更新日時:2024.12.21
「石川、能登のために」。被災地域出身選手・廻智樹の“白山愛”「僕はここで、上を目指す」|F2で紡がれる戦闘記
PHOTO BY勝又寛晃
2024年1月1日に発生した能登半島地震、9月21日から23日に発生した奥能登豪雨。2つの災害は、日本中の人々の心を痛めた。ただし、被災状況は好転しないまま、今もなお、現地の人たちは復興の渦中で厳しい時間を過ごしている。
フットサル選手として、できることはなにか。そう自問自答し、石川県白山市を拠点に戦うヴィンセドール白山の選手は今シーズンのピッチに立ってきた。そしてチームは、F2に参入して以来、過去最高の3位で終盤を迎えている。
『ALL FOR ISHIKAWA~すべては石川のために~』と掲げたスローガンの言葉どおり、チームは「石川のために」「能登のために」と結束し、現有戦力に大きな変化がないなかでも、杉木陽介監督の指揮の下で躍進を続けた。
白山とは、Fリーグクラブの中で、どこよりも「想いの強さ」をもつクラブかもしれない。このチームには今、「勝って愛されるのではなく、愛されて勝つ」という自分たちが目指すべき方向性が明確にあり、「誰かのために」という想いを背負い、そしてファン·サポーターや地元の人たちの声援を力に変える能力が、傑出している。
その、想いの強さという点で、キーマンの一人となったのが廻智樹だ。
白山市出身の廻は、高校時代の3年間を能登半島の中心部にある七尾市で過ごした。寮生活を送っていた住宅も、サッカー部で汗を流した鵬学園高校のグラウンドも、大きな被害を受けた。そんな状況を受けて、自分にできることはなにかを考え、行動に移し、復興支援に積極的に参加するとともに、練習でも試合でも人一倍、汗を流した。
クラブの鈴木修平代表の言葉を借りるなら「見た目に似合わず、信念がすごい。子どものため、見に来てくれる人のため、スポンサーのため、そして地元のため。その想いを、プレーに乗せることができる選手」だという。
石川を代表するクラブとして、白山で戦うチームの選手として、能登で育ったフットボーラーとして。廻は今シーズン、どんな想いで戦ってきたのか。そしてヴィンセドール白山というチームで、どこを目指していくのか。
取材·文=本田好伸
能登は高校3年間を過ごした第二の地元
──今年1月1日、震災が起きた時はどのような状況だったのでしょうか?
自分が住んでいる地域はほとんど被害を受けませんでした。でも、高校3年間を過ごした能登半島の七尾市は、毎日サッカーの部活で汗を流した鵬学園高校のグラウンドが使えない状況になっていたり、住んでいた寮が崩れて住めなくなったりしていました。思い出の場所が被害を受けていて、後輩たちのことを考えると心が痛みました。
──どのような復興支援活動をしてきたのでしょうか?
チームでも近くのショッピングモールで募金活動を行なったり、物資を届けたりもしました。他にもいろいろとありますが、先日はFリーグの松井大輔理事長も来てくれて、能登で一緒に泥かきをしました。
──震災からの復興が進んでいたところで、今度は豪雨に見舞われてしまいました。
おそらく、地震よりも豪雨による水害のダメージが大きかったと思います。現地に行って改めて感じましたが、1月の地震と9月の豪雨の被害から数カ月経っても、能登の深刻な状況はほとんど変わっていません。
泥かきをした日は、合計7人で2~3時間の作業をしましたが、自分たちがやった作業は全体の1割にも満たず、微力にしかなりませんでした。作業を終えた後も違う団体の方たちが作業をしていましたが、それでも全然足りない状況です。
アクセスが悪く、思うようにボランティアを派遣できないなかで、時間もかかるし、どうしようもない状況が続いています。まずは全国の人に、能登は今もまだ大変な状況にあることを知ってもらいたいです。
──松井理事長とはどんなお話をされたのでしょう?
なにかを話すというよりも、もうとにかく作業しようとすぐにスコップをもって「やろう」と。率先して作業を進めてくれていました。その姿が本当にうれしかったですし、自分たちも刺激を受けました。
【能登地域への復興支援活動】
11/26(火)日本フットサルトップリーグ松井大輔理事長、Fリーグ様と共にクラブ代表鈴木修平、#中嶋亮人 選手、#廻智樹 選手、#冨田祐耶 選手が石川県輪島市内の被災地域を訪問し復興支援活動に行って参りました。
今私たちに微力ながらできることを行なって参ります。 pic.twitter.com/MU9qCoMk9j
— ヴィンセドール白山【公式】 (@vincedorhakusan) November 27, 2024
──自分のコンディション調整や大学生活もあるなかで、率先して支援活動に参加しています。その想いは?
