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作成日時:2019.12.17
更新日時:2019.12.17

【インタビュー】日本代表への想い。家族への想い。大阪・稲田瑞穂が「Fリーグ引退」の本音を語る。

PHOTO BY軍記ひろし

12月13日、シュライカー大阪の稲田瑞穂は、クラブのHPを通して「Fリーグからの引退」を発表した。

「子どもたちに父親が第一線で戦っている姿を見せられたことは本当によかった」、「ずっと支えてくれた家族や応援してくれた方々への一つの恩返しの形として、日の丸をつけて戦っている姿を見せたかった」。掲載されたコメントには、二児の父である稲田の家族への想いや、9年間のプレーの日々で支え続けてくれた方への感謝の気持ちがつづられていたが、一方で、引退を決めた明確な理由は記されていなかった。

稲田は今シーズンも大阪の中軸の選手の一人だ。ここまで11得点を挙げてきただけでなく、チャンスメーカーであり、切れ味鋭いドリブル突破やチームメートへの気の利いたサポートで存在感を放っているだけに、「まだやれる」という周囲の声も多い。

ではなぜ、今シーズン限りでFリーグを去る決断を下したのか。15日のペスカドーラ町田戦後に、その真意を聞いた。

これからは仕事と家族がメインになっていく

──プレーオフ出場を争う大事な試合で勝ち切ることができました。

(先に行われていた試合で、勝ち点2ポイント差で4位につけていた)すみだが負けて、この町田戦で勝てば(プレーオフ出場に)有利な状況になるという意味で大きな位置づけだった試合に勝ててよかったです。

──稲田選手自身も、この試合を前に「Fリーグからの引退」を発表されて臨んだ試合でした。気持ちの入り方がいつもとはまた違ったのではないでしょうか。

町田と戦うのはたぶん最後の試合でしたし、ここ(町田市立総合体育館)でもよく試合をしましたから、感慨深いものはありました。でもまずはチームの勝利を一番に考えていました。点を決めたかったですけどね。

──引退発表は驚きのニュースでした。率直にうかがいますが、なぜ決めたのでしょうか?

自分のなかで去年の終盤から今シーズンの最初の方で調子もよくて、手応えもありました。そこで、「日本代表に呼んでもらえるかな」って、自分ではチャンスがあると思っていました。でも、全力を出し切りましたが、実力不足で呼ばれませんでした。Fリーグでやってきたなかで一つの大きな目標だったので、自分自身で一区切りをつけようかなと考えました。

それと、子ども(長男)が1年生で、フットサルとサッカーをしていて、その成長も見ていきたいなと。これまでは土日は遠征でつぶれてしまうことも多かったですし、家族との時間を増やしたいなと。

──1年生ということは、9年前にFリーグでプレーを始めた頃のお子さん。

2年目、でしたね。府中からデウソン神戸に移籍した年の夏に生まれました。

──関西出身ですが、Fリーグデビューは関東でしたね。

(当時、府中を指揮していた)伊藤(雅範)さんが呼んでくれて。そこで家族のこともあったので、2年目に関西に戻りました。

──その後は、神戸と大阪では仕事をされながら?

神戸ではクラブとは別のスクールをしていました。大阪ではプロ契約でやらせてもらえていましたが、自分の開いたスクールも続けてきました。

──選手と仕事の両輪は、フットサル選手の難しい面でもありますよね。

でも、逆によかったと思っています。社会人としても、すごく勉強できましたし。もちろん選手一本でできる環境があればそれはメリットですが、両方やることでいろんなことが見えますから、どちらも突き詰めていくのはいいことだと思います。Jリーガーなどの多くは、サッカーを引退してから次のキャリアというケースが多いと思いますが、早い段階で両方を進めながらできるのは、自分の人生では大きなことでした。

──そうした両軸のなかでも、この9年間はどちらかといえば「選手」に重心を置いてきました。多くのアスリートがそういう時期に直面するのかもしれないですが、選手と仕事、家族とのバランスなどを見つめ直すタイミングがあるのかもしれません。稲田選手にとっては、それが今だった。

そうですね。(家族がいるなかで)長くプレーを続けている選手もたくさんいますし、そういう方々をすごく尊敬しています。僕ももっと長くできたらよかったですよね。でも、自分のなかではやはり「日本代表」がかなり多くの部分を占めていました。小さい頃からの夢だったので。ただし、優先順位が変わるだけなんですけどね。フットサルは好きですし、これからも、どこかでプレーを続けていきたいと思っています。

今は選手として、仕事も並行しながら続けてきましたが、これからは仕事と家族がメインになっていくということです。家族からは「まだ続けてほしかった」とも言われたんですけどね。それで、(家族に)迷惑がかからない活動ができるチームがあれば、蹴り続けたいなと思います。

──区切りと感じたタイミングはいつだったのでしょうか?

実際には、昨シーズンのプレーオフが大きかったですね。プレーオフ決勝で名古屋オーシャンズを相手に、外国人選手を相手にも臆せずプレーできて、手応えがありました。その後はすごく、自分のなかで(日本代表に選ばれる)準備をしていました(苦笑)。それでこの夏くらいまでに呼ばれなければないな、というか。

──選手を続ける限り日本代表への門は開かれていると言われますが、一方で、年齢であったり、自分と同じポジションの若い選手が選ばれていくことで、その可能性は薄れていく。選手の気持ちとしても「自分ではないのかな」というふうになっていってしまうものなのでしょうか。

そうですね。Fリーガーである以上、みんなそこを目指していますが、監督に選んでもらうものであって、自分でどうにかできるわけではないですからね。出し切って、やり切ったなと。まだシーズンは残っていますから、もっともっと出し切ってプレーをしたいと思います。

──ただ、一度も合宿などに呼ばれていなかったというのは意外です。

一度でも呼んでもらって、見てもらった上でダメだったのであれば、自分のなかでもう少し消化できていたと思います。でも、目の前で見てもらえないまま終わってしまうのは心残りではありますね。

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