【独占告白】なぜ稲葉洸太郎は「F1復帰」よりも「現役引退」を選んだのか?「僕だからできることがあるんじゃないか」
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運命を狂わされた日本代表初招集
――稲葉選手がフットサルを始めたのは、神田にある小川広場ですよね。
小川広場には無料のフットサルコートがあって、2点先取したチームが勝ち残るというルールでした。高校のサッカー部の同級生で、大学の推薦が決まっていたワタル(北原亘/元名古屋オーシャンズ)、須賀(雄大/フウガドールすみだ監督)、ヨシナオ(田中良直)とかとチームを組んで出ていました。すべてはあそこから始まりましたね。
――2004年には21歳で日本代表に選ばれ、世界選手権出場をかけたアジア予選(アジア選手権)に出場しました。
あそこで完全に運命を狂わされましたね(笑)。それまで、自分の中でフットサルは遊びでしかなかった。日本代表といっても、選抜チームに呼ばれたから行ってこようぐらいの感覚でした。だから最初は他の人たちが、なんでここまで本気になっているんだろうと、不思議に思っていました。
先輩たちはみんな、いろいろなものを犠牲してフットサルをやっていました。代表遠征で1カ月とか仕事を休むことはできないから、アルバイトをしている人も多かった。そんな人たちと過ごして、熱い気持ちに触れる中で、何かが変わっていったんですよね。
世界選手権(現W杯)の出場権を初めて自力で手にした時には、全員が泣いていました。でも僕はポカーンとしていて。すごいところに来ちゃったなと思いつつ、世代では自分一人だったのでここで自分がフットサル界からいなくなっちゃったら、誰も伝える人がいないんじゃないかと思って、勝手に責任を感じてしまったんです(笑)。
――それで、大学卒業後は企業に就職するのではなく、フットサル選手になるという道を選んだ。
アジア選手権に出るまでは、普通に大学に行って、就職してって人生を描いていました。だから、周りのみんなに「フットサルでやっていく」と言った時は、100%「大丈夫か?」と心配されましたね。
でも、自分の中ではよくわからない確信みたいなものがあったんです。このスポーツは必ず大きくなる。プロリーグもできる。そうなれば、Jリーグみたいにたくさん稼げる選手も出てくる、俺がそれになってやる!という。
残念ながら、あの時思い描いていたようなフットサル界にはまだなっていません。できれば、自分が引退する時には、テレビでフットサル番組をやっていて、引退したら解説者とか指導者だけで食べていけるようになってほしかった。
ただ、自分はまだその世代だったんじゃなかったなと。これからの日本フットサルを背負っていく、清水和也や必死に頑張っている若い選手たちがしっかりした給料と環境をもらって、子どもたちの憧れになっていく。そういう業界にしていけるように、別の立場から頑張ります。
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2025.03.31