更新日時:2020.01.25
「日本の大正時代に、今行ける」。立川・府中の副理事・中村恭平さんが“謎の国”トルクメニスタンの魅力を伝える。
PHOTO BY軍記ひろし
日本フットサル界で一番トルクメニスタンに詳しい人。それが中村恭平さんだ。
「フットサルのまち府中」を拠点に、日本フットサルを黎明期から支えてきた恭平さん(多くの人にそう呼ばれている親しみを込めて、ここでもそう呼ばせていただきます)は、立川・府中アスレティックFCを運営するNPO法人府中アスレティックフットボールクラブの副理事であり、2000年に創設されたクラブの初代監督でもある。Fリーグに参入してからも、2010シーズンに一度、チームを指揮している。
監督退任後の2011年に、トルクメニスタンサッカー連盟(TFF)の要請で同国の代表チームを指導して、2012年のAFCアジア選手権、2013年のアジアインドア・マーシャルアーツゲームズ仁川で監督を務め、2016年からは本格的にトルクメニスタンに赴任して代表チームを率いた。2017年には、同国史上初めての国際スポーツイベントとなったアジアインドア・マーシャルアーツゲームズで指揮を執った。
トルクメニスタンは、日本にとどまらず、諸外国にとっても馴染みの薄い国だが、歴史を紐解くと、実に興味深い場所でもある。ここでは多くを記さないが、世界に4つしかない永世中立国の一つであり、スペインよりやや小さい国土のおよそ85パーセントが砂漠地帯。1991年に旧ソ連より独立すると、2006年に逝去したサパルムラト・ニヤゾフ初代大統領による独裁政権が築かれてきた。長い間、鎖国状態を続けてきた背景には、世界4位の埋蔵量を誇る天然ガス資源を隠すことなども理由にあったという。2007年に就任したグルバングル・ベルディムハメドフ大統領によって、さらに近代化と国際化が進められてきた。
とはいえ、現在もまだ近代化の途上であり、民主化されていない国。日本人の渡航には取得難易度の高いビザが必要であり、観光地の行き先に選ばれることはあまりない。そんな謎の多い国で、この2月末からアジア選手権が始まる。いったい、どんな国なのだろうか。今大会の観戦ツアーを手がける徳田仁さんのインタビューでも触れたが、「現地に住んでいた人」に、さらに内情を聞くことにした。
恭平さんは言う。
「日本の大正時代に、今行ける。そんな国、世界のどこにもないですよ」
実は、トルクメニスタンとは、世界を見渡しても稀なくらい魅力あふれる国だった──。
◆セリエフットボールネット・徳田仁さんインタビュー
◆恭平さんに学ぶ、トルクメニスタン情報へ(2ページ目へ)
トルクメニスタンに知れ渡る「KYOHEI NAKAMURA」
──トルクメニスタンでのアジア選手権の開幕が迫っていますが、なかなか現地の情報を得られません。いったい、どんな国なのでしょうか? その前段として、そもそも恭平さんがトルクメニスタンに行かれた経緯を教えてください。
2010年に立川・府中アスレティックFC(当時は府中アスレティックFC)で監督を務めていました。前年はリーグ最下位だったのですが、僕は「リーグ3位以内」もしくは「全日本選手権決勝進出」のどちらかを達成できなければ辞任すると最初から決めていました。クラブのGM職を兼任していたので、そうやって先に決めておかないと、低迷しても続けてしまったらダメだなと。リーグ戦は、最終節を前に2位だったのですが、バサジィ大分に残り17秒で同点に追いつかれて、その結果、4位に転落。全日本選手権は、準々決勝でデウソン神戸に勝ってベスト4に進んだのですが、その直後に東日本大震災が起きて、大会は中止となりました。震災があったとはいえ、約束は約束。責任を取って監督を辞めました。翌シーズンはクラブのGM職に戻ったのですが、そのときに、日本サッカー協会(JFA)の大仁(邦彌)さん(2012年から2016年のJFA会長、およびFリーグの最高執行責任者)から「タジキスタンのコーチとして1週間くらい行ってほしい」と言われました。
それで、JFAにいったら行き先が「トルクメニスタン」だった。タジキスタンは、大仁さんの聞き間違えだったんですね(笑)。でも、それくらい“スタン系”はややこしいということでもあります。
──それで初めて、トルクメニスタンを訪問された。
いえ、そのときはドバイの合宿地に行きました。国としては、ベルディムハメドフ大統領になって、少しずつ鎖国状態から抜け出そうとして、国際的なイベントを考えていた時期ですね。フットサルもその一環として強化を始めていたんだと思います。監督は別の方がいたので、コーチとして10日間くらいやりました。
──トルクメニスタンのフットサル代表チームはどんなレベルだったのでしょう?
