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作成日時:2025.11.21
更新日時:2025.11.21

【独占インタビュー】競技生活24年、日本女子代表コーチ・藤田安澄が挑む夢の舞台「W杯の頂点に続く道は、ある。やり方次第ではたどり着ける場所」

PHOTO BY伊藤千梅、本田好伸

日本の女子フットサルを語る上で欠かせない人物が藤田安澄だ。

2001年に競技を始め、当時、姿形もなかった「日本代表」を夢見て研鑽を積み、女子フットサルの第一線で戦いを続けてきた。女子Fリーグもなかった時代、“世界”を知るためにブラジルやスペインでプロ選手としてプレーし、2007年に初めて日本代表チームが結成されると、キャプテンマークを巻いてチームをけん引した。

2025年11月、日本代表がなかった頃と同じように、姿形もなかった夢の舞台「ワールドカップ」が初めて開催される。藤田にとっては、18年越しの夢が現実となる、悲願の大会。選手からコーチと肩書きを変え、世界へと挑む。

立場は変わっても、日本代表は彼女にとって「特別」な場所。

藤田が背負ってきた「日本代表」とは、選手として、指導者として、どんな場所なのか。W杯という“夢の切符”を手にしたアジアカップをどのような思いで戦い抜いたのか。そして、世界の頂点にどのように立ち向かっていくのか。

「相当、茨の道ですけど、W杯の頂点に続く道はあります。やり方次第でたどり着ける場所。もちろん、優勝を目指します」

そう、強く語る。女子フットサルの想いを紡いできた藤田の覚悟とは。

インタビュー=本田好伸
編集=伊藤千梅

↓【完全ガイド】フットサル女子W杯↓



初代・日本女子代表の危機感「いつなくなってもおかしくない」 

藤田安澄コーチ、独占インタビュー映像はこちら

──いよいよワールドカップが始まります。悲願の舞台に向けて藤田さんとしては率直に今どんなお気持ちですか?

W杯という舞台をすごく楽しみにしています。ただ、戦いで結果を残さなきゃいけないという意味ではかなり緊張していますね。

──選手の時よりも?

選手の時は、緊張してもワクワクのほうが強い緊張でした。ただコーチはピッチ上で直接手を下せない分、緊張感のほうが強いですね。

──日本女子代表チームが結成されて10年以上が経ちました。初めて代表ができた時はどんな気持ちでしたか?

代表チームができる前からずっと「日本代表になりたい」と目指していた舞台だったので、いよいよできるとなった時は、夢から明確な目標に変わった感じでした。

──それまでは姿形もなく、まさに夢だったと。

そうですね。ただ2003年に自分がブラジルに行った時からブラジル女子代表は存在していました。いずれ対戦相手が必要だから、必ず日本代表もできるだろうという気持ちではいましたし、自分もいつか世界と戦いたいという気持ちはその時からありましたね。

──その後、実際に代表の結成は4年後でしたが、その間どのように夢を持ち続けてモチベーションを保っていたのでしょうか?

「いずれできる」という、もうそれだけですね。代表チームができた時には、一番に名前を呼ばれたいという気持ちでした。

あとは、私自身は20代のうちはアスリートとしてやれるべきことはすべてやると決めていました。実際に20代のうちに代表ができたこともあり、モチベーションが下がったり、いつできるんだろうという不安はそこまでありませんでした。

──初めて日本女子代表に入った時の気持ちは?

言葉では表せないぐらいうれしかったです。最初の大会はインドアゲームズだったのですが、入場の時のアンセムが鳴った時は涙が出ましたね。

──当時代表に入っていた選手で、今もプレーヤーとしてピッチに立つ選手はいますか?

当時のメンバーでピッチに立っているのは中島詩織選手(現・立川アスレティックFCレディース)だけですね。私が出会った時、彼女は高校生でした。

──実際に日本代表として戦っていくなかでは、どんな感情がありましたか?

当時は日本代表ができたばかりだったので「アジアでナンバーワンになれなかったら、いつなくなってもおかしくないぞ」という危機感はありました。活動自体はサッカー協会が決めることですけど、「ここで優勝しなかったら、もう次はない」とみんなが思っていました。

──誰かに言われたわけではなく。

そうですね。当時、唯一女子サッカーで代表を経験していた選手がいて、その選手の経験談を聞いて「ここで優勝するしかないよ」という感じにチーム全体がなっていたと思います。

──初めて立ち上がった女子代表チームは、喜びも大きかった反面、環境的にも難しい面はありましたか?

当時は監督とコーチの2人しかスタッフがいない状態だったので、怪我した時のケアもできませんでした。その中で戦っていたので、かなりタフな状態ではあったと思います。

アジアで優勝するまでにはすごく難しい局面はたくさんありましたし、決勝戦もPK戦だったりして、そんなに簡単なものではありませんでした。

思いがけず巡ってきた、女子代表との“再会”

──2007年に日本女子代表が立ち上がって、2010年に初めてワールドトーナメントで世界各国の代表チームと戦う機会がありました。アジアや世界各国の女子フットサルの環境やレベルの変化をどのように見ていますか?

