【翔太と龍太、兄弟対談/後編】知られざる2人のエピソード。「喧嘩もしたけど、ずっと兄貴にくっついてきた」(星龍太)
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2人がFリーガーになるきっかけは?
──暁星高校時代にはどんなことがありましたか?
龍太 うーん……覚えてないな。死ぬほど走った記憶しかないですね。地獄でした。結果も出なさすぎて、記憶に残っていないですね。
翔太 高校時代は地獄の3部練とか、合宿がマジでキツかったね。
龍太 キツかったね……。
翔太 学校に泊まるんですけど、シャワーも水しか出ない。朝の6時から走って、朝食を食べて、また練習。
龍太 走った記憶しかない。まるで陸上部だった(笑)。
翔太 そりゃあ、死ぬほど走れるようになるだろというくらいね(笑)。兄弟で喧嘩する暇もない。
龍太 疲れてたんだよね。
翔太 休みも全然なかったし。夏休みも合計3日くらいで、冬休みも元日だけとか。
──そんなスパルタを乗り越えて、高校を卒業してからフットサルを始めました。なぜサッカーに区切りをつけたのでしょうか?
翔太 大学がたまたま恩師の母校だったこともあり、高校卒業前に飛び級で大学のサッカー部に入らせてもらったんです。でも、大学は監督が代わったばかりで部員の仲が悪くて、幸いにもすごく嫌な先輩たちと一緒になってしまったので、嫌気がさしました(苦笑)。そのとき、今のフウガドールすみだの須賀(雄大)監督とか北原亘さんにチームに誘ってもらったことが、フットサルを始めた最初のきっかけです。
龍太 その関係で僕も高校の頃からちょいちょいフットサルに誘われることがありました。そのときは「小さいサッカー」というイメージしかなくて敬遠していたんですけど、二十歳ぐらいのときに体を動かしたくても動かす場所がなかったので、練習に参加させてもらったことが始まりでした。最初は本格的にやろうとは思っていなくて軽い気持ちで始めたんですけどね。
──そこからフットサルの世界にのめり込んでいった。
龍太 そうですね。周りにいる人がすごくうまくて、成長させてもらって、のめりこんでいきました。それに僕は、今まで栄光がなかったのに、フットサルを始めて1年目で全日本選手権で優勝してしまった。そりゃあハマりますよね。フウガに入っていなかったら違う道に進んでいたかもしれません。
翔太 全日本選手権で優勝した2009年は、大学を卒業する年でした。就職するか迷っていたんですけど、親父から「100人がやって1人しかなれないら、そっちを目指すのも道なんじゃないのか」って言われて、自分の中でフットサル選手を本気で目指すきっかけになりました。
──それから翔太さんは浦安を経てスペインへ、龍太さんは名古屋へ、それぞれの道を歩み始めました。
翔太 チームに面倒を見てもらった分、終わり方はちゃんとしたいと思っていました。それで選手権で優勝して、龍太もフットサル界に引き込めて、一仕事終えたような気持ちだったんです。それからは自分のキャリアのために浦安に入って、次の年にスペインに移籍しました。
龍太 兄貴がいなくなった後から僕も注目されるようになって、名古屋のオファーを受けました。でも僕は内向的な性格だったので、最初は環境を変えたくないと思っていたんです。でも、違うチームでフットサルをしていた先輩から「俺もFリーグを目指していたけど行けなかった」という話を聞いて、チャレンジしてみようと移籍を決めました。その後は挫折も味わいましたけど、それが僕の人生なのかなと。でもそういういろんなことがあって、人間的には成長できたと思っています。
──では最後に、改めて応援してくれている方々へ一言お願いします!
龍太 ファン・サポーターの皆さんとまた一緒に優勝を喜びたいですし、アウェイまで応援に来てくれることは本当に貴重で、ありがたいことなので、結果で応えたいです。それと「兄弟でも同じプロチームでやれる」ということを、子どもや同じような境遇の人に見せていきたいですね。
翔太 僕はまだリーグ優勝を味わっていないので、まずはそこに向けてしっかりプレーしたいです。あとは、子どもやその親御さんに勇気を与えたり、道を選ぶときの助けになれたらいいなと。ここでお話ししたことで「自分と境遇が似ている」とか「こんなことがあっても、星兄弟はこういうふうに進めたんだ」とか。たくさんの人に「星兄弟ってかっこいいな」って思ってもらえるように、ピッチの中でも輝き続けたいです。
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