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作成日時:2024.04.17
更新日時:2024.04.17

【アジアカップ直前インタビュー】「もう、勝つしかない」“8年越しの雪辱”へ、吉川智貴の所信表明

PHOTO BY勝又寛晃、高橋学、伊藤千梅、FIFA/Getty Images

2016年、日本のフットサル界はどん底に突き落とされた。

「歴代最強」と言われた日本代表は、AFCフットサルアジアカップ準々決勝で敗退。その後のプレーオフにも敗戦し、アジアで5枠が用意されたW杯出場権を逃した。

「正直、帰りたくなかったし、誰にも会いたくなかった」

当時をそう振り返るのは、現在の代表メンバーで2016年の地獄を知る数少ない選手の一人、吉川智貴だ。

もう同じ過ちを繰り返すわけにはいかない──

誰よりも強い覚悟を胸に宿すベテランに、今大会に懸ける思いを聞いた。

※インタビューは4月6日に実施

取材・文=青木ひかる、伊藤千梅

編集=本田好伸

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自分が日本代表になるとは思っていなかった

──アジアカップ開幕を前に、吉川智貴選手の言葉を通して日本代表の道のりを伝えられたらと思います。まずはご自身のことからお伺いします。吉川選手は大学からフットサルを始めて、ここまで競技を続けているイメージは最初からあったのでしょうか?

いえ、フットサルを始めた頃は自分がここまで長くやるとは思っていませんでした。当時は自分が日本代表になるとさえ思っていなかったというのが正直なところです。

──最初はサークルみたいな感じで始められたそうですね。Fリーグを目指したのはいつからですか?

それはわりと早かったです。フットサルを真剣に取り組み始めて1年くらい。当時はfunf bein KYOTOという関西リーグのチームでやっていました。その時にバサジィ大分でプレーしていた西村竜司選手が練習に来てくれて「1回おいでよ」と誘われ、セレクションを受けに行ったのが大分に加入するきっかけでした。

──そこから競技を突き詰めていった?

サッカーとも全然違うこんなスポーツがあるんだと、おもしろさや深みにハマっていきました。でも、上にいくにつれてより難しさを感じました。おもしろいだけじゃなかったというか。どう言ったらいいかは難しいですけど、それでも、どんどん好きになっていきましたね。

──そこから日本代表をどのくらいでイメージしたのでしょうか。

大分に入った時に、当時はノブさん(小曽戸允哉)やニブさん(仁部屋和弘)が若いながら代表に呼ばれていて、そこで刺激をもらって、すごいなと。最初は自分もいつかその舞台までたどり着きたいと、漠然とした思いをもっていました。

──彼らはやっぱりスーパーな選手でした?

そうですね。ノブさんは2008年のワールドカップのブラジル戦で、1人でサイドを駆け上がって1点を取っちゃいましたからね。僕が代表でW杯に行ったのは、その次の次ですし、当時からノブさんのことはすごいなと思っていましたね。



新世代がつかんだ、アジアカップ優勝

──吉川選手が初めて代表に呼ばれたのは2011年でした。その時の気持ちを覚えていますか?

初めて呼ばれたのは、国内合宿で3日間のトレーニングキャンプでした。その時は若手枠で、合宿ごとに1人ずつ若い選手が呼ばれていたなかに僕が入ったような形でした。すごくうれしくて、やってやるぞと意気込んで行ったのですが、なにもできずにボロボロ(笑)。全然ダメだったんですけど、そこからは、やっぱりここに入りたいという気持ちで、より頑張るようになりました。

ですが、そこから全然呼ばれなくて、定着し始めたのは2012年のW杯が終わり、世代がガラッと変わるタイミングでした。2013年にもう1回呼ばれた時は、このチャンスを逃したらもうないと思って「やってやる。食らいつくぞ」という感じでしたね。

──世代交代した2013年の頃は、どんなチームの空気感でしたか?