当時はワールドトーナメントが、いずれW杯につながると思いながらプレーしていました。ただ、途中でその大会自体がなくなり、W杯開催までこれだけの期間がかかりました。

ですから、世界各国のレベルがずっとわからないままここまできました。スペイン、ポルトガル、ブラジルがずっと強化していることは聞いていましたけど、実際に目の当たりにするまではどういう状況かはわかりませんでした。

──そこからW杯開催に向けたアクションを選手主導で行っていることもありました。藤田さんはどのように見ていましたか?

私もちょうど引退して育成のクラブを見ていた時期だったので、具体的な動きはわかりません。ただ、アジアサッカー連盟(AFC)の女性のチューター研修会で集まった2018年ぐらいには「もうすぐW杯を開催するぞ」とは耳にしていました。とはいえ、そこから7年くらい。コロナ禍もありましたが、もどかしさを感じていました。

──現役引退されてからトップカテゴリーと関わるようになったのは?

育成カテゴリーを見ていくなかで、もう一度トップリーグに戻りたいと思っていたところ、男子のリーグから声をかけてもらいました。いい機会だなと思って決心をしました。

まずはトップカテゴリーでシーズンを過ごして、作り込みのやり方を知りたいと思っていたので、男女のこだわりは特にありませんでした。

──女子でとは考えていなかった。

そうですね。湘南ベルマーレに声をかけてもらったので、まずはそこで精いっぱいやろうと思っていたところに女子代表の話をいただいたので、自分としては意外でした。

新しい世界で勉強し直そうというチャレンジのマインドでしたし、日本代表に関わりたいと思ってベルマーレに入ったわけではないですからね。

でも、チャンスがあるならやりたいな、と。あとはチームが許してくれるんだったらやれるなという気持ちでした。

──日本代表に戻ってきたという感覚も?

戻ってきた感覚はないですね。もともと選手で関わっていて、今はコーチになっているので、新たにチャレンジする場所という感覚です。

──指導者としてはすごくモチベーションが高まる場所だと思います。

たしかに、特別な場所です。みんなが目指していますし、自分の意思で決められる場所ではありませんから。自分がいくら努力しても他人が決めることだからこそ特別だと思います。

選手の時もそうでしたけど、どれだけ努力しても、その努力は他人には絶対に見えません。自分がこれだけやってきたからと自信をもっていたとしても、選ばれる場所じゃない。今もそういう選手はたくさんいると思います。結局、選ぶのは他人ですから。

それは選手であろうとスタッフであろうと同じことで、自分がなりたくてなれる場所じゃない。そうした意味で、本当に特別な場所ですね。

──チャンスがきた時につかめるように努力を続けて、それを待つ。

チャンスはなかなか巡ってくるものじゃないですからね。

チャンスを待つよりも、自分の置かれている現状のなかで、どれだけ責任と覚悟をもって日常を過ごしているかによって、チャンスが巡ってくるかこないかは決まってくるのかな、と。

私としては、代表になりたいから頑張って日常を過ごしているよりも、ベルマーレで責任と覚悟をもって活動しているなかでたまたまチャンスがきたという感じです。

“負けられない”という重圧を乗り越えて

──5月のアジアカップでは初優勝。どんな思いで大会に臨み、どんな景色を見ましたか?

今回のアジアカップに関しては、W杯のチケットがかかっていたこともあって特別な思いがありました。2007年に初めてできた時から18年も待っていた舞台でした。しかも、自分は目指していたけど、もう選手としては二度と出られない場所です。

それでも、コーチとしてW杯に関われる喜びがあったので、特別な思いがありました。

──選手を送り出すコーチとしてはどんな気持ちで見ていましたか?

全力を出し尽くして頑張ってほしい気持ちと、ベンチで自分のやるべきタスクがあるので、私もここで100%を出すよという気持ちでやっていました。

私たちが現役でやっていた時とは比べ物にならないほどスタッフが介入できる機会は増えたと思います。そういう意味では一緒に戦っているという想いは強いかもしれないですね。

──イランに勝ってW杯出場を決めた瞬間はどんな気持ちでしたか?

うれしかったですね。やっと目標にしていた舞台にいけるという喜びですね。網城(安奈)選手が前回の2018年の準優勝メンバーで「ここにたどり着くまでに8年かかった」という話をしていて、「私からすれば18年かかった舞台だよ」と。すごくうれしかったですね。

ただ、切符をつかんだことに対しては安心もしましたが、同時に込み上げてきた感情としては「もうアジアは甘くないな」という気持ちでしたね。

──「ここで負けたら日本に帰れない」という気持ちで戦っていた選手たちもいたと。

今回に関しては特に、初開催のW杯出場権がかかっていたので、選手たちも相当なプレッシャーを感じていたと思います。

──そのプレッシャーから解放されてタイを破ってのアジアカップ初優勝。その喜びもひとしおだったと思います。

AFCの大会としては初優勝でした。私たちは「W杯優勝」を目標に掲げているのに、アジアの舞台で負けているようでは、そもそもその目標じゃダメだよねと思っていたので、優勝してW杯にいけるとなった時にホッとしました。

──帰国後、しばらくしてどんな気持ちになりましたか?

