更新日時:2019.07.18
【コラム】家康公が出世した街・浜松で始まった物語。立川・府中の新井裕生は、フットサルの天下取りに挑む。
PHOTO BY軍記ひろし
突然だが「出世の街・浜松」という言葉をご存知だろうか?
浜松は、天下人・徳川家康が礎を築いた場所。江戸幕府を開いて初代征夷大将軍となった家康公が、29歳から45歳までを過ごしていた土地なのだ。浜松市のホームページにある紹介文によると、この地に根付く「出世」という言葉には、「自らを成長させて夢を叶えること」、「目標に向かって努力を重ねること」、「生きがいややりがいを持ち、幸せになること」といった意味が込められているのだという。
そんな家康公の逸話になぞらえるように、浜松から“出世の道”を歩み始めた選手がいる。
立川・府中アスレティックFCの新井裕生だ。
Fリーグ選抜での“挑戦”で芽生えたエゴ
高校、大学とサッカーを続けていた新井は2014年、国士舘大学サッカー部に所属していた1年生のときに府中アスレティックFCサテライトBに“復帰”した。彼は、中学時代に一度、府中のジュニアユースでプレーしていたのだ。しかし、その後の3年間でトップチームでの出場は「ゼロ」。チームを退団する決断を下した。
一念発起してアグレミーナ浜松に加入した2017/2018シーズンは、Fリーグデビューを果たしただけではなく、22試合に出場するなど、トップレベルで戦える実力を示した。しかし、得点は「ゼロ」だった。
「何もできないまま1シーズンが終わってしまった」
不甲斐なさと悔しさを味わった新井は、ここでもう一度、大きな決断を下した。
2018/2019シーズンは、新たに発足したFリーグ選抜でプレーすることを決意。しかも、これまでプレーしてきたアラとしてではなく、前線で仕事ができるタイプの選手がいないチーム事情を鑑みてピヴォにコンバートされるなど、変化のシーズンになった。このチャンスに応えた新井は、33試合でチームトップとなる14ゴールをマーク。ゴールゲッターとしての才能が一気に開花したのだ。
Fリーグ選抜でキャリアを積んだ新井は、その1年間で2つの大切なことを学んだ。
一つは「エゴ」だ。
「最年長だったので、自分がやらなければいけないという責任感は強まりました。日本代表に呼ばれた際にブルーノ監督からも言われましたが、そういうエゴは持っていないといけないと思います」
その言葉は、今の彼のプレーにも見ることができる。13日に行われた湘南ベルマーレ戦、カウンターで並走する上村充哉が「裕生!」と大きな声でボールを要求していた。しかし新井は、左サイドからそのままゴール方向へとボールを運んでシュートを放ったのだ。ゴレイロに防がれたものの、新井の判断は明確だった。
「パスの方がいいと思えばパスを出します。自分でいけると思えばいきます。ただ、五分五分の状況ならば、僕は自分でいきます。そういう考え方は、選抜でプレーしたことで身についたものです」
今シーズンから立川・府中に戻ってきた新井は、チームで2番目の4得点を挙げて存在価値を示している。
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