更新日時:2023.04.07
アルトゥールさん、日本でまた会いましょう。日本人の心を携えた最高のフィクソが、僕らに見せてくれたもの|俺たちの全日本
PHOTO BY高橋学
W杯の最高のプレーが日本への恩返し
彼の印象はずっと変わらず、真面目で、プロフェッショナルな選手だった。
Fリーグで唯一無二のフィクソとして君臨してきたオリベイラ・アルトゥール。
初めて彼にインタビューをしたのは、名古屋オーシャンズへ移籍してきた2020シーズンの開幕前のことだった。
元ブラジル代表監督・ペセ氏の実子で、2016シーズンにシュライカー大阪の初優勝に貢献した選手がFリーグ最強チームに入ると知り、どんな相乗効果を生むのかとワクワクした気持ちを今でも覚えている。
その頃には、日本人に帰化する意志を抱いていた。なぜ、名古屋へ移籍したのか。なぜ、日本国籍の取得を目指すのか。通訳を介しながら様々な疑問をぶつけていると、インタビューの時間は気づけば1時間以上が経過していた。それでもアルトゥールは、質問の一つひとつに真摯に答えてくれた。
インタビュー前から抱いていた、真面目で、プロフェッショナルな印象は変わらなかった。むしろ、ピッチ外での言語の壁や文化の違いにも適応しようとする姿勢を知り、そのイメージはより強くなった。
アルトゥールは、帰化申請の準備が整うまでに“お試し”で受けた日本語のテストに二度落ちてしまっていたという。しかし手続きが完了して臨んだ“本番”のテストでは見事一発合格。申請から日本国籍取得まで1年はかかると言われていた工程を、2020年12月アルトゥールはわずか半年でクリアした。
晴れて日本人となった3カ月後の2021年3月、アルトゥールはブルーノ・ガルシア監督が率いる日本代表に初招集された。もし、平均的な取得期間の1年以上を費やしていたら、彼はその年の9月に開催されたワールドカップに出場できていなかったかもしれない。もしもアルトゥールがいなければ、日本はW杯でスペインと同組のグループを突破し、ラウンド16でブラジルと善戦したあの戦いはなかったかもしれない。
「日本では自分と自分の家族を温かく支えてもらいましたし、いろいろなことを学べたのですごく感謝しています。日の丸を背負ってプレーすることはその恩返しになる」。
その一心で、“もう一つの祖国”のためにピッチの外でも努力を怠らなかった。
最後の取材は叶わなかったけれど…
日本のために、日本人としてW杯を戦い、活躍する姿にフットサルファンは歓喜した。しかし、嫉妬なのか、海外では“元ブラジル人”が日本代表としてプレーすることをよく思わない“アンチ”もいた。その批判に対し、普段は冷静なアルトゥールが「俺は7年間日本に住んでいるから、絶対、日本人だ。日本人と顔は似てないけど、心から、絶対日本人なんだ」と、少々感情的になりながら、日本に対する思いを口にしたこともあった。
だから、アルトゥールはこれからも名古屋の選手として、日本でずっとプレーを続けるだろうと思っていた。
しかし──。
全日本フットサル選手権大会を控えた3月10日、名古屋からアルトゥールの2022-2023シーズン限りでの退団が発表された。「迷いましたけど、将来や家族のこと、いろいろ考えて日本から出るべきだと思いました」と、海外でプレーする思いを表明した。
アルトゥールが大阪の選手として日本でプレーをする決断をした時、「ブラジルでは社会的な問題があり、経済もいい状態ではなかった。ブラジルのフットサルにも厳しい影響が出ていたため、海外への挑戦を考えた」と話していた。今回も、同じようにフットサルやそれ以外のことも含め、複合的に考えて下した決断なのだろう。
アルトゥールのTwitterで使われているアイコンの写真、実は僕が撮影したものだ。当時、名古屋に住んでいた自分が、“オーシャンズのアルトゥール”を初めて取材した際に、「写真を撮ってよ」と頼まれて応じたものだった。
その頃から一層追い続けた彼の、日本での勇姿を見届けるため、僕は3月17日、全日本選手権準々決勝、ボルクバレット北九州戦が行われた駒沢体育館へと足を運んだ。
6-1で完勝した試合で2得点を挙げ、いつものようにチームを勝利へ導いた姿を見て、決勝へ勝ち進むイメージはほとんど確信のように思えていた。現在、Jリーグの現場でも取材をする僕は、翌18日、準決勝の湘南ベルマーレ戦の取材を編集部のメンバーに任せて、サッカーの現場へと足を運んだ。19日の決勝後にアルトゥールに話を聞こうと思いながら。
だが、その瞬間はやってこなかった。
名古屋は、湘南との壮絶な戦いの末、PK戦で敗退した。ハイライト映像を見返しても、アルトゥールのプレーがいつもと変わらずハイクオリティであることは明らかだった。真面目でプロフェッショナルな彼のことである。退団を決めたからこそ、名古屋のために死力を尽くし、最後の大会でトロフィーを掲げて日本を去る覚悟があったに違いない。そんな気概は、画面越しにも伝わってきた。
離れた場所で結果を知り、アルトゥールへの最後の取材を仲間に託した。
「また、日本に戻ってきたい」
彼はそう、笑顔で告げたという。
守備の大きなタスクを負うポジションでありながら、高すぎるフットサルIQを駆使した圧倒的な攻撃力を備え、ファン・サポーターを魅了し続けてきたアルトゥール。「シュライカー大阪でも名古屋オーシャンズでも、歴史を作れたと思う」と話したその言葉に、驕りはない。自他共に認めるFリーグ史上最高の選手の一人だった。
そのプレーを国内で拝む機会が減ってしまうのは惜しいが、寂しくはない。彼は自分のために、家族のために、そして日本人として日本のために戦い続けてくれるから。
アルトゥール選手、日本でまた会いましょう。どこまでも真面目で、プロフェッショナルなあなたのキャリアがこの先も成功することを、心から願っています。
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