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作成日時:2023.04.02
更新日時:2023.04.02

6歳から友達、31歳でライバル。宿本諒太と栗本博生、フットボールの神様が見守った最後の対決|俺たちの全日本

PHOTO BY高橋学

俺たちの全日本|特集

フットサルやサッカーをプレーするみなさんは、最初のチームメイトを覚えているだろうか。物心ついた頃からボールを蹴っていたという人は、「最初のチームメイト=地元の幼馴染」である確率が高いだろう。筆者の場合は大学のフットサルサークルだった。今でも時々会ってボールを蹴っては、宴席を囲む。部活の同期など、最初のチームメイトが生涯の友になっている人も少なくないはずだ。

トップレベルで活躍する選手たちにも、我々と同じように“最初の蹴り仲間”がいる。長いフットボール人生の最後の試合で、そんな仲間と同じピッチで再会できたとしたら。そしてそれが、日本一を決める栄誉ある大会だとしたら――。フットボールの神様の存在を、少しだけ信じてみたくなるのではないだろうか。

Y.S.C.C.横浜には、そんな幸運に恵まれた選手がいる。背番号8番、宿本諒太だ。

2人の少年がフットサルチームをつくるまで

宿本は1991年12月15日、神奈川県藤沢市生まれの31歳。幼少期からボールを蹴るのが大好きな少年で、地元の藤沢市立辻堂小学校に入学した。

 入学からほどなくして、毎日自分の家と同じ方向に帰っていく同級生がいることに気付いた。その子はいつも、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)のユニフォームを身に纏っていた。

 「家に帰ると母に『なんかヴェルディのユニフォーム着てる子がいる』って話していて。うちでは勝手に『ヴェルディくん』って呼んでいました(笑)。あの子も絶対、サッカーが好きに違いないと思って」

 そう確信した宿本少年。ある日の通学路で、意を決して声を掛けた。

宿本「ねえねえ、きみサッカーやってるでしょ?」

ヴェルディくん「うん」

のちに家族のような深い縁でつながることになる同級生との、最初の会話。その相手こそ、現フウガドールすみだの背番号17番、栗本博生だった。ただ、そのシチュエーションに関しては双方の記憶が微妙に食い違っている。全日本フットサル選手権大会準決勝後のミックスゾーンでのやり取りを、しばし原文ママでお楽しみいただきたい。

栗本「ある日の下校途中に、僕が道路の端の縁石の上を歩いていたら彼が『サッカーやってるでしょ』って声を掛けてきて……」

宿本「それさあ、今日Fリーグのサイトでも記事になっていたから読んだけど、たぶんあれ、帰りじゃなくて行きなんだよね」

栗本「え??いやいやいや!帰り帰り!帰りだよ(笑)」

宿本「登校途中にヴェルディくんがいつものようにフラフラ歩いていたから、『名前は?』って声を掛けて。で、その時、お互い小学校に入ったばかりだったから、『宿本』とか『栗本』っていう名字を伝えるのが難しくて。だから地面にランドセルを広げて、カバーの裏側のところに平仮名で書いてもらった名前を見せ合ったんだよ」

栗本「そうだったっけ?よく覚えてんな(笑)」

 宿本「その時に下の名前を教え合ったので、他の同級生はみんな僕らのことを『くり』とか『やど』って呼ぶなか、僕らの間だけは今でも『ひろき』と『りょうた』で呼び合っているんです」

 2人の記憶が食い違うのも無理はない。初めて会話をしたのは、今から25年前の、1998年4月。宿本少年と栗本少年がまだ6歳の頃の話だ。

 近所の公園でボールを蹴る仲になった2人は、その後すぐにFC湘南辻堂というチームで本格的にサッカーを始める。6年生の時には、聖地・駒沢体育館で開催された第13回全日本U-12フットサル選手権大会(バーモントカップ)で全国ベスト8入りを果たすなど、幼少期からフットサルにも触れた。

 中学でも同じクラブチームでプレーした2人。その後、別々の高校に進学した後も交友関係は続き、高校卒業が近づくにつれ「大学生になったらフットサルをやろう」という話が出るようになった。

宿本「高3の終わりに、僕も栗本も関東リーグや県リーグの社会人フットサルチームに体験参加に行きました。あのままどこかのチームに加入していても、きっとそれはそれで楽しめただろうとは思うのですが、当時はそれ以上に地元の同期の仲間で出るワンデイ大会が楽しくて。『俺らでチームを作って公式のリーグ戦に参加するのもいいよね』という話が出はじめたんです」

 同期の仲間でチームを立ち上げようという機運が高まった要因の一つに、すみだ(当時は関東フットサルリーグ1部所属。その頃のチーム名はフウガ目黒→フウガ東京→フウガすみだ)の存在があった。すみだも元は都立駒場高校サッカー部OBに私立暁星高校サッカー部OBが合流して誕生した「BOTSWANA(ボツワナ)」というチームが母体となり、東京都フットサルリーグの一番下のカテゴリー(東京都オープンリーグ)から参戦。関東1部まで上り詰めた後、フウガ目黒時代の2009年には、全日本フットサル選手権決勝でFリーグの絶対王者・名古屋オーシャンズを倒し日本一にも輝いていた。

同級生で結成したチームがFリーグの3クラブを次々と撃破して成し遂げた大偉業は、「俺たちものし上がろう!」という機運を高めるのに十分なインパクトがあった。

 かくして、卒業と同時にかつての仲間が中心となって「FCまんほーる」というフットサルチームを結成。公式のリーグ戦に参戦することとなったのだ。

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