【森谷優太&横江怜、引退対談】「ここまで一緒にやれてうれしい」。町田一筋の同級生2人が、同じ時期にピッチを去る理由。
PHOTO BY軍記ひろし
自分のなかでスッとやめようと思った(横江)
──2人は同い年で、しかもカスカヴェウ時代からずっとこのチームでプレーしてきました。その2人が、同じタイミングで引退を決めた。これは偶然でしょうか?
横江 どっちでもありますけどね。2人とも、そういう年齢になったということもそうだし。
──クラブのリリースは、横江さんが12月24日で、森谷さんが25日。驚きが続きました。
横江 クリスマスプレゼントということで(笑)。
──ファンにとっても、あまり嬉しくないプレゼントではありますが……。では、決断はどうやって?
横江 その決断は……リリースは僕の方が先ですが、森谷の方がよっぽど早く決断していました。
森谷 そうですね。1、2カ月くらい前には決めて、クラブに伝えていました。
横江 完全に引退するというか、そのニュアンスが難しくて。「引退しても、ちょっとは蹴りたいな」と。僕のなかでは「現役引退」ではなく、Fリーグやペスカドーラではもう蹴りませんという意味です。シュライカー大阪の稲田瑞穂選手が発表していた「Fリーグ引退」はすごくしっくりきました。どこでやるとかも何も決めていないですけど、ずっと蹴っていたいなと。
そして僕らは、発表にすごく悩んだ。クラブとしては、ホーム最終戦でセレモニーをしてあげたいから、それまでにやるのかやらないのかを決めてくれ、と。でも、「発表しなくてよくない?」って。選手権が終わってからこっそりやめますという感じでいいよね、と。結局、発表の数日前に甲斐(修侍)さんと話をして、「やめます。発表してください」と伝えました。クラブからコメントをほしいと言われて僕がポンと動いちゃったから、森谷も「おぉ、発表しちゃったじゃん」となった。
森谷 慌てて(コメントを)考えました。
──ものすごく失礼な言い方ですが、森谷さんのコメント、横江さんのをコピペしましたよね?
横江 あ、ばれてる(笑)。
森谷 待ってたんだよ。レオのを見てからって。
──全く同じフレーズを使われていたので(笑)。
森谷 その作戦でいきました。
──そうだったんですね(笑)。それぞれ引退の決め手はあったのでしょうか?
横江 正直、僕は数年前から考えていました。ちょうど上の子どもが小学校に上がるタイミングだったので、今やめてしまうと、途中で転校することになったりして大変かなって。だから去年、1年生に進級するときにやめようと思って、クラブにも伝えていました。でも、周囲から「やった方がいい」と言ってもらえて、この1年間は続けていました。セレモニーでも言いましたが、やっぱり、優勝だけ。それさえできていれば、何も悔いがなかった。2年前、3年前は優勝できそうなシーズンでした。今年も新しい監督がやってきて優勝を目指したシーズンですけど、現実的に優勝から遠いじゃないですか。もちろん来年も優勝を目指すと思いますが、どちらかというと育成にシフトしていくなかで、やはり僕としては、優勝からさらに遠ざかってしまう可能性があるシーズンが続くのは、厳しいなと。だったら、迷わずに。周囲に相談すると、まだできるとか、もっとやってほしいと言われて悩んでしまうので、自分のなかでスッとやめようと思った。それで、決断をしてから、(横江選手が働くスクールの主宰者である)北澤豪さんにも「やめます」と伝えました。
──周囲の気持ちもわかります。まだやれるんじゃないか、と。
横江 自分でも「やれる」と思うところはあります。でも、体より気持ちの部分。正直なところ、Fリーグがスタートしたときに、10年後はもっと華やかな舞台になっていると思っていました。でも実際には、逆でした。そういうところも含めて、「夢がない」という言い方はしたくないですけどね。10年前から、「コーチみたいにフットサル選手になりたい」というスクールの子どもたちに、「まずはサッカー選手を目指しなさい」と言っていました。その葛藤はすごく寂しいものですよね。もっと華やかになってほしい、盛り上がってほしい、盛り上げたいなという気持ちもあるから、退いた後に何かしらやりたいです。
──今度は舞台裏で。
横江 まだ具体的なものがないので、これから考えていきます。
──森谷さんは何か決め手があったのでしょうか?