監督は変わらずミゲル・ロドリゴで、空気感は僕と同じぐらいの世代が多かったので、やりづらいとかもなかったです。自分たちの2324歳くらいの世代や、下の世代の(室田)祐希やパッシャン(西谷良介)もいましたね。みんなギラギラしていたと思います。

──当時のミゲル・ロドリゴ監督はどんな人物でしたか?

ミゲルは、優しい人でした。みんなの良さをしっかり出せるように、その選手の特徴をしっかり生かせるような戦術もそうですし、メンタル的な部分の話もすごく選手に寄り添ってくれる監督だったと思います。

──そんな新世代が2014年にアジアカップ優勝を遂げました。

そうですね。僕は過去のことを忘れてしまうタイプなのですが、この時のことは鮮明に覚えています(笑)。日本としても初めてのアジアでのタイトルでしたし、フットサルを始めた頃なんて、自分がアジアチャンピオンになれるとは思ってもいなかったので、めちゃくちゃうれしかったですね。

──その優勝は自信になったのでしょうか?

アジアチャンピオンになって自信になったとかは、そんなにないですかね。自信になったというよりも、ただただうれしかったという感覚でしたね。



「誰にも会いたくなかった」2016年の悪夢

──2016年の日本代表は「歴代最強」と言われていました。当時そう言われていることに対してどのように受け止めていましたか?

特になんとも(笑)。いいメンバーがそろっていましたけど、最強とかではなく、「個」がずば抜けていて、心強い仲間がいるという感覚でした。

当時、僕は名古屋でプレーしていて、代表チームにも名古屋の選手がそろっていました。だから日々の練習の延長にあるというか、特別な感覚はなかったかもしれません。

──2016年の結果はアジアカップ準々決勝で敗れ、プレーオフも敗戦。W杯出場を逃したあの出来事は、想定外だったのではないでしょうか。

選手はもちろんですけど、代表チームのスタッフも、ファン・サポーターも、Fリーグの関係者も、Fリーグの他の選手もみんな、「間違いなくW杯には行ける」と確信していたと思います。ショックという言葉では片付けられないですね。本当に絶望しかなかった。

──準々決勝の敗戦の翌日、5枠目をかけたプレーオフでも負けてしまいました。ガタっとチームが崩れてしまったのでしょうか?

準々決勝で負けた後は「まだある」と切り替えて試合に向かっていたと思います。試合前は「いけるだろう」という感覚もありました。

それでも、いざ試合が始まると、やっぱりうまくいかないというのがどんどん続いて。うまくいかない、うまくいかない……と思っているうちに、バタバタと崩れた。最終的にはもう立て直せなかったという感じでしたね。

──それは、2014年にアジアカップを優勝したことで、周りの国も日本への対策をしてきたとか、チャレンジャーとして挑んできたことが大きかったのですか?

もちろんそれはあったとは思います。でもそれ以前に、自分たちのなかでどこかで過信していたところがあったのかもしれない。負けた要因は他にもたくさんあるんですけど、一番は「大丈夫だろう」とどこかで思っていたこと。普通にやったらいけるだろうという感覚になっていたのかなと思いますね。それが一番ダメだったと、今振り返って思います。

──開催地ウズベキスタンからの帰路はどんな気持ちでいたのでしょうか。

帰りたくなかったですね、正直。家族にも、誰にも会いたくなかったです。

僕は当時スペインでプレーしていたので、一度日本に帰ってからスペインに戻ることになっていたけど、そのままスペインに向かいたかった。本当に誰にも会いたくなかったですし、当時はもう、逃げるほうが絶対に楽だなと思っていました。

──あの敗退で得られたことはありますか?

自分にとっては、本当にターニングポイントでした。ありふれていますけど、少しでも過信や緩い気持ちがあったら「終わる」ということ。身にしみて感じました。

しかも一番大事な、結果を出さなきゃいけない場面でそうなってしまったので。もう二度とそんなことがあってはならない。少しの緩みもダメだと、本当に学びました。

──体の使い方やマインドにも変化はあったのでしょうか。

自分で言うのも変ですけど、昔からストイックに自分と向き合って高めることが好きなタイプでした。それでもどこかで緩んでいたのかもしれないと、終わった後に思いましたね。あの敗戦は取り返せないですけど、もう一度自分を見つめ直して、ゼロから積み上げていくしかない。1日、1日を大切に頑張ろうと、あの日から心を入れ替えてやっています。



5年後のW杯、国歌斉唱で堪えた涙

──2016年の敗退から気持ちを整理するにはどれくらい時間がかかりましたか?

