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作成日時:2022.10.06
更新日時:2022.10.08

ココロ踊らす天真爛漫なアイツは、ココロからフットサルを楽しむ18歳|しょうこの心情系人物コラム

PHOTO BY高橋学、勝又寛晃

真冬の海浜幕張はとても冷える。その日、私は室内用のシューズやカメラに加え、ネックウォーマーや予備の上着、カイロで膨れたリュックを背負い、日本代表のトレーニングキャンプが行われるJFA夢フィールドを目指してとぼとぼと歩いていた。

「お疲れさまです!」と声をかけてくれた選手が3人。「お疲れさまです」と返してすれ違うと、そのうちの1人がわざわざ戻ってきて「年齢の話、ありがとうございました!」と、深々と頭を下げた。それが当時17歳の原田快(こころ)である。

文=しょうこ

フットサル歴は物心ついたときから

この数日前、原田のフル代表初招集が発表され、所属クラブのペスカドーラ町田の試合後に話を聞いた。そのときに「僕って最年少選出ですか?」と聞かれた。17歳という年齢での招集は異例のことではあるが、確信が持てなかったので「確実なことは今、答えられないので調べておきますね」と答えた。その後、各所に確認を取り、Fリーグが開幕してからの最年少選出は当時、湘南ベルマーレに所属していた植松晃都氏の17歳8カ月だと分かった。2004年7月生まれの原田が初招集を受けたのは今年1月なので、17歳6カ月での招集。2カ月だが原田のほうが早い。すでにトレーニングキャンプは始まっていたので、町田のスタッフを通して「Fリーグ開幕以降では最年少であり、実質、最年少と言っても差し支えない」ということを伝えた。それが冒頭の「ありがとうございます!」につながる。

なんて礼儀正しい子なんだろう、と感動した。それで、町田のスタッフに「こういうことがあった」と伝えると「きっとお父さんの教育ですね」と返ってきた。そう、原田の父はシュライカー大阪の初代監督・原田健司氏なのだ。だから原田には「いつからフットサルを始めた」という明確な記憶はなく「物心がついたときにはフットサルをやっていた」。サッカーから転向するスポーツだったフットサルに「子どものころから親しんでいた」「最初からフットサルをプレーしていた」という選手が増えてきたことでも時代の移り変わりを感じていた。それなのに「物心がついたときから」だなんて。

そんな原田だが、本人の素顔はいたって普通の高校生で、いつもちょこまかと動き回り、楽しそうにしている。8月まで所属していた町田の平均年齢は低いが、そのなかでも原田は若かった。対戦相手もクラブスタッフもほとんどが年上という環境について「大人のなかに溶け込んでいるけど、抵抗や緊張はなかったですか?」と聞いてみた。「町田は若い選手も多いですから。(森岡)薫さん(現リガーレヴィア葛飾)がいた時代だったら、もっと緊張していたかもしれない」と原田は答えた。でも、Fリーグで、世代別代表で、フル代表で原田を見てきた私としては「あなたなら森岡選手相手でも大丈夫でしょう」と思うのだ。アジアカップの取材でクウェートに渡ってからはトレーニングにも顔を出している。原田はいつも楽しそうにしているだけでなく、ある日は“ペラドン”中に突っ込んできた選手に対し、ものすごく不満そうなしかめ面をしていた。その強気さがすごく良い。

グループステージ第3戦のベトナム戦は、1位で突破するために2点差以上の勝利が必要だった。1-0の時間が長く続き、残り6分を切ったあたりで原田がビブスを脱いだ。流れを変えるためにピッチに立つかと思われたが、直後に清水和也がゴールを決め、戦況が変わったので原田は再度ビブスを着た。しかし、準々決勝のインドネシア戦で再度、原田に流れを変える役割が託される。第1ピリオドをスコアレスで終え、第2ピリオド開始直後に失点した日本はまず、同点ゴールが必要だった。9分を残し、原田がピッチに立った。このシーンを振り返って金澤空は言う。「僕とココロが一緒に出るときは明確に『攻めて点を取ってこい』というメッセージがある」。そして、その意図を汲み取った20歳と18歳のコンビが同点弾をもぎ取ったのだ。

この若手コンビ、本当に息がぴったりで常に楽しそうにしている。準々決勝のあと、金澤にコメントを取り終え次の選手を待っていると、金澤がしきりに前髪を気にしていた。「髪型気に入らないの?」と聞くと「シャワー浴びたんですけど、ドライヤーがないんですよ」と返ってきた。その後に原田のコメントを取ったが、なんとなくいつもと髪型が違う気がして「髪型変わった?」と聞いた。「シャワー浴びたんですけど、ドライヤーがないんですよ」。一言一句まったく同じ答えが返ってきた。

原田快、18歳。日本フットサル界の宝

天真爛漫な原田だが、ベトナム戦のあのタイミングでの起用は「さすがに緊張した」と言う。それでも「僕ができることはアレしかないので、結果を見せて当たり前です。流れを変えるという使命を果たせたことは大きいです」と答える。さらに、どの試合もリラックスした雰囲気を見せていることに触れると「アツヤ(上村充哉)がよくなにもないところでこけるから『なにこけてんの』って言ったり、誰かが審判に日本語で『4秒!』って言ったら『なんで日本語で言ってんの』って言ったりはします(笑)。試合の流れが良くないとき、みんなはピッチに向かって声を出すけど、僕はちょっと違った方向から雰囲気を和らげたほうがいいかな、って」。緊張する場面に投入されても役割を果たし、ベンチではチームの雰囲気を和らげる方法まで考えている。

木暮賢一郎監督が出場機会の少ない選手に対して言及したとき、原田の名前が挙がった。「快にはまだ、できないことも多いです。彼を連れてくることでどういったサポートが必要になるかは、コーチングスタッフでも十分に話し合いました。それでも、このアジアの大会を経験させる価値や意味があります」と。今の段階の彼ができることで役割を果たし、さらに経験を積む。大げさではなく、原田は日本フットサル界の宝だ。

監督や周囲のそういった期待に対し「僕は日本でもまだまだの選手だし、世界ではもっと小さな存在だけど、こういう大会を経験して2年後のワールドカップではエースと呼ばれるような選手になりたいです」と未来を見据えている。

原田快、18歳。2年後のW杯は20歳。日本のエースに成長した彼はこの先、何度のW杯に出場し、ピッチで躍動してくれるのだろう。何年も先までフットサルを見る楽しみが、さらに一つ増えた。

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