更新日時:2023.12.11
【インタビュー】最後まで「自分らしいプレー」を。浦安・加藤竜馬が魅せる、“ミスター・バルドラール”としての矜持。
PHOTO BY勝又寛晃
2012年から、浦安でキャリアを重ねて早12年。クラブのレジェンドである岩本昌樹から10番を受け継いだ“ミスター・バルドラール”が、今シーズン限りでユニフォームを脱ぐ決断を下した。
今年のリーグ戦にも全試合出場し、先発メンバーとして第一線で戦っていた加藤の突然の引退発表には、浦安のファン・サポーターだけでなく、多くのフットサルファンが驚いたことだろう。
12月1日に行われたホーム最終戦には、加藤の浦安アリーナでの最後の勇姿を見届けるべく、会場には多くのファン・サポーターが駆けつけた。
“背番号10”がピッチに立てば、スタンドから自然と沸き立つ拍手。会場の退館時間ギリギリまで途切れることなく続いたファンサービスの列からも、彼がどれだけこのクラブで愛された存在だったのかがうかがえる。
「まだ体は動くし、やれる自信はあるんです」
自他ともに、引退が時期尚早なことは十分理解していた。
それでも加藤には、日本のフットサルのトップリーグで戦う選手として、譲れない“プライド”があった。
「最後まで、自分らしいプレーを全うしたい」
浦安アリーナで現役最後の1試合を戦い、ファイナルシーズン5試合、そして選手権への戦いを見据える加藤が、その胸の内を語った。
取材・文=青木ひかる
他チームからも評価してもらえる選手になれた
──ホーム最終戦を振り返って。
試合結果に関しては、しっかりとホームで最終戦で勝つことができて本当にパーフェクトでした。僕自身の出場時間は少なかったですが、しっかりと出た時間で何ができるか、何を残せるかを考えながらプレーできたかなと思います。
──今日も変わらず、ホームゲームでは毎試合誰よりも早く会場入りをしている姿が印象的でした。
ほかの選手よりも早く、できれば一番に入るのは、キャプテン時代から常に心がけてきたことでした。いろんな人に支えてもらいながら、自分はピッチで戦うことができていると思っているので、試合前に売店だったり、音響さんに挨拶してからプレーするのは、自分のなかでのルーティンでしたね。
──出場した瞬間は会場から拍手が起こりましたが、ピッチではどう受け止めましたか?
入った瞬間だったので、すごく感慨深かったです。平日にもかかわらず、僕の古い友人や浦安の元スタッフ、ファン・サポーターも900人以上の方が会場に応援に来てくれて。チームメートとしても、監督と選手としても一緒に戦ったケンさん(高橋健介氏、現フットサル日本代表コーチ)も、「代表活動があって行けないかもしれない」と前日に連絡をもらっていたのですが、仕事を終わらせて会場まで来てくれました。本当にありがたいです。
──試合終了のホイッスルを聞いた瞬間の率直な気持ちは?
始まる前は、「残りあと40分間か……」と思いながら準備をしていました。終わった瞬間は、「もっと出たかったな、みんなの前でもっとプレーしたかったな」っていうのが素直な感想ですね。でも、悔いはないです。
引退を発表してから、浦安だけじゃなく、他のチームのファン・サポーターさんからも「最後まで応援しています」「お疲れさまでした」と温かい声をかけてくれる人ばかりでした。この浦安で12年間を過ごして、こんなにもいろんな方に評価してもらえる選手になれたんだなと実感しています。
「理想」と「役割」とのギャップに葛藤
──引退を決断した理由は?
若い時は自分が活躍することだけを考えてフットサルを続けてきましたが、年を重ねることに若い選手も増えて、その分、チーム全体のことを考える時間が増えました。そこで、じゃあ自分のプレーをどうしなきゃいけないかを突き詰めて行った時に、ここ数年は求められることと、理想のプレーとのギャップが少しずつできてしまって。
いつかチームから「いらない」と言われてしまったり、自分らしくいられなくなる前に、ここまでと区切りをつけようと思って決断しました。
──本来スピードを生かした突破が特徴だったと思いますが、そこを発揮しづらくなってしまったということでしょうか?
そうですね。できればもっと仕掛けて、スピードを生かしたプレーを出したいなというのが、正直なところでした。自分ではまだ体は動くと思っているしやれる自信もあるんですが、長坂(拓海)や東出(脩椰)をはじめ、足が速くてドリブルが得意な選手が増えてきたので、そこは任せることが増えました。
ベテランになってピッチ内外での役割が変わってきたこともあるし、(若手が多い)チームの状況を見た時に、しょうがないかなとは思いましたけどね。
──小宮山監督は一緒に選手としてプレーをしたこともありました。引退の意思を伝えた時には、どんな言葉をかけられましたか?