かなりかかりましたね。考えたくないと思って、考えることをやめて逃げてしまう日もありました。なかなか、「よし、やってやるぞ」とはならなかったですね。

正直、僕は代表に呼ばれる資格もないと思っていましたし、この先、呼ばれなくてもおかしくないと思っていました。とにかく自分に今できることを、100%でやり続けるしかないと思っていたので、次のW杯とか、次の代表活動とかは全く考えていなかった。

──そこからまた、同じように敗戦の悔しさを味わったメンバーが代表に呼ばれて、顔を合わせたと思います。次の大会を目指していくために、その時はどんな話をしたんですか?

次の監督がブルーノ・ガルシアになって、僕はヨーロッパの遠征の時に初めて招集されました。久しぶりに会う選手もいて、選手間でも2016年に敗退した話もしましたし、ブルーノからも「同じ過ちを繰り返してはいけない」と直接、言われました。呼ばれたからには、もう1回みんなでまとまって、次の目標に向かっていこうという感じでしたね。

──2020年のアジアカップはコロナ禍で中止となり、翌年に延期となったW杯は、予選なしで出場することになりました。吉川選手にとってどんな大会になりましたか?

グループステージ初戦のアンゴラ戦の国家斉唱の時は、正直ほんとに泣いてしまいそうなぐらい、いろんなものが込み上げてきました。ツラかったことばかりが思い出されて試合前から泣きそうになったんですけど、頑張ってきて良かったというのと、ここからやってやるぞという気持ちにもなりました。今までの悔しさをそこでもう一度思い出して、複雑でしたけど、あの舞台に立てたことは素直にうれしかったですね。



十字架は自分だけが背負えばいい

──今回は2016年ぶりに、W杯予選を兼ねたアジアカップです。2022年の前回大会で優勝して連覇へのプレッシャーもあるなかでの戦いになりますね。

2016年の負けを取り返せる、こんなチャンスは二度とないと思っています。そこにいたメンバーの思いも背負って、その時の悔しい思いを晴らしたいと思います。

──2016年のことについて、選手や木暮監督と話すことはありますか?

選手とは話さないですね。なにも知らない世代の選手が多いですし、気にする必要はないですから。当時いた自分が、その十字架を背負ってやればいいだけ。チームとしては、特になにも気にせず、2年前のようにのびのびやるだけなんじゃないかなと思います。

グレさんとも、2016年のことは、この合宿では話していません。次の大会はW杯予選を兼ねているという話の流れで、2016年に敗れた話題をみんなに伝えたことは過去にありましたけど、2人でその話をすることはありません。

──ミゲル、ブルーノ、そして木暮監督とそれぞれスタイルが異なる指揮官です。代表チームの雰囲気も変わってきているのでしょうか。

変わってはいますけど、それは自分が年齢を重ねたことによって見えているものが違うからなのかもしれませんね。今のチームは、よりエネルギーに満ちていると感じます。

──木暮監督と積み重ねてきたことで、実を結び始めていると感じる部分はありますか?

これほどまで強豪国と試合をする機会はありませんでした。グレさんになってからたくさん強い国と試合をして、しかもいい内容が出るようになりました。必ずしも結果に結びついていないですけど、いい内容で戦えていることはみんなの自信にもなっていると思います。

今までは、強豪国にいいゲームをすることが難しかったところから、今はどの国が相手でもある程度いいゲームをできる。そこは大きく変わった部分だと感じています。

──最後に、今回はどんなアジアカップにしたいですか?

どんな大会にしたいとかは、もうあんまりないですね(笑)。とにかくW杯の出場権を、まずは取りたい。その後、優勝を目指します。1試合1試合、勝ち点3を積み上げていくだけかなと思っています。もう、勝つしかないので。



 

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