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2018.11.22

【翔太と龍太、兄弟対談/後編】知られざる2人のエピソード。「喧嘩もしたけど、ずっと兄貴にくっついてきた」(星龍太)

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兄・星翔太と弟・星龍太。兄がやりたいことに向かって突き進み、弟がその背中を追い続けてきた。龍太がフットサルと出会うまで、そんな2人の関係は続いた。しかし、2009年、兄がFリーグの門をたたいたときを境に、彼らは初めて別々の道を歩き始めた。しかし、彼らの道は2018年、再び交わった。

2人はどのように育ち、フットボールの道を歩み、フットサルと出会い、今こうして同じチームに巡り合ったのだろうか。前編ではそれぞれが考える「名古屋オーシャンズ」や、2人の胸の内に迫った。後編はもう少しパーソナルな部分に踏み込んで、星兄弟の知られざる一面を掘り起こしていく。

<座談会前編>
【翔太と龍太、兄弟対談/前編】9年ぶりに実現した“奇跡の共闘”の先に。「龍太は新しい時代のキャプテン」(星翔太)

龍太はいつもお兄ちゃんにくっついていた

──龍太さんにとって2歳年上の翔太さんはどんな兄でしたか?

龍太 小さいときにサッカーの道を選んだのも、先にやっていた兄の真似で始めました。背中を追い掛けるというか、ずっとくっついていたように思います。

翔太 昔から一緒にいることが多かったですね。山梨におばあちゃんの家があるんですけど、2人で一緒に行ったりとか。フットサルに引き込んだのもそうですけど、基本的に僕はずっとやりたいことをやってきて、そこにいつも龍太を巻き込んでいたという感じです。

──やはり仲良しだったと。でも男兄弟ですし、喧嘩も多かったのでは?

龍太 もちろん喧嘩はしました。普通の兄弟ですよ。

──ちなみに、どんなことが原因でとか覚えていますか?

龍太 いや、覚えてないですけど本当に些細なことで……。

翔太 テレビゲームで勝った、負けたとか。いきなり電源を消したりね。

龍太 小さいことで喧嘩していましたね。もはや思い出せないくらいしょうもないことで。

翔太 ずっと同じ部屋だったんです。勉強は背中合わせで、遊ぶときは一緒にゲームして、寝るときは二段ベッドの上と下。別々の部屋だったらもう少し違う関係だったのかもしれないですけどね。

龍太 それこそ、上か下かでも取り合いしてたよね。

翔太 一週間ごとに交代していたのですが、「これやるから俺に好きな方を譲れ」とか。それでまた喧嘩になったりもしたし。

龍太 それでも、小さい頃は「お兄ちゃん、お兄ちゃん」という感じだったね。

翔太 今もそれだったらヤバイだろ(笑)。

龍太 そうだね(笑)。今は「翔太」って呼んでいますが、二十歳くらいにFUGA MEGURO(現フウガドールすみだ)でフットサルを始めた頃は、まだ「お兄ちゃん」だった。それで、2人のときは「お兄ちゃん」なんだけど、周りに誰かいると恥ずかしくなって「兄貴」って呼んでた。同じチームにいますから、自然と名前で「翔太」って呼ぶことが多くなりましたね。

──そんな仲良し兄弟は、2人とも小学校から私立の暁星小学校に。その頃のことは覚えていますか?

龍太 翔太が暁星に入学したので、僕の道も決まっていたという感じですね。特に考えることもなくお兄ちゃんについていくという感じだったと思います。

翔太 僕は長男ということもあって、暁星以外にもいろんなところを受けた記憶があります。いくつか合格した中に桐朋小学校があったんですけど、暁星の方がいいなと。『キャプテン翼』で東邦学園ってありますよね。何となくなんですけど、桐朋はその東邦のイメージで“敵っぽい”から行かなかった気がします(笑)。

──ご両親はもともと私立への受験を考えていたんですね。

翔太 そうだったと思います。「人に正しく接する人間に」と教えられて育ちました。

──厳しかった?

龍太 厳しかったですね。めちゃくちゃ(笑)。

翔太 「礼儀正しく」が基本にあって、人と顔を合わせたときにちゃんと挨拶ができるのか、ちゃんと受け答えできるのか、失礼がないか、とか。勉強も「その後の人生にすごく左右する」と厳しく言われていました。でも、礼儀と勉強以外は自由でしたね。サッカーをしようが、ゲームをしようが、怒られることはなかったので。最低限のことをやらないと厳しい、ということだったと思います。

──サッカーは小学校からですか?

翔太 いや、サッカーは小学校に入る前、幼稚園からずっとやっていました。Jリーグの開幕戦とか、キーちゃん(北澤豪)やラモス瑠偉とかカズさん(三浦知良)を見た影響で僕が始めて、龍太も巻き込むように同じクラブに入りましたね。暁星小学校では4年生からしかサッカー部には入れなかったので、それまでは地元のクラブでずっとプレーしていました。

──龍太さんとはよく一緒にやっていたんですか?

翔太 家の前にある大きい公園で暗くなるまでずっと1対1をしていました。夕方くらいになると他の子どもたちがいなくなるので、母親と僕と龍太でずっと(笑)。

──ちなみに、ポジションは?

翔太 4年生のときはフォワードで、5年生のときはディフェンダー、6年生のときはミッドフィルダー。学年ごとに監督が違って、指導者それぞれの考えがあるので、5年生のときの先生は、FWをDFにして違うことを学ばせるということだったと思います。6年生のときは体も小さかったのでサイドハーフとかですね。

龍太 僕はDFとMFを4年生と5年生のときにやっていて、6年生のときはキーパーでした。中学に上がってもキーパーをやりたいと思っていたんですけど、親が「ダメ」だと。それでフィールドプレイヤーに戻りましたね。後々「本気でキーパーをやりたかったのに」って言ったら「本気だとは思わなかった」って(笑)。

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