森谷 チームには世代交代の流れがきていますし、自分のコンディションも少し落ちてきたと感じていました。選手生活をやるならずっとこのクラブでと思っていたので、意外と早く決断できました。
──森谷さんも、数年前から考えていたんですか?
森谷 まあ、毎年ですよね。
横江 来年、自分はできるのかって。
──そういうのは、30代くらいから感じ始めるものなのでしょうか?
森谷 同世代の選手が引退したり、移籍したりするのを見て、自分もそういう立場になったら、このクラブで終わりたいなって気持ちを持つようになりましたね。
──42歳の現在も第一線で戦う金山さんは、「背中で見せられなくなったらやめる」と話していました。まだ年齢が上の選手がやっているなかで退くことを決める難しさもあるのでは?
横江 友紀さんにはいつも言っていましたよ。そんなにできない、やらないって(笑)。でも友紀さんは、「でも、順番は守れよ」と。それで僕は、「約束はできないです」と返事しました。友紀さんは、自分のなかで納得し切るまで続けてほしい。でも自分はそうじゃなかった。Fリーグの現実に立ち止まってしまった。
僕が現役をやめますといって、それで収入や生活水準は、何も変わりません。むしろ、上向くことの方があるんじゃないかという感じもあります。選手でいるうちは、現役選手だからこその価値があり、その上で対価を受けているのかもしれないですが、やめても、変わらずに維持できるものがあるのも事実です。
これは仕事だから割り切って続けよう、みたいな気持ちはなくて、スッと決めました。
──だからこそ、唯一「Fリーグ優勝」の夢を達成したかった。
横江 本当にそれだけでした。こんな言い方をしてはあれですけど、優勝していくらになるのか。優勝して「やべっちF.C.」とかで(賞金パネルを掲げた選手たちが)出ることがありますけど、子どもたちは「300万?」みたいな。そういう意味でも、サッカーとは環境の違いがありすぎて、メディアに出れば出るほど、寂しくなることが多いんです。日本代表に選ばれたとしても、同じような気持ちになってしまう。
だからこそ、環境をもっとよくしていかないといけない。
──率直なところをお話ししてもらいました。
横江 現実としてあるからこそ、そこをどうにかしていきたいなと。僕自身、フットサル界にすごく成長させてもらいましたし、恩返しをしたいという気持ちがあるから。まずはペスカドーラにですね。少しずつ貢献できたらなと考えています。まずチーム、そしてリーグへと盛り上がりを作っていきたいです。
──このクラブにこだわった理由はどこにあるのでしょうか?
横江 それは森谷の方がこだわりが強いよね。
森谷 このクラブからスタートしました。このチームで試合に出たい、中心選手になりたい、日本代表に呼ばれたいという思いで始めていって、ここまでやってきて、本当にこのチームのフットサルが好きだったし、このチームの一員であることがすべてでした。だからこだわりがあるし、このチームで終わりたい、と。
──甲斐さんから何か言葉をもらったりしましたか?
森谷 いや、特には(笑)。
横江 今は(甲斐さんが監督を務める)U-18がスペインに(WORLD FUTSAL CUP 2019に出場するために)行っているので、「ごめんな、2人の最後の試合とセレモニーを見れなくて。本当に見たかったし、送り出したかった」ってことは言ってもらえました。引退に関してはまだ、リーグ戦も選手権もありますからね。その後に、お疲れさん会をしようなって。
【次ページ】こいつと出会えてよかったなと、素直に思います(横江)
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