「まだ早いよ」と。今シーズンが始まる一発目の練習前に監督と少し話しする時間を作ってもらって伝えたんですけど、「もう1年やりたい。もう2年やりたいってなっても全然いいからな」と言ってくれたので、その場ではわかりましたって返事をしてシーズンをスタートしました。
たしかに、「もう少し」と全く思わないかと言われると嘘になりますけど……。自分が決めたことなので、しっかりとやりきりたいという気持ちが今は強いです。
セグンドから這い上がり、浦安の支柱に
──実際に周囲にも意思を伝えて、どんなことを意識しながらこのシーズンを過ごしてきましたか?
今いる選手が、どういうふうにすれば伸びてくるのか。あとはこのクラブに最後に何が残せるだろうっていうことですかね。もちろん、これまでもそれは同じでしたけど、例年はよりそういう思いをもって他の選手と接していました。
特に苦しい状況が続いている時期の僕の仕事としては、選手と監督との仲介役をしたり、言いにくいことを発言することかなと思って、例年以上に意識しました。
もしかしたら、僕のやり方とは真逆の形かもしれないですけど、あとは、選手がこれからどうこのクラブを大きくしていくかに期待していきたいですね。
──ラストイヤーに、ホームアリーナで300試合出場を達成しゴールも決めて記憶にも記録にも残る試合になったと思いますが、振り返って。
300試合に関しては、最初は僕自身、あんまり意識してなくて。塩谷(竜生)さん(浦安代表取締役)に引退のことを伝えた時に、「今シーズンで300超えるし、そこまではしっかりとやってくれ」と言われて気づきました。
ただ、ゴールについては監督にオーダーされた形で決めることができました。俺があそこまで突っ込む予定ではなかったんですけど、たまたまそこにボールが来たんで、うまく合わせてゴールできたなと思います。ちょっと自分でもびっくりしましたね(笑)。
──デビュー当初から、これだけ長くFリーグで活躍し、いちクラブの顔となる選手になれる自信はありましたか?
全然なかったですね(笑)。
デウソン神戸を退団して、米川(正夫)さんに拾われたような形で浦安のセグンドに加入しましたけど、1年目は全く試合に出られず、本当に辞めようかなと思った時期もありました。でもそこで周りの選手が止めてくれて、2年目に入ってからとんとん拍子にうまくいって。
最初は代表選手とか、キャリアの長い選手についていくのが精一杯でしたし、今でいうと東出のような周りに使ってもらうタイプの選手だったので、「点を取らなかったら来年ねえな」と必死でした。結果を残すことだけを考えて一年一年を過ごしているうちに、いつの間にか12年間が経っていました。
10番を引き継いだ時も先輩が抜けて、試合も勝てず重圧を感じていましたが、試行錯誤しながらも、自分なりに全うできたかなと思います。ここまで競技を続けられるとも、これだけ長く浦安にいられるとは思っていませんでした。
クラブだけでなく、日本代表の舞台まで辿り着けたのは本当にセグンドで過ごした1年半、そしてトップチームで過ごしてきた日々のおかげです。
2分でも、3分でも「自分らしいプレー」で戦う
──今後、浦安の未来を担う若手たちに伝えたいことを教えてください。
本人たちには日頃から伝えていますけど、何か他の選手にないものだったり、抜けているものがあるからプリメーロにいて、それを発揮できなければ簡単に試合に出られなくなったり、契約を切られる世界です。なので自分の武器は遠慮せず、1年間の試合で出すことが結果を残していく上で一番大事な部分です。
対して不得意なところについては、先輩方に任せるのも大事なことです。僕自身も、友祐さんに何百回もたぶんケツを拭いてもらってきましたし、そういう先輩は自分が抜けた後も浦安にいるはずです。
なので、できないことに目を向けるよりも、まずは自分ができる最大限のプレーを練習から心がけること。それが一番大事だということを改めて伝えたいです。
──残りのファイナルシーズンや選手権について、加藤選手としてはどういう戦いをしていきたいですか?
今、出場時間自体は少ない現状ではありますが、ピッチに立った時にはちゃんとチームに貢献できるように。変わらず、2分でも3分でも「自分らしいプレー」ができるようにしっかり調整してやり切りたいと思っているので、ぜひ見届けてもらえるとうれしいです。
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