すごく反響があったことはうれしかったです。Fリーグの対戦相手と挨拶する時に男子の選手がいっぱい祝福の言葉をくれたんです。それほど面識がない選手たちからも「おめでとうございます」と声をかけてくれて、うれしい感情が蘇りました。

とはいえ、個人的にはすぐに迫るW杯でどういう準備をしていくかという気持ちが強く、喜びは一瞬ですね。本当に次のことしか考えていなかったので、そんなに浮かれている余裕はありませんでした(笑)。

今は出場できる喜びよりも、そこで優勝を目指す、目標に向かっていくという気持ちしかありません。これから戦いに備えなきゃいけない、という気持ちです。

世界の頂点までの道はある

──W杯はどんな場所だと思いますか?

自分が選手だった頃と比べて格段に進歩しているので、正直、何が起こるかわかりません。

だからこそ、選手がここで経験することを、次の人たちに伝えてほしいという気持ちがあります。ここで感じるものは、その人たちにしかわからない。日本代表になったことのある人しか日本代表のことはわからないですし、アジアカップで優勝した人じゃないと、その大変さはわからない。

初めてのW杯にいろんな思いをもって出たことも、その人たちにしかわからないと思います。だからこそ、選手は次の世代の選手に伝えてほしいですし、私は指導者としてそれを伝えていかなきゃいけないなと思っています。

──今の代表はどんなチームですか?

世代が変わると雰囲気もガラッと変わるものですよね。それは悪いことではなく、そうやって彼女たちが今の女子代表のキャラクターをつくっていけばいいと思っています。

善し悪しではなく、今は今で、次は次。古い人から見れば「あの時とは違う」という感覚になるかもしれないですが、受け入れつつやるべきことなんじゃないかなと思っています。

──結成当初の日本代表は殺伐とした感じやギラギラした感じもあったのでは?

もう昔のことすぎて覚えてないですけどね(笑)。

ただ、常に危機感はもっていました。今の選手たちに、大会がなくなる危機感はないと思います。W杯ができた時点で4年に1度、大きな舞台は必ず巡ってくる。だから具体的な目標にできる。

私たちが夢で見ていたものが、いざ具体的な目標になっても、また夢に変わってしまう可能性が当時はありました。W杯も、アジアカップすらない状態でしたから、それに対する不安みたいなものは常に持ち合わせていたと思います。

もしかしたら、それがゆえにもつ殺伐感やギラギラしたものがあったのかもしれないですね。

──今はどんな選手たちが集まっていますか?

ここまでフットサルをやっていることを考えれば、相当の覚悟をもった選手たちだと思います。みんなプロではないので、その中でここまで仕事と両立しながらやっている時点で、相当な覚悟をもっているはず。あえてそれは深掘りする必要はないのかなと思っています。

──以前、筏井りさ選手に話を聞いた際に、藤田コーチの言葉がすごく響いたと。そのエピソードは覚えていますか?

覚えていません(笑)。ただ、年齢的なことを考えても、連戦になればコンディション維持が大変になることはわかっているので、若い選手たちと同じようにやり続けるのは物理的に無理ですし、「仕事をできる時にやればいい」「全部やる必要はない」といったことを伝えたのかなと思います。

──コーチとしてどのようにチームをマネジメントしていこうと考えていますか?

W杯は連戦なので、選手たちが常に100%の状態でプレーに臨める環境づくりをしていくことが我々の仕事だと思っています。

マネジメントがすごく大事だというのは、アジアカップで痛感しました。少しずつ起こる歪みを、大きな歪みにする前にどんどん解決していく。選手を経験していて、女子のカテゴリーで過ごしてきたわけですから、その歪みにいち早く気づくべき存在は私だろうな、と。

何をストレスに感じるかは、選手として経験してきたものだったり、女性の集団だから感じるものだったり、そういったところでいろんな歪みが生じます。長い時間みんなで活動していくので、そこにセンサーを張っておくという感じですね。

──ストレスはかかるもの。

当然、ストレスはかかるものだと思います。食べ物が普段と一緒じゃないし、部屋も2人部屋でシェアしなきゃいけない。すべて自分のペースで運ばないことを考えたら、ストレスはあってしかりだと思います。だからこそ、どうやってみんなでストレスを解消していくかは、本当に大事な要素だと思います。

──世界の頂点を目指す上で、このW杯でどのような道のりを描いていますか?

苦しい道のりだと思っています。

──それでも頂点に続く道はある?

頂点に続く道は、あります。あるけど、相当、茨の道だと思っています。

──でも、今の代表チームならたどり着ける。

やり方次第ではたどり着ける場所だと思っています。

──最後に、この代表チームのどんな姿を見せたいですか?

みんなが言っていると思いますが、W杯は優勝を目指してやっています。見せたい姿としては、アジアカップの時にみんなでトロフィーを掲げたあの瞬間をW杯でみなさんにお見せしたいし、自分たちも味わいたいと思っています。

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