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作成日時:2021.09.20
更新日時:2022.02.10

今日の試合が終わったら、今度は私がイゴールに伝えたい言葉|しょうこの心情系人物コラム

PHOTO BY高橋学

「はい、ありがとうございました。次の試合もがんばってください」

そう言って録画をストップすると、彼は「ごめんねえ。本当にいつも……ごめん」と、目を伏せた。「大丈夫。私もいつも同じようなことを聞いてごめんなさい」と答えると、にっこりと目尻の下がった笑顔が返ってきた。

その「彼」とはピレス・イゴール、41歳。Fリーグ屈指のGKでありながら、ひとたびピッチを離れると気さくで優しい人柄であることは、多くのフットサルファンが知るところだろう。

選手の内面に迫る心情系コラム第2回では、常に感謝の心を持ちながら41歳でフットサルワールドカップ出場の夢を叶えたイゴール、その人に焦点をあてる。

文=しょうこ(フリーライター)


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射抜かれた。これではファンになってしまう

ブラジル生まれのイゴールは、2009年にFリーグ・シュライカー大阪に入団し、187センチの長身と瞬時の戦況判断から生まれる適切なポジショニングを武器に、チームを準優勝に導いた。同年にFリーグで初めてGKとして最優秀選手賞を受賞し、フットサルにおけるGKの重要性を示した。

私がその人柄に初めてしっかりと触れたのは、2014年の全日本フットサル選手権 1次ラウンドでのこと。イゴールが所属するペスカドーラ町田はグループFに属しており、宮城県大崎市での試合に臨んでいた。同グループには東北フットサルリーグ1部(当時)のヴォスクオーレ仙台が東北地域代表として出場しており、チームには“ミスター・ベガルタ”の千葉直樹も所属していた。千葉を目当てに会場を訪れる人も多く、試合後には握手やサインを求め、長蛇の列ができていた。そして、その会場で千葉に負けないほどの人気を集めていたのが、イゴールだったのだ。

当時、Fリーグで知名度ナンバーワンの選手といえば圧倒的に森岡薫(当時:名古屋オーシャンズ、現:立川・府中アスレティックFC)であり、他にここまで人を集めている選手は見たことがなかった。「イゴール選手、すごいな」と遠巻きに見ていると、1人ひとりに笑顔を返し、子どもには屈んで目線を合わせている。ひと通りのファンサービスが終わり引き上げる際、目が合った私にも笑顔を見せ、片手を上げて去っていった。射抜かれた。これではファンになってしまう。

翌日の試合会場で地元の方と知り合い、「地元で全国大会の予選が行われると知り、友達を誘って見に来た」「初めて試合を見たので、千葉さん以外の選手は知らなかったけど、みんな気さくに接してくれるからいろいろな選手のファンになった」という話を聞いた。そうか、前日の光景もおそらく全員が全員、イゴールを知っていたわけではなく、「初めてプレーを見てすごかったから」「並んでいるから有名な選手かな?」と人が人を呼んだのかもしれない。でも、きっとみんな射抜かれたはずだ。

私が以前住んでいた家とイゴールの家はわりと近く、街中でたびたび遭遇した。あるときは出産前の奥さまに会いに病院に行くところですれ違い、あるときは姿を見かけたけどスマートフォンを見ていたので声をかけずにいたら「もう!声かけてよ!」と笑われた。いつも「旦那さんによろしく」と言ってくれるので、私の夫も射抜かれてしまい、イゴールの大ファンだ。

このように気さくなイゴールは、取材をすればたとえ難しい内容であっても必ず日本語で答えてくれる。「大丈夫?ちゃんと通じた?」と心配そうにしているが、通じるどころの話ではない。言葉の裏側にある感情までもが伝わってくる。Fリーグでプレーをする外国籍選手や帰化選手はとても勉強熱心で、ある会場では「コンニチハ!」「ああ、オツカレサマ。ヒサシブリ」と互いに日本語で話している姿を見かけた。私はリトアニアで日本人メディアの方に会えば、ここぞ、とばかりに日本語を使う。「Hello, Kitaken!」とは言わないし、「Hey, Kotaro! Today’s very cold.」とも言わない。日本語が通じるなら、日本語を話したい。選手たちはみんな、本当に勤勉だ。

イゴールは会場で会うたび、取材が終わるたびに「いつもありがとうねー」と声をかけてくれる。何度感謝の言葉をかけてもらったか分からない。そんなイゴールが、大きな病にかかった。2020年1月のことだ。重症になれば介助を要し、日常生活に支障をきたしかねない。2019年最後の試合には、それまでと変わらない様子で出場していた。40分間プレーをし、チームの完封勝利に貢献した。そのイゴールがなぜ……。

そこからの戦線復帰だ。いくら早期発見だったとはいえ、並々ならぬ苦労や努力があったことは想像に難くない。2カ月間の入院を経て3月に退院し、8月のフットサル日本代表候補合宿に招集されたイゴールは、オンライン会見で「もうフットサルはできないかもしれないと思った」と涙ながらに語り、「周囲の支えが励みになった」と何度も感謝を口にした。

その後、トレーニング中の負傷で再度の戦線離脱を余儀なくされたが、リーグ戦のピッチに戻る機会は突然訪れた。11月15日の町田対バルドラール浦安の一戦で11カ月ぶりの公式戦メンバー入りを果たしたイゴールは、入場時から感極まった表情を見せていた。ただ、出場することはないと思っていたという。しかし、その瞬間は訪れる。試合に出場していたGKの退場により、代わりにイゴールがピッチに立ったのだ。この日、チームは完封勝利を収めた。

この試合後の取材でも、イゴールは何度も、何度も、フットサルができる喜びやピッチに立つ喜び、周囲への感謝を口にした。そしてまた、感極まった表情を見せ、涙を流した。

そして、話は冒頭に戻る。W杯のスペイン戦翌日、イゴールに話を聞いた。アンゴラ戦での出場はセットプレー時のみ。スペイン戦ではフル出場した。しかし、イゴールにとっては、1秒でも40分でも、W杯の舞台に立つうれしさや集中力に変わりはないのだという。それに、パラグアイ戦に向けて「次に進めるかは自分たち次第。でも、GKは誰が出ても大丈夫。お互いを信じているから。3人いるけど、優志(関口)も大夢(矢澤)も誰が出ても心配ないので、サポーターたちも信じて応援してほしい」と力強く語った。41歳で夢を叶えたことに話がおよぶと、言葉を詰まらせ、涙を見せた。

話を聞き終わり録画を止めたあと、イゴールはさらに語り始めた。

「(2020年2月19日の国際親善試合の)パラグアイ戦、日本でやったでしょう?ベッドの上で、テレビで試合を見た。実はあのとき、一番調子が悪かった。もうフットサルをできないと思った。だから、W杯に出られてうれしい。パラグアイと試合ができてうれしい。そういうことを思うと、どうしても涙が出てしまう」

スペイン戦でイゴールは、相手の名手の第2PKを止め、日本がリードして折り返すことに大きく貢献した。第2ピリオドでも好セーブを見せ、不用意な失点を増やさなかったことが、2戦を終えてグループ2位の順位に影響している。

何度も「ありがとう」をくれたイゴールに、9年ぶりのW杯に連れてきてくれたフットサル日本代表に、今日の試合が終わったら、今度は私が伝えたい言葉がある。「ノックアウトステージに連れて行ってくれてありがとう」。グループステージ突破まで、あと1つ。

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