚えるコツはBEGINの「島人ぬ宝」!?

PHOTO BY本田好伸

ひらがな、カタカナ、漢字の3種類がある日本語は「世界で一番覚えるのが難しい言語」とも言われている。

2013年に来日したクロモトは、湘南ベルマーレ、ヴォスクオーレ仙台を経て立川・府中アスレティックFCに加入。イタリアとブラジルの二重国籍を有するクロモトにとって今年は重要な年。外国人選手にとって帰化申請が可能となる節目の5年目を迎える。そんなクロモトのピッチ内外のコミュニケーションは、日本人選手と話す際は全て日本語。すでに難なくコミュニケーションが取れるレベルにある。

いったいどんな方法で日本語を習得し、上達させてきたのか。クロモト流の「日本語マスター講座」の真髄に迫る。なおインタビューは、本人が話した言葉を可能な限りそのまま再現する形で掲載する。

楽しみながら曲を聴いて字幕を見て書くことがコツ

■Step1(来日前)祖父、祖母は日本人?

──日本に来る以前から日本語を喋ることができましたか?

全然できない。日本来てから喋りができました。

──ご家族に日本人の方がいると聞いていますが?

おじいちゃんとおばあちゃんは日本人だけど、ブラジルに来てポルトガル語を勉強しなければいけない。なのでポルトガル語で慣れていて、お父さんやお父さんの兄弟は(日本語を話すことが)少しだけ(できる)。ちょっとした単語だけで、あとはポルトガル語。家族でみんなポルトガル語。

──おじいさんとおばあさんは日本人で日本からブラジルに行かれたのですか?

そうそう。日本人で子供の時、5歳の時にブラジルに行って、結婚した。お父さんが生まれてブラジルで結婚して僕が生まれた。

──クロモト選手が幼少の頃から家族内の会話はポルトガル語でしたか?

そうそう。家の中の言葉、日本の「ご飯」とかはたまにあった。言葉、単語だけ使っていたけど会話や文はない。

──いつから日本語に興味を持ちましたか?

日本に来る前に興味はあったから、イタリア(でプレーしていた)の時に休みがあって、そこで少しだけ勉強した。(日本に行くための)準備していた。それが日本に来る2年前で、(ブラジルに戻った時に)1カ月勉強してまたイタリアに戻る。ブラジルにいた時に、毎日勉強した。「私はコーヒー飲みます」とか。カタカナやひらがなを勉強した。でも日本来たら全然違って、(日本語の勉強が)足りなかった。

■Step2(1年目)湘南時代は市原誉昭さんを通してコミュニケーション

──それから2013年に来日して湘南ベルマーレに加入しました。当時はいかがでしたか?

当時は市原(誉昭)選手、ボラ選手がポルトガル語で話せたから、3人で色々話した。日本に来てから2カ月後には仕事していて、みんな日本語。だから覚えないといけない。だったから、少しずつ覚えた。

──ゴレイロのポジションはFPとのコミュニケーションが大事だと思いますが、来日してすぐの湘南時代はどのようにコミュニケーションを取っていましたか?

大事な言葉はすぐ覚えた。それ以外は、イチ(市原)はフィクソだったから。(市原さんを通して周りの選手と)すぐにコミュニケーション取れた。

■Step3(2年目)日本語を憶えるきっかけはBEGINの「島人ぬ宝」

──翌2014年にはヴォスクオーレ仙台に加入しましたが?

仙台では監督が比嘉(リカルド)だったから。比嘉もポルトガル語できて、日本にも長くいる。でも日本に来て勉強時間がない。もっと勉強時間が欲しい。

──仙台は比嘉監督しかポルトガル語をできる選手はいなかったはずですが、他の選手とのコミュニケーションはどのように取っていましたか?

難しかったですけど、これはチャレンジ。もっとうまくいかないといけないと考えて。チームもポルトガル語の単語とかで話してくれた。それも(自分を)助けた。

──具体的に日本語の勉強はどのようにされていましたか?

仙台の時にちょっとだけ。1週間に1回の1時間半だけ勉強していた。学んだことを生活や仕事、練習で使う。その他には勉強時間はなかった。書くことよりも話すこと。あとは曲、音楽聴いて字幕読んで書く。

──その時の思い出の曲はありますか?

色々あるかな。でもBEGIN。島人ぬ宝。あれが好きだった。字幕読んで、ひらがなとカタカナと漢字を覚えるため。仙台の時が一番日本語覚えた。湘南にいたのは6カ月だから。

■Step4(3年目〜現在)スクールコーチをしながら日本語を学ぶ

──立川・府中に来ることにはすでに、日本語でのコミュニケーションに何の問題もなかったのでは?

それも少しずつ。最初はまだ難しかった。去年くらいから自信が出てきた。

──立川・府中に来てから新たに日本語の勉強はされていますか?

全然。チームメイトと話したり、仕事で話したり。

──お仕事は何をされていますか?

今はプリメイラのGKコーチ、アスピランチのGKコーチ、ジムのトレーナー、サッカーのインテルアカデミーのコーチ、スクールのコーチ。

──ほとんどの場面で相手にするのはお子さんだと思いますが、そこでのコミュニケーションは難しいですか?

大変! 大変! 大変。でもそれも良い。コーチの言葉聞いてる。「あっ、この言葉使う」って聞く。

■Step5 日本語を覚えるためのクロモト流のコツとは?

──クロモト選手は選手だけでなくレフェリーにもはっきりと日本語で伝えていますよね。もう日本語に不安はないのでは?

(日本語でコミュニケーションを取ることは)大丈夫だけど、もっと綺麗に伝えたい。審判には。まだそんなに喋れないから、もしかしたら、言葉がおかしいとは言わないけど、強い言葉使ってる。審判も「怒ってるな」って思うかもしれない。本当はもっと綺麗な日本語を覚えたい。コミュニケーションをちゃんと取るため。

──このインタビューをしている間にも、クロモト選手の日本語でのコミュニケーション能力の高さに驚かされますが、外国人選手にそのコツを教えてください?

一番良かったのは音楽。曲聴いて、字幕見て、楽しみながらできる。あとはお話をしないといけない。もしかしたら恥ずかしいとかあるかもしれないけど、僕はミスしても関係ない。それは仕方ないこと。ペラペラじゃないから(笑)

■Step6 日本人になりたい理由

──日本に来て5年目ということで帰化申請ができると思いますが、将来的に日本人になりたいと思いますか?

なりたいです。今申請中。

──それは日本代表になることも考えているからですか?

それもあります。そうそう。それも含めて。イタリアでも代表に入ったけど、それはU-21。UEFAの大会にも出ていないので問題ない。

──帰化申請のためには面接やテストもあるそうですが?

大丈夫。読み書きも音楽で勉強した。今はメールでも勉強してる。もしかしたら、話をするよりもメールの方が得意。人と話すの好きだし、日本語好き。日本のことにも興味がある。本当はもっと勉強したい。日本には長く居たい。しっかり勉強しないともったいない。

──長く居たいというのは、フットサル選手としてのキャリアが終わってからも居たいということですか?

そうそう。本当はその(現役を引退した)あと。選手としては終わりが近いから(笑)。もう32。

──僕も32歳です。

本当!? 5月に33。

──僕も5月生まれですよ(笑)

本当!?? いつ?

──9日。

僕16。じゃ先輩ね(笑)

──(笑)。年齢もありますが、やはり日本代表にも選出されたいのではないですか。

いきたい。でもその先のことも大事。

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