フットサルの知識も戦術もなく、いわゆるミニサッカーですよね。2日目の練習が終わったときに、基礎的な練習が必要で、戦術よりもまずは約束事を作らないといけないと伝えました。この期間中にUAE代表と2回対戦することになっていたのですが、まず勝ち目はないだろうなと。実際に、4日目に初対戦してボロ負けでした。そうしたらトルクメニスタンサッカー連盟(TFF)の会長に呼び出されて、次の対戦で勝ってほしいというわけです。それは無理だよと思いながらも、選手も慕ってくれていたので、やります、と。
選手に、守備のポテンシャルがあることはわかったので、そこからやりました。UAE代表もそれほど強いわけではないですから、しっかり守ってカウンターをしようと。そうしたら、本当に勝ってしまった。みんな驚いていました。それで帰国する際には、フィジカルトレーニングや練習メニューを伝え、ビデオなども参考になるものを教えてきました。そういうこともあったので、2012年にもう一度、アジア選手権に向けたコーチ要請をもらいました。それもタイ合宿の期間ですね。現地に行くと監督がいなくて「おまえが監督だ」と(笑)。現地から正確な情報をもらえていなかったようです。それで監督をやって、選手には「タイに勝てる」と魔法をかけたら、そこでも勝ってしまった。戦い方は守ってカウンターだけでしたが。
それを受けて、正式に監督のオファーをもらいました。アジア選手権前のベラルーシでの事前合宿とUAEでの本大会ですね。でも、その間、まだ一度もトルクメニスタンに入国していません。海外での合宿は指導できるけど、日々の指示をしようにもLINEはもちろんメールもできないから、現場で指示するだけです。
つまり、監督でも簡単には入国できない国というわけです。初めて入ったのは2015年。2017年にアジアインドア・マーシャルアーツゲームズをやることが決まって、そこに向けて現地で指導者講習会をしてほしいということでした。100メートルおきに警察がいて、その種類も、交通警察や麻薬取締警察、秘密警察……いろいろいます。首都のアシガバードにすべてが集まっていて、サッカーなども首都圏でしかやっていません。
──初めて入ったトルクメニスタンはどんな国でした?
詳細はぜひ調べてほしいのですが、歴史的に資源があることを隠した国なので、入国する人への警戒は強いですが、入ってみるとめちゃくちゃ面白い国でした。女性の半分以上は民族衣装を着ていて、イスラム教ならではの男性が立てられる社会で、食事も男女で分かれていました。そこにはモンゴル系、アラブ系、ペルシャ系、トルコ系の人がいて、文化が交わった状態で20年間も鎖国をしていた。だから面白い文化があって、しかもそれがいまだに残っているわけです。加えて、国民全員が大統領を信頼しています。絶対的なリーダーがいるので、みんな大統領のおかげで自分があると思っています。実際、電気・水道・ガスは無料ですし、仕事も作ってくれる。女性は20代前半に子どもを産んで、しかも産めば産むほど補助金をもらえる。大学に行っても給料をもらえます。ほとんどが政府系の仕事ですが、やはり資源を守るために強くする、と。そういう軍隊や警察にはサッカーチームがあって、サッカー、フットサルがうまい人がたくさんいます。
2013年のアジアインドア・マーシャルアーツゲームズ仁川では、日本代表と同じグループになって、(2-3で)敗れはしましたが、引き分けそうなところまで持ち込みました。選手は本当に真面目で、目上の人には絶対に逆らわない。でも試合中に熱くなると忘れちゃうんです(笑)。
──2017年に退任されてから2年。現在のトルクメニスタン代表はどうでしょうか?
立川・府中で以前、指揮を執っていたセルジオ・ガルジェッリが監督を務める中国代表との試合を映像で見たのですが、率直に言うとあまりよくなっていない印象でした。25歳くらいのメンバーは変わらないのですが、戦い方は守備からのカウンター。プレスもしていますが、あまりオーガナイズされていなくて、一人で勝手に寄せていってしまう。約束事を徹底されていないような印象がありました。
──開催地ですし、5枠あるワールドカップ出場のチャンスはある?
チャンスはあると思いますね。セットプレーが肝になりそうです。
──今大会の開催経緯をご存知でしょうか?
それは知らないですね。でも、僕が携わったときのミッションが継続されていると思います。それは2つあって、トルクメニスタンでフットサルをポピュラーなものにすることと、代表を強くすること。2017年のアジアインドアでは、グループステージを勝ち上がって、決勝ラウンドでアフガニスタンにPK戦で負けたのですが、その試合は国民の80パーセントが視聴していました。
──え、80パーセントも?
そう。もともと、テレビの放送では、トルクメニスタンが勝つシーンしか見れないんです。負けそうになると消えてしまったりして(苦笑)。でもあの試合は、勝ちそうだったし、PKまでいったので、そのまま流れていた。結果的に負けてしまい、国民はあのとき初めて、テレビで祖国の敗戦を見た。それでどうなったかというと、解説者も号泣していました。国民は落胆するのかと思ったらその反対で、感激した、感動したと。
──トルクメニスタン人はみんな「KYOHEI NAKAMURA」を知っている。
いや、みんなはさすがに(笑)。でもフットボール関係者は知っているでしょうね。
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