もちろん、石川県白山市出身ということもありますけど、能登は高校時代にお世話になりましたし、自分にとって“第二の地元”だと思っています。みんな優しくていい人たちばかりですし、能登が大好きだからこそやりたいという気持ちです。
高校サッカーを経て大学から競技を転向
──廻選手は特別指定選手として昨シーズンにデビューしました。白山にはどんな経緯で?
小学校の時に少しフットサルをしていて、バーモントカップにも出場しましたが、親からは「フットサルのほうが向いているんじゃない?」と言われていました。高校時代もフットサルをする話はあったものの、高校サッカーにも挑戦したかったので続けていました。でも、大学進学の際に当時の白山アスピランチの監督から声をかけてもらい、「フットサルをもう一度やりたい」という思いになったので、大学入学と同時に本格的に競技フットサルを始めました。
──なぜフットサルに向いていると言われていたのでしょう?
小さい頃から足元の技術にフォーカスしていたからかもしれません。高校サッカーでは、足が速くてヘディングが強い選手が重視されていて、それがあまり好きではなかった。自分としても、フットサルのほうが自分の良さを生かせるのではないかと感じました。実際にフットサルに取り組んでからも、やっぱりこっちのほうが向いていると思います(笑)。
──Fリーグを目指すようになったのは?
アスピランチで石川県リーグを戦い始めて結果を出せるようになったことで、フットサルの楽しさをより深く感じることができました。トップチームと紅白戦で戦う機会もあったので、Fリーグの舞台で戦いたい気持ちが強まりました。
──その舞台に立って、手応えを感じていますか?
アスピランチの頃からずっとピヴォだったのですが、前線で収めるだけではなくゴールを目指すプレーにも注力してきました。ただ、去年からはいろんなポジションをやっていて、臨機応変にプレーできる部分は手応えもあります。
──Fリーグにデビューした時はどんな気持ちでしたか?
震えましたね(笑)。今でも試合は緊張しますし、ピッチに立つと震えます。ただ、この環境でプレーできる幸せを感じていますし、クラブのスタッフのみなさんに本当に感謝しています。
──デビューした昨シーズンは、第2節の新居浜戦の開始8秒でFリーグ初ゴールを決めました。
ホーム開幕戦のあのゴールは自分でも衝撃でしたし、周りからもたくさんの反響がありました。初めてのホーム戦で緊張していましたし、あまり覚えていないんです(苦笑)。とりあえずどんどんシュートを打って自分のテンポをつくっていこうとは思っていました。常にゴールは目指していますが、あっという間に決まりましたね(笑)。
──今シーズンは終盤戦に入って得点を重ねています。コンディションが上がっている要因は?
昨シーズンの終わりに怪我をして、今年の3月末まではリハビリを続けていました。今シーズンが開幕する頃に復帰しましたが完治していなかったので、痛みと戦いながらピッチに立っていました。トレーナーさんと共に、怪我をしづらく、なおかつ試合で使える身体づくりを意識して、まずは下半身の強化を重点的に行い、その後から上半身を強化してきました。そのトレーニングがうまくいったことで結果につながっていると感じています。
「がんばろう石川」の旗を見ると、頑張れる
──白山は今シーズンF2参入後初の3連勝や勝ち越しを決めました。強さの要因はなんでしょう?
震災の影響から「石川のために頑張ろう」とチームが一つになっていることだと思います。練習でも毎日、いろんな方からのメッセージが書かれた「がんばろう石川」の旗を掲げていて、それを見ることで本当に頑張れるんです。
試合で負けている時でも、ベンチからは「俺らがやるぞ!」という声が挙がってきますし、みんなポジティブな発言をしています。当たり前のことかもしれないですけど、ゴール前で体を張るにしても気持ちの大きさは本当に重要で、プレーの質が変わります。これまでのシーズンとの違いを感じていますし、「石川のために」「能登のために」という強い気持ちをもって戦っていることでチームが結束し、結果につながっていると感じています。
──廻選手から見て、白山はどんなチームですか?
鈴木(修平)代表がいつも言っているのは、うちのチームは「勝って愛されるのではなく、愛されて勝つ」ということです。その言葉を受けて、自分たちもファン·サポーターや地域の人たちに愛される存在になりたいと思ってプレーをしています。そういった意識が強いからこそ、よりいいチームになれていると感じています。
──鈴木代表は、クラブを象徴する方ですよね。
チームや地元愛が一番強いのは代表かもしれないですね。いつも熱くしゃべる人で、「まずは自分たちが白山を好きになろう」と話してくれます。クラブや地元に対する想いの強さは、僕ら選手に大きな影響を与えていると思います。
──代表がアウェイに帯同すると「負ける」というジンクスがあったとか(笑)。
そんなことがありましたね(笑)。逆転勝利した水戸戦(11月20日の第11節、○6-4)も、見ていられなくなった代表が席を外している間に巻き返しましたから。でも、ことぶきアリーナ千曲で戦ったあの水戸戦は、長野と共同開催したホーム扱いでした。長野さんも、自分たちにいい環境を用意してくれて「ホーム」だったから勝てました(笑)。
──鈴木代表は「負けると選手が謝りに来る」と話していました。その想いはどこから来るのでしょう?
選手それぞれが「石川を背負ってプレーしている」という責任を感じているからだと思います。それくらい、1試合1試合に懸ける気持ちが強いので。今年は、練習中からお互いに言い合うことも多く、それでいてオンとオフの切り替えがしっかりしているので、チームとしていい雰囲気をつくれていると感じています。
──震災の影響によりホームの松任総合運動公園体育館が避難所となりました。その後、6月23日の第4節は、観客席のない若宮公園体育館で試合を行いました。その時はどんな思いで戦っていたのでしょうか。
FリーグTVで見てくれる人も多かったですし、観客がいる·いないに関係なく、自分たちの結果で勇気づけることにつながればいいという気持ちで、みんながプレーしていたと思います。でも、松任総合運動公園体育館を使えるようになったホーム2戦目の北海道戦(7月28日の第9節、○9-3)を、お客さんが入った状態で迎えられたことがうれしかった。さらに力を出せましたし、だからこそ大勝できたと思います。ファン・サポーターの声援が力になることを改めて感じました。
──このチームを、もっと多くの人に見てもらいたいですね。
はい、たくさんの人に見てもらいたいです。12月1日の葛飾戦(第17節、○3-1)は、自分も「1,000人以上が入った会場でプレーしたい」と話していたのですが、フロントのみなさんが頑張ってくれて多くのお客さんが来てくれて、本当に最高でした。人生で一番プレーしていて気持ち良かった。試合中に「1,178人です!」とアナウンスが流れて、プレー中でしたけどすごく驚いて、思わず拍手しそうになりました(笑)。
フットサルってゴール前の攻防も激しいので、自分のおばあちゃん、おじいちゃん世代が見に来ても「サッカーよりおもしろい」と言ってくれます。もっともっと、フットサルの認知度も増やしていきたいですね。
──白山のホームゲームは70代、80代のお客さんも多いそうですね。
そうなんです。自分のおばあちゃんの知り合いも見に来てくれますし、家の前の畑で働いているおじさんも見に来てくれます。そうやって、自分の周りからもヴィンセドールが浸透していくことを感じられるのは、すごくうれしいです。
「やっぱり、白山でF1に上がりたい」
──廻選手の話を聞いていると「白山愛」の強さを感じます。
大好きですよ。高校の時も、県外の同級生が多くて、最初は石川のことをよく馬鹿にされていました。でも、「石川が最強だ」って反論していました(笑)。海も山もあって、大きな川もあります。夏は海で遊べるし、冬はスキーもできる。とにかく自然が最強です。なおかつ、近くには大きなショッピングモールもあるし、医療費も高校生まではかからないし、住んでいる人も優しいし、住みやすさも素晴らしいですから、やっぱり石川、白山は最強ですよ。
──地元を離れて、関東や関西に進学する考えもあったのでしょうか?
最初は県外への進学も考えていました。でも、アスピランチの監督に誘われてから石川県内の大学に進むことにしました。やっぱりフットサルは白山でやりたかったので、競技を本格的にやると決めてから進学先を決めました。
──就職先もFリーグでプレーすることを前提に選んだとか。
金融系のコンサル会社で営業職に就くのですが、やりたい仕事であることと、フットサルができる環境であることを重視して選びました。面接の時にフットサルの話をして、続けても大丈夫という了承が得られたので決めました。
──廻選手が、そこまでFリーグやフットサルにハマった理由は?
トップチームを見てあこがれていたのと同時に、自分なら活躍できると思って見ていました。実際に入ってみたらそんなに甘くはなかったんですけどね(苦笑)。でも、簡単ではないこともおもしろいです。監督が戦術のトレンドを持ち込んでくれることも、自分のやれるプレーが増えることも楽しさしかなくて、自分はもっと成長できると感じています。
──今後のキャリアについて考えていることはありますか?
やっぱり、白山でF1に上がりたいです。石川が好きですし、地元愛が強いので、ここから出るつもりは全くありません(笑)。
──自身としては、日本代表という未来も?
もちろん、一人の選手としてそこを目指す気持ちがあります。でも、まずはチームがF1に上がるために全力を注いで、その結果として、そういった舞台につながればいいなと思っています。
──まずは、白山で上の舞台へ。
はい。今シーズンは、3位のままクラブ最高順位を目指します。最後まで石川の人たちに勇気や元気を届けたいですし、全日本選手権を含めて、自分たちができる最高の結果を出したいです。ぜひ現地での応援もよろしくお願いします!
■ヴィンセドール白山 ホーム最終戦
12月22日(日)
時間 | カード | 会場 |
---|---|---|
14:00 | ヴィンセドール白山 vs デウソン神戸 | 松任総合運動公園体育館 |
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